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#これもまたリアリティ

自宅の柱と壁の間にチンニングバー(懸垂棒)を設置していて、背筋トレーニングの際にはそこで懸垂をする。ある時、Facebookの筋トレ・ダイエットのグループに、チンニングバーをハンガーラックにしている画像をアップしたところ、「あるある!」と多くの共感を得た。40年以上前に流行したぶら下がり健康器をハンガーラックとして使用した経験のある人も多いはずだ。

今回はリアリティについての雑考だ。リアリティのあるモノゴトは、多くの人の共感を得ることが出来る。リアリティと「あるある」ネタは数学的に言えば近似値である。

YouTubeで人気の動画に、「パンツが食い込んで歩くのがイヤになる奥さん」というのがあった。これもきっとリアリティなのだろう。学生時代の友人にそんな女の子がいた。「落語は業(ごう)の肯定だ」と言ったのは立川談志だが、リアリティとは人の業そのものなのではないだろうか。「業」とは「自業自得」の「業」であり、仏教用語で人の行い、または行いの結果を指す。つまりリアリティというのも人の行いの末に立ち現れるものなのだろう。

落語のように笑える業なら良いのだが、笑えない業というのもある。暮らしとか生活とは、業 ≒ リアリティとの格闘と言ってもよい。季節柄の話でいえば、大掃除をして1ヶ月後にはポツポツと出てくる浴室のカビとか、正月明けに盛大に増加した体重であるとか。

道産子にとってのリアリティもある。雪にも匂いがある事をSNSで投稿したら、同級生が「わかるわかる」と反応してくれた。雪解けの頃、土の匂いに春の到来を感じるのも私にとってのリアリティだ。逆に初めて内地の都会で年越しをした際、雪の無い正月が無性に寂しかったことも道産子のリアリティだ。店を巡っても「やきそば弁当」がどこにも無かった事、イズヤパン(1993年倒産)や日糧パンも無かった事、玉屋のしゅうまい揚げも無かった。内地へ越した道産子のリアリティである。

先週書いた怪談のリアリティを語ろうとしたのだが、ついこんな事になった。これもまたリアリティである。

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