長文ビジネスメールとnoteについて
私のメールは長い。
書きたいことを全部書くから、要点が分からなくなる。書いているうちにどんどん別のことが頭に浮かんでそのことを書くからどんどん焦点がぼやける。典型的なNGビジネスメールだ。多分みんなロクに読んでいないと思うし、迷惑だろうなと思う。ビジネスメールでそれでいいのかと自分でも思う。多分ダメだろうけれどそれ以外に書けないので仕方がない。言い訳としては、長いけれどすらすら読めるように読みやすさには気を使っている。読みやすくてすらすら読めるけれど、結局何を言っているかわからないビジネスメール。やっぱり駄目なビジネスメールの典型だ。
「あなたの今週のメールを全部繋げたら本になりそうだな。」
昨日会社の幹部と電話で話していたらそう言われた。要するに長すぎて呆れているのだ。
最近、経営幹部にそんな長文のメールを何通も延々と書いて迷惑がられている。プロジェクトの窮状やら、詳しい事情も分からないくせにちょっと職場に顔を出しては本社に戻って「あのプロジェクトはヤバい」と言って回る批評家社員への苦情やら、人員増員のお願いやら会社の将来についての率直な意見やらをつらつらと書いているとどんどんメールが長くなる。書くほうは言いたいことを全部タイピングしていい気分だけれど、読むほうはいい迷惑だろう。
人間には「口で言葉にしないと考えがまとまらない」タイプと「文章にしないと考えがまとまらない」タイプがいて、「口頭で説明を受けないと理解できない」タイプと「文章で読まないと理解できない」タイプがいる。
私は典型的な「書いて考えを整理し、読んで内容を理解する」タイプだ。私の昔の上司は典型的な口で言葉にしないと考えがまとまらないタイプで、これには苦労した。書いて考えを整理するタイプの私のような人間は、メールを書いて送りつけるので読むほうは大変だけれど、嫌なら読まなければいいし、メールが届くまでは何も実害はないし、届いてもいつ読むかは自分で決めればいい。メールはいつまでも待ってくれるし、メールボックスに情報として残っている。
一方、口で言葉にしなければまとまらないタイプは、独り言ではだめで聞いてくれる相手が必要だ。そして口頭で話した内容は記録に残らないのでお互いが憶えておかないとあっという間に消えてしまう。当時の上司は話し出したら本当に止まらなくなり、わたしは何度も彼の話を聞いていて終電を逃し、ひどい時は朝まで話が続くこともあった。そしてその話の結論は深夜明け方の事務所の天井付近で儚く消え、結局何の話をしていたのかわからなくなって話が終わる。そんな風に夜中でも明け方でも仕事をしていた20年前が懐かしくもあり、その上司は私にとって人生で一番の恩人でもある。けれど時代は変わり、今そんなことをやっていたら一発でコンプライアンスの社内窓口に通報されてしまうだろう。
ということで、結局のところ長文メールは迷惑だけれど、迷惑度は口頭よりもずっと少ないのでは、という言い訳だ。メールは記録に残るし時間と空間を超えて私の想いを届けることができる。それがちゃんと読まれるかは別として。
よく考えたら、noteを書いているときとほとんど同じかもしれない。noteに自分の頭に浮かんだいろいろなことをただ想い浮かぶままに書きつづる。そしてそれは、時間も空間も超えてどこかに流れていく。
そんなことを書いていて、
知らない誰かに迷惑かけていないか、心配になってきた。
・・・ご迷惑おかけしていませんでしょうか?
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