ぼくたちの花火。

こんにちは、Freelance Filmmakerの松浦竜介(りょうすけ)です。ウェブCMなどの映像コンテンツを制作しています。発信をしていくにあたって、僕自身の生い立ちから現在に至るまでの経歴を記事にしています。関心を持っていただいた方、一緒にお仕事をされたい方、なんだかよくわからないけど僕に絡んでみたい方、僕はこんな人間です。ぜひご覧ください。
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中学

僕の地元の町には小学校と中学校がそれぞれ1校ずつしかない。他の町の私立の中学校に進学する子や他の町から入学してくる子はほとんどいなかったので、中学の同級生は小学校の頃とほとんど同じだった。

課外活動

僕は中学でも迷わず陸上部に入部した。短距離、とくに400m走が専門だった。400m走は短時間に自分のすべてを爆発させるようなスリルと充実感を同時に味わえる種目だ。慣れないころは大会で400mを走りきった直後に疲労で両足の太ももが震え、立っているのもやっとだった。3年生では400m走の選手として県大会に出場できた。当時、近くの町で開催された為末大選手の講演会に陸上部の皆で参加したことがある。講演のあとにミニハードルを使った練習のデモンストレーションを間近でみることができ、動きの軽快さに感動したのを今でも覚えている。
クラスの学級委員や生徒会もやっていた。生徒会では会計の担当になった。会計といってもやることは特にない。生徒会で集まっても遊んでばかりいて生徒会長にたびたび怒られた。毎週月曜には全校生徒が集まる朝礼があり、それも生徒会が仕切っていた。司会などいくつかの役割があるなか、校歌の指揮をとりたがるヤツは一人もいない。僕は音楽が好きとか特別な理由は特になかったが、興味本位で毎回引き受けていた。最終的にはそのノリで合唱コンクールでの指揮者や、卒業式で卒業ソングの指揮者もやった。周りが恥ずかしがるようなことでも、ノリで何でもやってみる性格だった。


花火大会

地元では毎年夏に打ち上げ花火大会があった。規模はけっこう大きくて、地元の周辺地域では有名な花火大会だった。花火は僕の実家から3kmぐらい先の砂浜から打ち上げられる。わざわざ砂浜まで行かなくても家のベランダから十分花火を楽しめるため、花火大会の日はいつも親戚が僕の家に集まった。砂浜の周辺はたくさんの出店で賑わい、夕方ごろから一気に混雑するため、会場まで行くと花火は立ち見になるのが普通だった。しかし、僕はたいてい昼間から中学の仲間たちと砂浜へ行き、大きなブルーシートを敷いて花火がよく見える特等席を陣取っていた。夜は皆でシートに寝転がりながら、空一面の打ち上げ花火を満喫できる。

後の話になるが、僕の大学在学中、経費の問題でこの花火大会が廃止になってしまったそうだ。あの花火大会は僕が物心つくころから毎年恒例だっただけに、とてもさびしい思いがする。しかし当時の友だちとの思い出は今でも一枚の写真のように僕の中に残っている。そのあとまた復活したのかな。どうなんだろう。

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☆今までの映像や普段のストーリーを、Instagramで発信しています。


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