地域の課題に取り組む人たちのネットワークの結節点的な拠点があったらいいな

戦後の昭和自民党政治を古い失敗作と指弾して打ち出された平成のオルタナティブは、どこが間違っていたのか。
我々は、公共工事に公金を使い込む利権政治に反発するあまり、財政均衡論に走ったことが間違いだったと言いがちである。こうして、「自民党をぶっ潰す」と称した小泉新自由主義改革がもたらされ、橋下維新緊縮府政が生まれ、「悪夢の民主党時代」と揶揄される民主党政権の経済失策に至ったのだと。
たしかにそのとおりだが、問題はもっと根深い。

戦後昭和では、市井の庶民が日常の仕事や暮らしの中で直面する困りごとや利害関係を業界団体で集約し、それぞれの団体が推す自民党の議員を通じて政治に反映していた。地方では、町内会組織を通じて町の相談事が保守系の地方議員に持ち込まれ、それが地方政治に集約された。問題のスケールが大きくなると、市議から系列の県議、系列の国会議員へと上がっていって、国政の課題に反映された。
勤め人の場合は、労働組合を通じて社会党の議員に要望が集約され、予算審議拒否などの戦術によって、それらを政策に反映させていた。
こうした過程を通じて、人々の仕事や暮らしの中での利害が調整され、それなりの均衡が実現できていたのだ。それは、一部の強者や、コネのある人に有利な均衡だったかもしれないが、いろいろな分野の市井の庶民の利害も少しずつ反映することで、大枠では全体の満足を実現していたのだと言えよう。

平成期の改革が昭和自民党的なものとして否定しようとしたのは、この構図全体だったのである。ちまたの利害を反映し、政治によってその満足を図ること自体が、何かきたないこととして位置付けられたのだ。
そしてそれに代えて、具体的な生身の人間を離れた、宙に浮いた天下国家論議がもてはやされるようになった。個々人の利害を超越しているほど、クリーンでいいことだという風潮になった。小選挙区制も、そのような風潮の中で導入されたものである。

さて、こうした改革が叫ばれてから、小泉構造改革や橋本維新改革を経て、三十年がたった今、結局我々の目の前にあるものは、新たな強者による巨大利権であり、圧倒的多くの庶民はそうした大きな仕組みを全くコントロールできず、その恩恵を享受できず、完全に蚊帳の外に置かれて、ますますいっぱいいっぱいになる生活をジタバタ生き抜いているという現実である。
これは、平成期の改革の理念どおりにならず昭和的なものを捨てきれなかったのが悪いなどと総括してはならない。
そうではなくて、そもそも、ちまたの利害を反映し、政治によってその満足を図ることを汚いことのように位置付けて、具体的な生身の人間を離れた、宙に浮いた天下国家論議をクリーンでいいこととみなす姿勢自体が間違っていたのではないか。

平成期に入る頃には、かつては人々をそれなりに網羅していた業界団体や住民組織や労働組合等々が、多くの人々をカバーできなくなり、あるいはますます多様になる個々人のニーズを集約することが困難になっていた。だから、政治に自分達の利害、要望を伝えるチャンネルをもたないと感じる人たちがたくさん生み出され、フラストレーションが溜まっていたのである。
そのような人たちから見れば、既存のチャンネルが多少とも機能している者は、政治から不当に恩恵を受ける既得権層と映ったのだ。
その不満を右派ポピュリストがすくいとって攻撃に使った。そうしてなけなしのチャンネルをもこわされた結果、圧倒的多数の者は政治に暮らしのニーズを伝える術を全く喪失し、政治から受ける恩恵も全くなくなり、格差と貧困と経済停滞の中に叩き込まれていったのである。

そもそも、政治に自分達の利害、要望を伝えるチャンネルをもたないと感じる人たちがたくさん生み出されたのならば、このような傾向を逆転させ、その人たちも、日々の暮らしの利害に基づいて政治をコントロールする力を持てるようにすることをこそ目指さなければならなかったのだ。
そうせずに、逆に、具体的な生身の人間の事情を離れた、宙に浮いた天下国家論で政治が動かされるようになったからこそ、まじめに暮らしてきた市井の人々の雇用や生業や尊厳を平気でふみにじるような「改革」がまかりとおるようになったのだ。
新たな巨大な利権の発生は、こうした政治姿勢の必然的な帰結である。大衆が自分達のニーズに基づいて政治をコントロールできなくなったら、一部の強者がコントロールするようになることは避けることができない。

同じく、社会的なことのあらゆるコントロールの力とその成果の享受の機会を奪われた大衆の怒りに依拠しながら、まだなけなしのコントロールと享受を残した隣人を指弾することに怒りのはけ口を向け、結果として輪をかけた喪失をもたらす右派ポピュリズムと異なり、全大衆が等しくコントロールと享受の力を取り戻すことを主張することこそ、我ら左派ポピュリズムの道である。

だから我々の間に、自民党の政治家を自己の保身と利権に走る者と描き、その対比で我が方を、利害を超越した天下国家への奉仕者と描く風潮があることは、戒めなければならないことである。
我々は利害を超越すべきなのではない。個人から切り離された抽象的な天下国家を掲げてはならない。ちまたに生きる大衆一人一人の具体的な利害や都合の中に、具体的なまま、あらゆる大衆に通じる普遍的なものを汲み取り、それを政治に反映して実現することをめざさなければならないのである。

さて、れいわ新選組に党員制度はなく、したがって地域支部もないことは周知のとおりである。創業期の高いリスクと責任を創業リーダーが一人で背負う、急速な発展初期にはやむを得ないことであろう。
しかしそのために、地域において、その地域のボランティアグループと、個人後援会(候補者と共に生まれ消滅する選挙区総支部も事実上同じ)と、さらには当選した場合は議員事務所との関係が不明瞭で、矛盾があっても整理するところが現場にない。だから候補者・議員の個性まかせになってしまう。それも、創業期の、山本太郎に負けず劣らず矢傷耐えないリスクを負ってきた猛者たちだからこそ許されたことだろう。今後候補者が増えていくといずれ何らかの対処が必要になる。

普通の政党の場合は、地域の党支部が組織的な判断をして整理するのである。
地域の党支部と言えば、私が35年ぐらい前の大学院時代に、神戸の街中で活動していた当時の社会党の灘総支部は、地域の医療生協の関係者と、いくつかの労働組合の活動家や、学童保育の関係者などが大ぜい集まっていて、彼らのネットワークの結節点を担っていた。彼らはのちに、まるごと、新社会党を結成することになる。

ちまたに生きる大衆一人一人の具体的な利害や都合を反映すると言っても、中央本部がその情報を十分に把握できるわけではない。
仕事や暮らしのニーズが何かということは、大衆のほうから自覚して言ってくれるのはまれで、実際にはしばしば本人にも自覚されないことが多く、ましてや他人にはわからない。それは、運動や事業として提起して、掘り起こし、それが大衆の側に自発的に受け入れられることによってはじめて、具体的に言語化される。自発的に受け入れられなければ、提起の練り直しが必要で、地道な試行錯誤の繰り返しの先に把握されていくものである。
したがってそれは、ズブズブに地域の現場の中にある。

だからかつて私が経験した社会党の地域総支部のように、いろいろな現場で地域の課題に取り組む人たちのネットワークの結節点的な拠点があって、それが大衆の具体的な利害や都合の中の普遍的なものを汲み取って、政治課題として昇華する機能を果たすようになることが理想である。

れいわ新選組の場合、もしかしたら今はまだ各地の候補者個人の魅力に合わせて、いろいろな課題の背景を背負った人々が、政治的な汲み取りを求めて集まってくる段階なのかもしれない。このプロセスが十分進行したあかつきには、地域の課題に取り組む人たちのネットワークの結節点としての地域支部が形成可能になるのかもしれない。
あるいは、このような地域組織の形成には、れいわ新選組という枠組みにこだわる必要はないのかもしれない。
しかしいずれにせよ、この方向性を意識した者は、それぞれの現場の実情に合わせて準備や工夫をする必要はあるだろう。