自分の弱さを、どうしたら許してあげられるんだろう。
自分が弱さを持っていること自体を受け入れるのに時間かかったし、どうやら自分は弱いところがあるらしいと思っても、すぐにそれを受け入れられなかった。
この弱い自分を認められない心理は、
「ありのままでいてはいけない」とか、「完璧でなくてはならない」ルールにも通じるのかもしれないけど、もしかしたら強くなければならない!と思ってるからかもしれないね。
マイルール:強くなければならない、人よりも優れていないといけない
人よりも優れていないと気がすまなくて、負けると必要以上に悔しくなる。
どんな時も勝ち負けにこだわりたいし、世の中は結果がすべてだと思ってるところあるかもしれない。
強くなければ人生を生きていけないし、強くない自分は認めたくない。
だからか自分よりも強い人を見ると「負けられない」と思う。
人に甘えるなんて弱い人のすることだし、辛いことがあっても涙すべきでない。
このマイルールを持ってしまう人の親は厳格なことが多いと思うの。
厳しさも二極で、高学歴だったり社会的地位が高かいような親か、その逆で学歴コンプレックスや、自分は社会から虐げられてるから子供にそうなって欲しくないと厳しくしつける親か。
どちらにせよ過剰な強さは衝突や摩擦を産むし、自分の持つ弱さを認められないのは結局、自分をトータルでは認められないのと同じことなんじゃないかと思うのです。
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私がこのルールを捨てられたのは、周囲の人を観察したから。
このルールをどうにかするために観察したというよりも、どうにか楽に生きられるようになりたくて、他の人はどう生きてるのか、私の生き方と何が違うのか、何とか楽な方法を盗みたいほど消耗してたから。
そう見ると人間は様々な要素がある生き物で、強い面も弱い面も共存していて、その時によって強さ弱さがシーソーゲームのように変化するものだったよ。
弱さと見て取れるような言動をするあの人でも、何だか十分周囲と上手くやれていて、むしろそういう人こそ愛されキャラで、あれ、もしかして強くなくても良いの?と仮説を立てて。
とはいえすぐ周りの人に弱み見せられるほどの勇気もなかったから、少しずつ相手を限定して探り探り弱みやダメなところ見せて、それで大丈夫なら次はこの人に弱音吐いてみよう、などと徐々に範囲広げてみたけど、ほとんどの人は私の持つ弱みやダメなところも普通に受け入れてくれたんです。
むしろ自分の弱さやダメさを受け入れられないのは、人のも同じように受け入れてなかったということでもあって、「強くなければならない、人よりも優れていないといけない」ルールを捨てられた時に、自分にも人にも優しくなれた気がしました。
ここは私まだまだで、つい職場の先輩に、医療職なんだからこれぐらいやらなきゃ!と見えるダメさに表に出さないようには努力しつつも内心イラついちゃうこともあるんですが、私もダメなところたくさんあるしお互い様だと、基本に立ち返って自分をなだめたりしています。
人は強くなくても愛されるし、優れてなくても全然OK、色んな魅力を持つ多面的な面白い存在って奴でした。
生きづらさ応援の活動をしています。