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50歳の仕事探しのツボ~松岡さんの場合

先日、50過ぎからの仕事をどう捉えるか、どう向き合うか、について記事を書きました。今日はその続きの位置づけで、自身の体験を振り返って気づいた、オッサンの仕事探しのツボみたいなことを記してみます。
少しでも、どなたかの参考になれば幸いです。 

※参考記事

50歳あたりの松岡さん

私の50歳あたりの頃は、シングルで育てていた男の子2人が高校・中学生に成長していました。共に野球少年でもあったため、活動費用を捻出することに四苦八苦していた経済状況でした。
仕事は、アメリカのウェスタンに関するファッションアイテム(ブーツ、シャツ、ハット、ネイティヴアメリカンのジュエリー)を販売する店に勤務していました。
しかし、ある日ショップのオーナーが倒れてそのまま意識が戻らないまま死去されたことがきっかけで、店は廃業することになりました。

突然無職になったけど、どうしよう?
子供たちのこと、どうしよう?

50歳あたりの松岡さんは、

「わちゃ~~」

という状況でした。
ここからコロコロ転がって、今があるのでした

1つめのツボ~ヒントは近くにあるかも

さて、収入が途絶えたならば、支出は今まで以上に抑えなければなりません。
しかし、甲斐性なしのシングルファザー家庭において、今以上に支出を減らすポイントなど残っていません。
それでも何か減らさなければ・・・と思案を重ねて目をつけたのが「交通費」でした。

どうやって?

当時持っていた神戸市バスの定期券を使う以外の移動を、原則「ラン」に変更したのです。
と言うのも、この状況に陥る5年前から子育ての気力体力を増強せねば・・・とマラソンを始めていましてね。
暮らしの緊急事態下において、走ることを、趣味から生きる手段に変えたのです。
交通費がないから走る・・・エエ歳したオッサンの、なんとも貧乏くさい話ですね。
けど、良いこともあるんです。
それは

「走る道中で目に入ってくるものに、驚きと興味を感じる」

ことです。

普段通っている道も、自分の脚で走ってみると、見える風景、目に留まるものが全然違っていたんですね。バスや電車に乗って通り過ぎていた時と比べて。
要するに見過ごしていたんです。
言い方を変えれば、同じ風景でも見るスピードを下げるだけで、目に飛び込んでくるものがメチャ増えるということです。これはマラソンを始めてまもなくの頃に発見したことなんですけど、以降走る愉しみの一つとなっています。

しかし、暮らしの緊急事態下で走っているうちに、私の中に新たな問いが生まれました。

新しいことを、ああだのこうだの言うより、オレ、今まで何か大事なことを見落としてしまってたのかも?

それまでうまくいってなかった人生を、今のままじゃいけない、何か新しいことに取り組まなければ・・・と、ずっと前ばかり見て、もがいていた自分にとって、この「問いの発見」は衝撃的でした。
以降、現在の仕事に就くまでに起こった出来事も、この問いと一緒に向き合い続けてきたからこそ、やり過ごし、生きる糧になったと思っています。


私の場合、50歳からの仕事選びの最初のツボは、

「仕事を探す前(探しながらでもエエけど)に、普段の暮らしの風景を見直してみる」

ということでした。


普段の暮らしで「知ってる」「当たり前」だと思っていることが、実は全然そうじゃないってことを、常に心のどこかに持っておくのは、新しい仕事を見つける大切なツボだと思っています。

つまり、仕事を探すという、人生でまあまあ大変な問題と対峙しているとき、その時の最適解は、がむしゃらに突っ走った先にだけあるのではなく、その時に立っている位置で目や心を凝らして見えたものの中にもあるかも知れないってことです。
うまくいくコツがあるとするなら、頭で考えて見直すのではなく、身体も動かして肉体全部を使って見直すことかなと思っています。私の場合はランニングでしたけど。

結局、走ることで節約できる金額なんて、たいしたものではありませんでした(笑)。

2つめのツボ~ビバ!他力本願!


交通費をケチるところから始まった私の仕事探しでしたけれど、見つけた決め手は全て、他者から差し伸べられた「救いの手」でした。

なんや! 結局他力本願かいな!
自分の力と違うんやったら、仕事探しのツボもヘッタクレもないやん!
偉そうなこと言うな! このクソハゲじじい!

確かにそういう一面もありますよね。
しかし、この差し伸べられた「救いの手」について本気で考えてみたら、やはりそこには仕事探しのツボがあると思っています。


私の場合、50歳からの仕事選びの二つめのツボは、

「親しい友達以外の人と交流する姿勢を保つ」

というものです。


最初の「救いの手」は、こんな感じで差し伸べられました。

オーナーが倒れて1カ月くらい経ったころ、店で途方に暮れながら雑用をしていたとき、フェイスブックをチェックしていたら、ある「友達」からメッセージが届いていました。開けてみると、

「たまたま見かけたんやけど、これ松岡くんにピッタリの仕事ちがうかなと思って連絡しました。興味あったら応募してみてください・・・」

的な内容で、詳細が書かれているURLが貼り付けられていました。

「へー、面白そう」
「でも、どこが私にピッタリなんだろう?」
「とりあえず応募しよう」

と、すぐに募集元の会社へ連絡・面接のあと、速攻で採用の通知をいただきました。
おかげで「わちゃ―」って感じの我が家の経済状況は、とりあえず一段落つくことが出来ました。

話は逸れてしまうのですけど、この「友達」が紹介してくださった仕事が、なかなかユニークなものだったので少しだけ紹介しておきます。

私にピッタリらしいその仕事とは「神戸市 商店街・市場応援隊派遣事業」。
神戸市内の小売市場や商店街の「困りごと」に対して「応援隊」がスキルとマンパワーを持って解決改善へ向けたお手伝いをするという内容でした。

この仕事は、緊急雇用創出事業制度を利用したものだったので1年で終了の予定でした。
しかし、この間の仕事の成果が評価されて?以降、この事業は神戸市の予算で神戸市商店街連合会・小売市場連合会が受託して2021年現在も続いています。
私も、ひっそりと「応援隊隊員」の末席に残って活動しています。


さて、本題に戻りましょう。
次の救いの手は、ある方が友人を通じて託した「一枚の名刺」として差し伸べられました。

名刺の主は、私が商店街・市場応援隊の仕事中に一度お会いした方でした。その際私が「この仕事が1年ぽっきりで終わるんです・・・」みたいなことを言ったのを、ずいぶん気にしていらっしゃったそうです。で、その方が所属するNPO法人が開設している就業サポートセンターがあるので、よければ紹介したいということで友人に名刺を託したとのことでした。

「たった一度しかお会いしていないのに、こんなに気にかけてくれるなんて・・・」
「何はどうあろうと行かなければアカンよね~」

と、その就業サポートセンターのドアを開け、担当してくださった方(名刺の方とは別の方)と何度もやり取りを重ねました。そしてその方は、私が気づかなかった仕事の探し方を示してくださり、重く苦しい50の仕事探しに小さく明るい光をともしてくれました。
そのセンターでは新しい仕事は決まらなかったのですけど、示していただいた仕事の探し方がきっかけとなり、名刺を届けてくれた友人の協力もあって、今の仕事に就くことが出来ました。

当時を振り返って書いてみると、あらためて他力本願・ラッキーの連続だったことは疑いの余地がないと思います。
ただ、皆さんが、なぜ私に救いの手を差し伸べてくれたのか?という点に着目すると、そこに仕事探しのツボがあるのではないかと思うのです。

今まで、私はほぼ無意識に様々なジャンル、様々な価値観を持つ人たちと「交流」していました。だからこそ、周りの人が私の存在(この時は困った状況に陥っていた)に気づくことが出来た、気づいた一部の人が手を差し伸べてくださったということではないか?と思うのです。
なぜ「無意識」に出来たかというと、それまでの仕事が小売店の販売という「待ち」の仕事でかつ、自分で選べない不特定多数の方が相手の仕事だったからです。
そんな不特定多数の中から、長い年月をかけて少しずつ増えていった「交流する人」。友達というほど深くには至ってないけれど、その言動に尊敬や信頼をおいている人と「交流」を重ね続けることは、仕事探しのツボどころではなく、おもろい人生を歩むツボだと思っています。

「交流」を続けるコツがあるとするなら、私は付き合いすぎないことかなと思っています。やたら「あなたと私はお友達」感を前に出して関わってくる人にロクな人が少ないというのも、私の経験則でしてね。フェイスブックなどのSNSも、この点に注意して使っていけば便利な道具になるでしょう。

さて、50歳の仕事探しで差し伸べられたいくつかの「救いの手」ですけど、その手の元をたぐっていくと、差し伸べた人の「目」がありました。

三つめのツボは、その「目」にありました。

3つめのツボ~自分で出来ないことを知る

色々と差し伸べられた救いの手の元をたぐって見つけた、三つめのツボは何かというと

「仕事に向いている能力は、自分自身で気付かない・気付けないことを知る。」

です。

先に述べました商店街・市場応援隊の仕事を紹介してくださった方は、最初から「松岡くんにピッタリの仕事じゃないかと思って」連絡をくれました。
そもそもの話なんですけど、小売店の販売の仕事を長年続けてきた私に、なぜその方は応援隊の仕事を私にピッタリだと思ったのでしょうか?
理由は今でも知りません。
今度会ったら聞いてみようと思います(聞けよ!)

そしてもう一人の、託された名刺に書いてあった就業サポートセンターで私を担当してくださった方は相談を重ねるうち、メールで私にこうアドバイスしてくださいました。

「色々お話を伺っていると、松岡さんに向いている仕事のキーワードは『コーディネーター』と『会館管理』かなと思っています。」

「はい? 会館管理? したこともない仕事やんコレまた・・」

後日直接お会いして話を伺うとその方は、会館管理の仕事には相当のコミュニケーション能力が必要であること、また時間管理がしやすい職種なので応援隊や他の仕事との兼ね合いもつけやすいなど、私の持っている能力的なものや目指している理想などを理解したうえで、簡潔かつ的確にお話しくださいました。
これ以降、仕事探しの方針を転換して絞り込んだのがきっかけで、新しい仕事(オフィスビル管理)に就くことが出来ました。

いつまで続くか分かりませんけど、今の暮らしが落ち着いて愉しい状況であるのは、この二人が仕事に対する私の評価と分析を、私に示してくださったからこそなのです。
これは自分だけで活動していた場合だと、絶対にたどり着くことの出来ない結果でした。

自分のことは、自分が一番分かっているようでいて、結局他者から指摘してもらえることでしか分からなかったんですね。

まとめ

この記事を書く理由は、オッサンになって始めた仕事探しはツラかったからです。
ツラかった経験の中で得た学びが、もしかして同様にツラくなっている方の役に立てたら良いなと思ったからです。

仕事とは、自分と社会をつなぐ接点であると私は捉えています。
会社(働き先)は、その時たまたま接点があった場所に過ぎません。
時が経てば自分も変わるし社会も変わる。当然、その接点も常に変化して移動します。なので、いくつになってもその変化を注視して対応することが大切だと思っています。
だからこそ、自分が仕事だと思っている業務や作業が、社会から必要されているものなのか?という問いは、常に自分の中に持っておかなければならないと考えています。

しかし、同時にその問いの答えは、自分自身で見つけることが出来ないということも理解しなければなりません。

なぜならば、仕事とは自分と社会との接点、すなわち自分自身の中にあるものではないからです。

だから、仕事探しで困っているときは自分自身の身体を使って、自分の周りにある物事を今一度観察して、他者と交流してその方々のことを理解しようと努力してみてください。

観察して得た「発見」や、交流する他者から教えてもらう「自分の見え方(自分で気付けない自分」が、仕事(自分と社会との接点)を見つけるヒントになると思います。


長々とお読みいただきましてありがとうございました。

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