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『半分、青い』と『霊性の震災学』(2018.10.31メールマガジン『ほぼ週刊さろま』寄稿)

奄美大島も朝晩は20度を下回るようになりました。
秋の夜長に読書などをしています。1年以上前に新聞のレビュー記事で見て気になっていた、金菱清〔ゼミナール)編『呼び覚まされる霊性の震災学』(2016年 新曜社)。
 
「震災による死」に人々はどう向き合い、感じてきたかをテーマに東北学院大学の学生による卒業論文を集めたものです。
震災後、多くのタクシー運転手たちが体験した幽霊現象。
初夏、季節外れのコート姿の女性が乗り込み
「南浜まで」
と。
「あそこはほとんど更地ですが構いませんか?」
と尋ねると、
「私は死んだのですか」
と震える声で答える。
振り返ると誰もいない。
取材する学生が「幽霊」と言う言葉で彼らを呼ぶとタクシーの運転手たちは一様に怒りを見せるのだそうです。
「あの人たちはそんなものじゃない」
と。
「帰って来たのだ」
と。
またその様な人がいたらどうしますか?との質問には
「もちろん乗せるよ」
普通の人と区別はしない、と。
恐怖心はなく、敬虔な思いとともに「畏れ」を抱き静かに手を合わせる。
 
14人の生徒が犠牲になった閖上(ゆりあげ)中学校に父母が設置した慰霊碑。
犠牲になった生徒の名前だけが記された碑に、訪れた家族は手を合わせるのではなく、碑を抱きしめるのだそうです。
 
突然、生を奪われた人々と、突然、残された人々。お互いの気持ちにどうやって折り合いをつけるのか。
ニュースに流れる整えられた言葉からはわからない事実がレポートされています。
 
そんな折、NHKの朝ドラ『半分、青い』の総集編が放映されていました。
このドラマでも震災で主要人物が亡くなってしまうのですが、それも含めて、このドラマは生きる上での「折り合い」についてのストーリーであったと改めて感じたのでした。
これまでにない滅裂な脚本に様々な評価がありますが、私の中では昨今観たドラマの中では一番、メッセージのパンチ力が強かったと感じています。
人生には曇り空の日もある。けれども半分、青空があれば良いじゃないかと。
どんな事実も、ドラマや映画になってしまうと必ず終りのある100%の物語になってしまいます。しかし現実は、結論の出ない様々な事柄によって編み込まれた縁(えん)の総体です。その中で生きている自分自身がいかにして気持ちの折り合いをつけるのか。それこそが人の物語であると思うのです。
『半分、青い』はそこが見事に描き上げられていました。
 
震災の現場でなおも苦しむ人々。平安に見える日常を送る人々。違っているように見えても、曇り空と青空は同じ様にそれぞれの上に訪れます。
半分の青空を少ないと思うのか喜びと感じられるのか。
今は喜びに感じられなくても、何とかして前向きに進もうとする営みの中に、今を生きる者としての使命を果たす道があるのだと、秋の夜長に思ったのでした。

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