生きづらさの正体なんて誰も知らない。

12才で初過呼吸、17才から不登校、4.5年引きこもりしてから紆余曲折を経て、あんなに働けなかったのが今ではお仕事することが心の栄養。
両極極端も良いところな人生ね。

生きづらさとはもそもそも何だろうと、検索して出てきた東大の当事者研究サークルの定義が良い感じでハッとした。

「生きづらさ」とは、その人の感情や気持ち、その人の体験そのものを指している。それゆえに、周囲からは欠陥が観測できなくても、その人が困難を感じていれば、それは「生きづらさ」という言葉で扱うことができる。

私はずっと長いこと「この世界は生きづらい」と感じてきたし、それを突き付けるうまくいかない出来事に苦しんできた。

特に単一民族が人口の大多数をしめる島国の日本は、大多数ではないものに過剰反応しやすい印象を受けるから、お国のトップがあれだけのフリーダム発言ができちゃうアメリカで生まれたら、もう少し楽だったのかもと考えてみたりする。

この日本という国の、特に学校という狭い世界の中では顕著だったけれど、ADHD傾向のある私が失敗しないために自分のやりやすいように物事を工夫して行動すると、どうやらスタンダードから外れるらしく、白い目で見られたりイジメられる。

社会人になってもその居心地の悪さは続いて、みんなと同じようにやるのでは何故結果を出せないのかと悲しい思いをずっとしてきたよ。

それがありがたいことに今の職場はどうやら私に合っていて、心底居心地がいい。
物事を独自の表現で伝えようとするらしいので、たまに不思議ちゃんと笑われるけど、そんな私のことも尊重してくれる。

許容性の高い空気感の中で、私は私のやりやすいように工夫しながら仕事をさせてもらって、成長を支えてくれる先輩たち。

*
ずっと生きづらいと感じる場所で生きてきたのが、生きづらくない場所に巡り合って、その違いについて考えた時に見えてくるもの。

冒頭の引用に戻るけど、
「その人が困難を感じていれば」生きづらく感じ、困難をあまり感じずにのびのび生きられるような環境や支援が整っていれば、生きづらさは感じずに済むんだよね。

知人で役員をやってる兄貴的な人が言うことには、スタッフがうまく動けないのにはそうさせてしまうシステムがあるからで、それを改善すれば上手くいくらしい。
実際その考えのもと、上手くいくシステムに整えて業績を上げているのを見させてもらっていて面白く思う。

でも適正な対応や支援を受けられるばかりではないから、少しでも困難感を軽くするために、自分の内面の認識や考えを変えることで少しでも生きやすくしたいし、その中で一番しっくりきたのが私の場合は認知療法だった。

多くの人が「生きづらさ」という言葉を使っていながらその明確な定義を表わした文章に出会わないのは、各個人で感じる困難が違うからで、もっと言うと、同じ個人でも経験を積むことで考え方も変わるから、困難も変化していくからなのでしょう。


ねえ、だからさ、
あなたや私の抱える生きづらさなんて、誰もわからない。
わかるのは、自分だけ。

それを少し寂しくは思うけれども、でもその困難さは共有することはできる。
共有すること自体での困難具合は変わらないかもしれないけれど、それに向き合う勇気ような力は湧きやすくなるはず。

そんなことができるこのnoteという環境を、凄く大切だなと思っています。

#cakesコンテスト2020

生きづらさ応援の活動をしています。