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理系だった私がアクセサリーブランドを作ることになった訳  その3

今日の写真は、今年、パリMaison et Objetに出展した時の作品。
京丹後、民谷螺鈿さんに織っていただいた生地で作ったコサージュ。

さて、今日は最終編。

”Matsuyoi”設立

さて、結婚後、2年くらいしてダンナの仕事の都合で
四国・香川県に渡ります。

当時子供たちが本当に幼かったので、会社勤めも出来なくて
ふとしたきっかけで知り合いになった呉服屋さんに
当時集めていた古布などの着物の生地と独身時代に集めたビーズを使った
かんざしや和小物を取り扱ってもらったり、オーダーをいただいていたのですが、オリジナル色を強くしていろいろやりたいことも増えたので独立。
1999年3月Matsuyoiを立ち上げました。

立ち上げ当初の10年間は、東かがわ市という香川の東端に住んでいて、
高松市まで車で一時間くらいかけて、仕事をいただくときや展示会、
イベントのため通ってました。

当時はMatsuyoiは全くの無名で、地元で有名なお店の方と一緒にやらせていただいてました。

その後、工房兼自宅を高松市内に建てて引っ越し、活動体制が整っていくことになります。

怒涛の幕開けはパリ

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引っ越しして二年後、ご縁をいただき2009年7月パリに行くことになります。

「Japan Expo」。

日本のサブカルチャーなイメージが強いこのブースで、四国を紹介する展示があって、ここでアーティストとして参加させていただきました。

ここでは本当にいろいろなトラブルもあったのですが、結局、ここに来てくださったお客様に賞賛が、パリへ進出しようと思うバックボーンになったのです。


それから本当に人生を変えるようなご縁、まさに「パリ・マジック」がいろいろ起こるのですが、それはまた後日お書きします。

諸々メジャーデビュー

パリから帰国後、パリでお会いした方々からのアドバイスもあって
Matsuyoiのホームページを英語と日本語で作ることになりました。

今はホームページもリニューアルしてすっかり変わってしまいましたが
外国人のモデルさんにヘッドドレスをつけてもらった写真を載せたりして
日本とのmixture感を出したものにしてました。
このホームページが私をいろいろ表に出してくれるきっかけを作ることになるのです。


まず最初。ファッション雑誌のアクセサリー特集にださせていただくことになりました。

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ファッション誌でも業界の方がよくご覧になってる"装苑”です。

これから2013年までずっと、アクセサリー特集になると載せていただいたり
装苑さんのイベントや通販にも載せていただいたりしてました。

そして二つ目。

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2011年4月、東日本大震災3週間後の伊勢丹新宿店で行われた
ナガオカケンメイさんキュレーション、D&Departmentさん主催の
47都道府県のアクセサリー作家さんが集まったイベント
「47 accessories」に香川県代表で出展。

これがMatsuyoiの単独での百貨店のデビューとなります。

その後、装苑さんきっかけで知り合いになったコーディネータさんに勧められて、IFF(インターナショナルファッションフェアー)に出展。
ホームページや装苑掲載もこの時期に重なって相乗効果で
たくさんの百貨店、そして東京都美術館のミュージアムショップの仕事を受けたりするようになり、現在に至ります。


この他、ホームページに英語ページをつけたおかげで
海外からのお話も出てくるのですが、、、
これはまたパリのことも含めてお書きします。

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これは装苑掲載時に取ったプロフィール写真です。


今では”理系”とか”元研究職”という部分が仕事に出ることがないのですが
もしなにか共通することがあるとすれば
”地道に積み重ねて結果をだす”ということなのかもしれません。


ちょっと最後駆け足でしたが、、、、
海外のことや、展示会、ミュージアムショップでのことは
後日また機会をみてお書きしますね。


今回も読んでいただいてありがとうございます。
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