見出し画像

受け取った優しさの使い方

ならば私は優しさを受け取ってもいい。

m.さんが書かれていた自分の言動は巡りめぐって、自分に戻ってくる、…「優しさのリレー」を続けたい話に、私もバトンを受け取っていたことを忘れがちだったなと思い出しました。

*

私には師事する哲学の先生がいました。
残念ながら一昨年お亡くなりになったけど、引きこもりを抜けて何とか動けるようになった時期に出会い、それから8年ずっと「人間とは何か?」について教えていただいてました。

その先生の教えは、
体の細胞の実際の働きがこうなっているから、その細胞の集まりの人間もこんな風に生きたら科学的に一致して良い感じの生き方出来るよねと、哲学の多くは抽象的なイメージなのに科学的な根拠を由来させちゃう内容で、その先生からの教えは私の根っこのようなものになっています。

先生には時間かけて教えていただいてたし、一緒に教わっている先輩方や仲間にもたくさんお世話になって、今の私を作っている面が大きいです。

*

教わったり何かしていただくことは、その人の時間を使うということで、相手の命を頂くことにもなると私は考えています。

そんな表現するとちょっと抵抗感をマシマシに感じさせしてしまうかもしれないけれども、社会というのがそもそも、自分の命や時間を誰にどのように使っていくかということなんだと思うんです。

そしてそれは、自分の為にたくさん命や時間を使うのでもいいし、人のために使うのでもいいし、こうしないといけないというのはない中で、どうやって生きたら自分は心地いいかを研究するのは大事なんじゃないかなと個人的には考えています。

*

先生にも先輩にも、たくさんしていただいたし、今だってお世話になりっぱなし。
そうやって受け取った、注いでいただいた優しさに、何も返せないと初めはすごく抵抗感があって、申し訳なさでいっぱいでした。

だけど先生や先輩方は言うのです。
自分には返さなくていい、やってもらって嬉しかったことや有難かったことを、別の人に同じようにやればいいだけなのだと。

そこから私の試行錯誤が始まりました。
なんとか引きこもりを抜けられたレベルの人間には、人様に何かをさせてもらうだけのパワーもモチベーションも強さもない。
それをはじめは情けなくも思ったけど、まずそこを養えるように頑張ろう。
今の自分を育てる踏ん張りが、いつか未来の誰かを助けられる自分に成長させて、実際に私も誰かを助けられるようにと。

「今の自分を育てる頑張りは未来の誰かのため」という考えの着地点は、引きこもりで何の為に生きてるか分からないでいた自分にはすごく響いて、鼓舞できるものでした。

すぐには上手くいかなくてめげたし、生きるの下手な自分を拗ねたし、やさぐれたり逃げるのもたくさんしたけど、この紆余曲折すら未来の誰かの為のはずだと、何度も気を取り直してまた生き直してきました。

*

そしてきた結果、今の私があります。
人を支える大好きなお仕事して、そのお仕事で心も満たされ癒され、このnoteではだんだん素敵な繋がりが増えてきて何かワクワクするし、残念ながら素敵なパートナーとはまだめぐりあえてないけど、そんな毎日。

折に触れ心のケア業もさせていただき、生きづらさを強みに変えて働けるサロンの準備をしながら、もう少し受け取った優しさを循環させていける自分になりたいです。

まだ色々途中だけれども、今の自分でもできる受け取った優しさの使い方を考えることをやめずに、誰かを支えられる力をより育てられるよう、日々を大切に生きています。

(つい心の余裕なくなって不遜になって、してもらうことが当たり前と感謝忘れがちにここのところなってる気がするから、そこは気をつけよう、自戒!)

生きづらさ応援の活動をしています。