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20231021 祭見学の義務

  魚吹八幡神社ちょうちん祭りの件,昨日NOTEを書いた時点では「21日は出勤して仕事をしてから夕方に間に合うように出発して宵宮を見学して夜に帰り22日は1日ゆっくり休息にあてる」つもりでいました。
 しかし,X(旧Twitter)をみていると「22日が本番」「22日が盛り上がる」などの記述をみかけたりして「それならばやはり22日を見に行くか」という意識が高まりました。
 そのほか,今日は気温はそこまで下がりませんでしたが風が強く体感温度が低めなのに長袖シャツ1枚で出かけたため,この格好で夜までいると寒さで風邪をひいてしまうと判断したのと,2024年は21日が日曜日で22日が月曜なので,2024年は宵宮しかみられないだろうから2023年は本宮をみておいた方がよさそうという判断もありました。
 なんていろいろ理由を挙げて合理化をはかっておりますが,結局のところ「一度職場に出勤してしまうと尻に根がはってしまい出かけるのがおっくうになる」のが一番の理由ですね。それだから明日は自宅から直行せねば。
 まあでも昨日「博多祇園山笠は何日にもわたって行われるけど1日には3時間程度なのでみやすいのに播州の秋祭りは2日間出ずっぱりの祭がおおくて大変だなあ」という感想を持ったのですが,博多松ばやしは5月3日4日の二日間歩き通しなので同じようなものだなあと。それを思えば博多松ばやしに関しても二日間ずっとみることはこれまでなくて,だいたい2日共朝の出発を見届けたあとは出勤していたので同じようなものだなと。
 と,ここまで書いて気づいたのですが,私はどこか祭をみるときは「全部見ないといけない」という義務感のようなものを感じることがおおいなあと。「全部みることが信仰の証であり修行であり,全部見られたらご利益が得られる」みたいな感覚がどこかにあるようなあと。
 おそらくこのような感覚は祭を見に来る観客のほとんどが持っていないはずで,私がなぜそのように思うようになったのかを考えるのは面白いかもしれません。

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