見出し画像

幼稚園の時の夢は漁師とサッカー選手

こんにちは、Freelance Filmmakerの松浦竜介(りょうすけ)です。ウェブCMなどの映像コンテンツを制作しています。発信をしていくにあたって、僕自身の生い立ちから現在に至るまでの経歴を記事にしています。関心を持っていただいた方、一緒にお仕事をされたい方、なんだかよくわからないけど僕に絡んでみたい方、僕はこんな人間です。ぜひご覧ください。 

----------------------------------------------------------------------------

生誕

画像1

僕が生まれたのは1988年夏。
決して裕福ではないが温かい家庭で、四人兄弟の長男として育った。妹が1人と弟が2人いる。竜介の「竜」は司馬遼太郎氏の作品「竜馬がゆく」が由来だ。父がこの作品の愛読者だった。「介」は母が授けてくれた。自分でもこの名前は気に入っていて、この小説で語られる坂本龍馬の人物像は自身のアイデンティティーとして心の片隅に存在している。 

幼少期

僕が生まれ育った町は静岡県浜松市のはずれの埋め立て地だ。
実家から海までは10mぐらいしかない。
漁師町で育ったせいか、幼少期から釣りが好きだった。
釣りが好きになったきっかけは、はじめて祖父が連れていってくれた海釣りだ。クロダイが釣れて褒められた。また、地元には漁師の家庭で育った友だちが多く、友だちの家族の船に乗って釣りにいくことも多かった。幼稚園では魚の図鑑ばかりみていた。サバとかアジとか、青光りしている魚のシャープなボディーがたまらなくかっこいい。他にもイルカとかシャチとかクジラとか、海の生き物が好きだった。実家の近くのじいちゃんとばあちゃんの家に泊まりにいくと、寝る前にふとんに入りながら動物を扱う番組を観ることが定番だった。その影響で動物も好きだった。

静岡県ではJリーグの影響で、他県よりもサッカーで遊ぶ子どもが多いと思う。ぼくもその一人で、小さい頃からよく友だちとサッカーばかりしていた。母の影響で、当時ヴェルディ川崎所属の三浦知良選手やジュビロ磐田のゴン中山を応援していたのも懐かしい。 

しかし、それにも関わらず運動会は大嫌いだった。内気な性格で、人前に出るのがとにかく嫌いだったからだ。大勢の保護者や友だちが観ている前で走らされるなんて、考えられなかった。当時の僕の感覚では、なぜ人前で見世物のように走り回らなければいけないのか理解できなかった。だから僕は毎年運動会の日になると泣きじゃくって逃げまわり、全員が参加するはずのリレーのメンバーは毎回誰かに代わってもらっていた。

絵を描くのも嫌いだった。正確には描いた絵を見られるのが嫌いだった。ある日、幼稚園で父の似顔絵を描くことになった。しかし、僕はそれが嫌すぎて父親の顔がわからないとウソをついていた。あとでわかったことだが、後ほどそれが母に伝わり、「あなたの子どもは父親の顔もわからない!」と仕事で家にいることが少なかった父が怒られたそう。今では本当に申し訳ないことをしたなぁと思う笑

その他には幼稚園の窓ガラスを割ったり、友だちの絵が飾ってある額縁にゴムボールをぶつけてガラスを割ったり。。覚えているのはこんな思い出ばかりだ。

当時の幼稚園の先生には本当に迷惑ばかりかけてしまったが、それでも先生は辛抱強く見守ってくれた。こんな感じで、田舎の漁師町に生まれた僕は、潮風で髪をカピカピにしながら最高に楽しい幼少期をすごしていた。

----------------------------------------------------------------------------

☆今までの映像や普段のストーリーを、Instagramで発信しています。 


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?