考えるの面倒くさい、その裏にあるもの。
私は父に「考えても仕方のないことは考えるな!」とどやされて育ってきました。
けれど自分が思考することに既に意味を見出していたようで、「考えてはいけない」というマイルール候補は棄却され、私の中に採択されなかったようです。
これは何故こうなのだろう?
上手くいかない理由はどこにあるのだろう?
それをどう変化させたら上手くいく流れになるのか?
そんな風に考え続ける人間になりました。
(どちらかというと考えすぎ思考過多気味)
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マイルール:考えてはいけない
自分で決められなかったり、人から指示されないと行動できない人で、自分の意見がないことが多いため「これで良いか」など他人に許可を求めたがってしまうのは、根底に思考することを否定する考えてはいけないマイルール(メンタルブロック)があるかもしれません。
人と同じ意見として従うことが多く、親や上司の言うことには反抗することなく、受け入れてしまう。
ずっとそう生きてきたから、考える場面になると頭が混乱するばかりでまとまらない。
だから規則の縛りが少なくて自由度が高いような環境だと考えないといけなくなって不安になる。
規則か厳しいと自分で考えずに済むから、それが楽でホッとする。
このタイプは考えることを面倒くさがって後回しにしがちと言われるけど、面倒というより頭の中フリーズしちゃって考えられなくなるんだよね。
面倒とはちょっと違うこの感覚、これまた難儀ね。
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今まで考えてきたことない人に、そうなるように教育してきた親自身が、ちゃんと考えなさいと言い始めることもあるから、さぁ大変。
ここnoteは表現の場なので、考えてはいけないルール持つ人には苦痛の場所になりそうださ生息人数少なそうだけど、親の敷いたレールの上だけ進んできたようなイイコちゃんたちはこれで苦労するのでしょう。
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この週末は自分を守るためにあまりウイルス情報に接しないようにしている代わりか、書きたい欲は元気みたい。
それでも増える影響に、確実につのるモヤモヤ。
出来ること精一杯して生きてます。
ここで繋がれてる皆さんも、少しでも健やかでありますように。
生きづらさ応援の活動をしています。