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HSPや自分の病名を知った時に起こる"救われた感"は、自己理解の癒しなのだと思う

何でこんなにつらく苦しいのか
生きづらさはどこから来るのか
分からずにもがく中で出会う救いの概念。

それは精神科での診断だったり、テレビでやっていたADHDやHSPの特集だったり、今どきはこのnoteはじめインターネットの中で見つけたりすることも多いのだろうけど、生きづらさの答えを知ったときに起こるあのホッとしたような、腑に落ちた救われたような感覚は格別だと思うのです。

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私の場合は精神科の主治医になかなか心開けなかったから、腑に落ちる診断名がつくまで6年かかりました。
でもそのやっと付いた診断名を詳しく調べることで、私個人の人格がおかしいのではなくて病気だったから上手くいかなかったのだと、自分を責める気持ちが軽くなりました。

私に出ていた精神的症状は苛烈さが強くて、自分自身も近しい人へもギッタギタに傷付けまくって大暴れしていた時期もあったので、そうさせてしまうのが何故なのか、診断は客観視できるきっかけになりました。

知識として自分の病気を知ると、何かつらいことがあっても、今つらいこの感覚はあの病気の説明の項目だと見る視点ができて落ち着きやすくなり、診断され病気を知っただけで余裕が生まれました。

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認知療法は自分の認知の歪みと向き合う作業として、まず自分の不完全さを認識しないといけないような作業のため、完璧主義のような要素持ってるなら、自尊心をガリガリ削ってくるのでとても痛いです。
えぐれて骨見えそうな傷なのに、そこに塩スクラブをすり込まれて研磨されるみたいな痛み。

でも研磨されて無駄についてた汚れも取れるとスッキリ、傷の治りも早いし治ったあとは丈夫!みたいな感じだと、認知療法や自己理解を捉えています。

そのスッキリした丈夫な自分に変わっていく過程や、精神的な無駄なものが削ぎ落とされていく感覚は、大変なこともあるけどそれ以上にとても心地よい変化なのです。

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「なぜ自分はこんなに生きづらい?」
その答えが見い出せて、意味もわからなかった苦痛が解けて緩んでいく。
生きづらくさせる原因が自分で分かるから、事前に対処したり、やらかしてしまっても落ち込まずに納得しやすい。

そんな自己理解に夢中になってここまで来ました。

せっかくハイセンサーを搭載して生まれて来たんだもん、そのセンサーを自分が楽に生きられるために使ってみたら楽しそうじゃないかな。
 
 

あなたの生きづらさとは何なのか。
メンタルがどうなりたいか、
どういう状態になったらメンタルが治ったといえるの?
一緒に生きづらさ掘り下げてみませんか。

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