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やさしさのありか
一年前のこと。
私は、いつものように眠い目をこすりながら地下鉄に乗っていた。
深夜の業務に向かうためだ。
冬の夜勤は辛い。
だんだん冷えていく外の空気に急かされるように、人々は家路を急ぐ。
その流れに逆らって、ずんずん駅に向かうのだ。
同じく地下鉄に乗り合わせた他の乗客たちもまた、みな疲労をまとっているように見えた。
"次は、中野坂上、中野坂上、お降りの方は…"
これから仕事と言えども、やっぱり、夜だから眠い。
うつらうつらする頭の中で、車内アナウンスがどんどん遠くなっていく。
ふと目を醒ますと、向かいの席で、男子高校生がテニスラケットを抱えて爆睡していた。
相当疲れているのだろうか。
…私も高校生のとき、部活超キツかったから分かるなあ…。
そう思いながら目を離そうとして瞬間、
電車が揺れた。
その男子高校生の手の中に頼りなさげに握られていた定期券が、ポトリと落ちた。
"拾ってあげようか"
そんな考えがおぼろげに浮かんだ時、
近くの女性が先に動いた。
定期券を拾い、そっと戻してあげていた。
心が、じんわりと温かくなっていくのを感じた。
"女性にとびきり素敵な明日がおとずれますように"
心の中でそう願った。
その高校生は、いくつかの駅をまたいで眠り続け、ふと我に帰ったように目を覚まし、降りていった。
きっと彼は、気づいていない。
自分の定期券が一瞬、旅に出たこと。
いま彼が握りしめているのは、あの女性の優しさであること。
*
他人にやさしさを求めてしまうことがある。
私はこれだけ優しくしてあげたのに。
私はこれだけ想っているのに。
目も当てられないような不満の渦が、勝手にぐつぐつと煮える。
でも。
深夜の地下鉄で、私は思ったのだ。
私だって、気付かない間に定期券を拾ってもらっているかもしれない、と。
あの日わたしは、やさしさのありかを、秘密裏に発見することができた。
あの女性が定期券を拾うように、私が隣の人の定期券を拾ってあげるように、
私だって、寝ている間にこっそりと、きっと拾ってもらっているのだ。
拾ってもらうのはたいてい寝ている時だから、気付かないのだけど。
やさしさはきっと、そういうものなのだ。
人はみんな、見えないやさしさに包まれて生きている。
本当はきっと、すぐそばにあるんだよな。
私たちが簡単には気付かないだけで。
*
電車が目的地に着いた。
今日のこと、きっといつかnoteに書きたいな。
そう思いながら、
さっきよりもずっと寒く、ずっと静かになった夜の街をずんずん歩いた。