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普通であることの勇気

「価値のある仕事をしなければならない」
「事業を大きくして、もっと売上を上げなければならない」
「友達の分も一生懸命生きなければならない」

いつからだろうか。こんなビリーフシステム(信念)を持って生きてきたのは。どこで植え付けられたのだろうか。どこで勝手に思い込んでしまったものなのだろうか。

「〇〇しなければならない」って全てhave toだから。

have toとは?
・誰かの期待に応えようとして行った行為 (承認欲求含む)
・社会的に正しいと思っておこなっていた行為
・やらなければいけないと思ってやる行為

「普通」というのは、つまらなくて、退屈なもので、価値のないものだと思って生きてきた。

というのも、私はあまりにも特徴のない人間で、以前お会いしたことのある方に話しかけに行っても、相手に覚えられていないことが多く。それくらいインパクトに残らない個性のない人間だと思っていた。

社会人1年目。仕事でクリエイティビティが求められるような提案営業をしに行ったときに「至って普通。面白くない」とクライアントから言われたことが、何の個性もない私にさらに追い打ちをかけた。

「特別にならないといけない」
「個性を持たなければならない」
「面白くならないといけない」

どんどん自分に鎧を被せていって、どんどん自分らしさというものから、遠ざかっていった。もはや自分らしさを見失った。

今、会社を辞めるという決断をして、価値のあると思っていた仕事から離れ、事業を大きくしないといけないという責任も手放し、ようやく普通である自分を受入れることができた。いや、何にもない普通の自分を受入れざるを得なくなった。

「普通でいい。自分らしくていい。」

大切な人と一緒に、おいしいねと言ってご飯を食べて、お酒を飲んで、休日にお出掛けをして、一緒に音楽を楽しんで。

特別なことは何にもないけど普通にいい。普通って最高。これもあり。
ものすごく時間はかかってしまったけど、have toを少しずつ手放し、徐々に自分らしさが戻ってきた感覚を取り戻せている。
さて、ようやくwant toで生きる土台ができたような気がしている。

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