1日1万回正拳突きを打ってから考察するHUNTER×HUNTER【ネテロの本当のヤバさについて】
ほぼ完成していたのに公開するのを忘れていたので、今さらながら「突きを1日1万回突いて気がついた事」を書く。
1日1万回といのはわりとバカげた数であり、おれの腰は崩壊しそうになったので、最終的には中断した。
1ヶ月くらいはやったかな?
そんなおれだからこそわかるネテロ会長の真のヤバさをお伝えしてみよう。
ネテロの狂気
とにかく突きを1万本打ってみてわかったことは「祈ってるやつはバカ」という結論だ。
祈ると言うムダ極まりない動作が結果的に時間を何倍にも増やしている。
仮に祈らずに突きを打ち続けたとしても1時間30分~2時間くらいはかかるのだが、その間の作業の単調さといったらまるで味のしなくなったガムをやたらと噛み続けているようなつまらなさだ。
ところがネテロはこれを10年やっていたらしい。味のしなくなったガムを感謝の祈りと共に10年噛み続けるなんてもはや正気の沙汰ではない。
突きを一万回打ったことがスゴイという方が注目されがちだが、実は祈ってる方がヤバいのである。
マジで頭がおかしい。しかも10年やっていたということは他に何もやることがなかったということなのだ。10年間武への感謝しかやることない人間なんてのは出発点の時点で異常すぎるのだ。
なんならヒソカよりも頭がおかしい。
ネテロの願望
さて、そんなネテロが求めていたものは「敗色濃い難敵に全霊を以て臨む事」だった。つまり全力で戦う相手が欲しかったという事だろう。
ずっと全力出してぇ~と思いながら、100年以上死に場所を求めていたのかも知れない。
むしろこのために自分に制約をかけて死ななかった可能性すらある。
ネテロと矛盾
合気道がそうであるように、そもそも武というのは矛盾であり、その矛盾をひとつにする事が目指すべきものだと個人的には思っている。
相手を倒すためには倒そうとしないことが重要だし、技をかけるにしてもやろうとしないことが大事になっていく。
目的を達するためには矛盾をひとつにまとめる必要がある。ネテロは感謝の正拳突きの果てに祈りと突きをひとつにした。
実際、ネテロの攻撃は誰にも追いつけない早さで祈ると同時に背後から無数の腕を持つ観音様が現れて放たれる。
百手を超える型をひとつにまとめたものがネテロの境地だと言う事もできる。あらゆる攻撃パターンを祈りの動作に集約したのだ。
さらに百の後に裏の型として全てを犠牲にして放つ零がある。
100であり1である、表があって裏がある。こうした考えは非常に武術・武道的だ。ネテロの奥義はまさに武術の境地を体現したものだと言えるだろう。
ネテロの最後
ネテロ最後の戦いは歴戦の棋士が将棋AIに圧倒されるのにも似ており、奇しくも作中では将棋のようなゲームである軍儀になぞられられていた。
ネテロの百式観音は一万回打った突きをとうとう一度も放つことはなかったが、最後に全身全霊をこめた咆哮でもって幕を閉じる。
ある意味で最後まで矛盾に満ちている……。ネテロはまさに戦って死ぬこと望んでいたのだろう。
ほぼ無敵でありながら難敵と戦うことを望むという矛盾した願望を成就させたという点で、その行いは合気道的でもある。
めちゃくちゃ狂ってるけど……。
まとめ
ネテロがどれくらい狂ってるかを知りたい方には突き一日一万回生活がおススメです。
祈るのはやめとけ。マジで。