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20230415 神様とごはん

 土曜の夜の19時を回りました。出勤しているときはだいたいこの時間くらいまでに取り上げる論文を探し終えて、NOTEの文章にし始めるころ合いなのですが、今日は一日雨で自宅にいたので論文を読むことができておりません…。お腹もすいてきたのでそろそろ祭心理学NOTEを書き終えて晩酌に移りたい…お腹すいた…と思いながら柳田国男の『日本の祭』を眺めていると供物と神主の章に祭の食べ物に関することが書かれていたので今日はそれを読むことにしました。

 本の内容について書く前に櫛田神社の祭のご飯に関する記憶を断片的に挙げておきます。

1.鯛料理

 夫婦恵比須大祭では大きな鯛が奉納されるのでそれかなあと思うのですが、ほかの祭でも鯛は奉納されるので間違いかもしれません。しかし確実に覚えているのは、奉納された大鯛が神事が終わった後櫛田会館の横の流しでさばかれていて、おそらくその後直会で刺身か何かで食べられたのだと思います。

2.櫛田会館の水炊き

 これもどの祭だったか覚えていませんが、現在建設中(?北門横に博多千年蔵の結婚式場ができたのはネットで知りましたが櫛田会館ができたとの報はないのでまだかなと思います)の櫛田会館では水炊きが食べられ、その準備のための七輪やなべなどを外で見かけた経験が結構あったので「食べたい~」と思っていました。記憶では山笠関係者だけでなく、人数集まれば一般の人でも食べられたと思うのですが、建て替えられた後どうなるのかは不明です。

3.宮司の奥様がつくられるカレー

 どの祭りだったか記憶がありませんが、プロのアナウンサーが話されたのを聞いた記憶があるので博多祇園山笠かもしれません。祭の一般の参加者ではなく振興会や氏子などで関与の大きい人へのまかないご飯として「カレー」を宮司の奥様がつくってくださるそうで、その肉は「四つ足のものはダメ、ということでチキンカレー」ということを覚えています。

 大鯛は「神様にささげられた後のものをいただく」ものですが、残り二つは直会で食べるものであり、神事とは直接関係がないといえます。なんとなくですが、特に都市祭礼において、神事や祭事の最中にものを食べるというのは少なくなってきているのではと思います。

 しかし、昔は結構祭の中でものは食べられていて、しかも「神様にささげられたものをわけていただく」のではなく「神様と一緒のものを一緒に食べる」ことが多かったことが以下の引用からわかると思います。

 全然人の食べるものと同じ形の食器で同じ物を供えるのが、特にこの恵比須講の作法でもあった。遠州浜松付近の農村の生活を記述した中道君の報告の中に、この地方の恵比須講では、家の者もこの同じ膳に坐って、まず神様の箸の取られるのを待っている。餅や汁の椀が木器であるために、じっと耳を傾けていると、温度のかわりにつれてコトリという音がする。そうらおえびす様がめし上がったというので、一同のものが食べ始めるものだったそうである。

 この場合、食べ始めるのは神様が最初ですが、田舎の日常の食事で祖父が食べ始めてから他の家族が食べ始める程度の権威であり、どちらかというと「祭の場なので神様と同じものを食べられる」のが重要視されているのではと思います。
 ただ、当時においてもそうしたものは少数派になっていったようなのが以下の引用からわかると思います。

 直会と呼んでいるものには二とおりあって、最も大きな御社の大きな祭にも、式の進行中に神前で同じ食品をたまわるのと、祭が畢って供物を皆下げてから、社務所などに持って行って、あとでゆっくりとちょうだいするのを、直会といっているものがあり、なんだか第二の方がだんだんと多くなっていくようにも思う。

 このあたり、ある意味「式の進行中に食べると緊張やらあって食べた気がしないから、あとで神事から離れゆっくり気楽な雰囲気の中で味わって食べたい」とかいう非常に俗な欲求から第二の方が増えていったのではと思うのですがどうなのかなと。
 まあでも、それはまた神事の式の格式が高くなったというか、厳格さを増していったからかもしれなくて、そのためどんどん祭から祭礼化していくところでは神事の中での飲食が減少し、祭のままのところでは飲食はそのまま神事の中で行われたのではないか、など思ったりしました。

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