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「朝まで生テレビ」と「朝までナメてれば」

平成元年の春先のことだったと記憶している。もうタレントとして活動して5年ほど経っていたが、しかしまだ西宮北口の実家にいた頃だ。いつものように、師・中島らもさんや鮫肌文殊らと、大阪は堂山町の雑居ビルの3階にある東條英機似のマスター、いや、ママと呼ぶべきか、とにかく気のいい店主がいるバーで飲んでいた。ここはなぜか関西の演劇人、落語家、放送人、文筆業、音楽家が集う。キーパーソンがらもさんだったことは確かだろう。何かを思い出したように、らもさんが鞄からVHSのビデオカセットを取り出した。

「この間、変な番組に出たんや。5、6時間ある討論番組やねんけどな、大島渚さんとか、野坂昭如さんとか、小田実さんとか、論客がいっぱい出てて、田原総一朗さんが司会や。僕はその長い間に、3言しか喋ってない。くっくっくっく。キッチュ(私)のネタになると思うから貸してあげるよ」

ラベルには、小学生が書いたのかと思うような拙いが丁寧な色付きの文字で「らも出演朝まで生テレビ」と書かれていた。時期から考えて、今小説家として活躍している長女の中島早苗さんの字だろう。いつものように痛飲して、家に帰ってからそのビデオを見始めたのだけれど、本当にらもさんは3言ほどしか喋っていない。最初の紹介で、今年一番気になることはと問われて、「双羽黒がプロレスに行くかどうか」と答えた時と、あまり発言が少ないので業を煮やした野坂昭如さん(の推薦があったとも聞いた)から、「中島さんに聞きたい。なぜ日本のコマーシャルは外国人モデルばかり使うのか」と聞かれて、「……日本人が八頭身じゃないからです……」と答えた時と、あとは話を振られて答え始めた時に舛添要一氏だったか誰かに持って行かれてしまった時だけだった。

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