2020-07-26 から翌日までのこと

2020-07-26 0時過ぎ
病院から連絡があって父の容体が悪くなりいよいよだと言うことを知らされる。
家族とともに急いで病院に向かうが、父は30分前に息を引き取ったと言うことで死に目には会えなかった。

親の死に目に会えないと言うことを結構気にしていたのだが、実際はその日の夕方に会話もしていたりしたせいか妙にそこは問題にならず納得しているみたいだ。

いろいろ手続きがあって早朝自宅に父とともに帰ってくるが、自宅に安置をするのが難しいと言うことで父は葬儀場で過ごすことになる。
父と一緒にいられないのは悲しいなと思っていたが、葬儀場へは何度も会いに行くことができこれも良かったと思えるようになった。
自宅によってアンチが難しいとなったときに、母がおうちに寄ってくれたから納得したと言ったこと、愛犬と父合わせることができたこと、父に対してやってあげたいと言うことができたことが大きいかもしれない。

帰宅後仮眠を取った後、葬儀社の方と打ち合わせ。仮想のスケジュールが私たちの希望通りになったこと、家族葬で外部の方が入らないためゲスト対応にリソースを咲かなくて良いことで父を見送ることに集中している感があり非常に納得感がある

今回の家族葬の形式は、個人の意思つまり父のリクエストでそうしていると言う形になっているが本当のところ父がこういう形を望んでいたのかわからない。父の生前自分の葬儀についてについて相談をしたと言う母の証言だけが頼りだ。

だから厳密に自分の希望通りのお葬式のスタイルに希望がある人は、しっかりとノートなどに書き起こしておくのが良いなと思った。

私と似て人と会うのが好きの父だったので今回のような家族総出3人だけに見送られるのが本当に父の望むスタイルなのかちょっと疑問に思うことがある。でも誰よりも家族と一緒に過ごしたい、家族と一緒に旅に出たいと言う希望があった人なので、このスタイルも絶対に喜んでいるだろうなと言う確信もある。

本人の希望を実際に確認できない今、見送る人たちが不安に思わない納得感のある過ごし方をできるのが1番大切かなと思っている。

家族葬にしてみて良かったなと思う事は、ゲストの方に対して気を使う時間や手間がゼロに等しいため、父のことを思う時間が本当に濃い。家族で父の思い出話に花を咲かせることもたくさんできるし、斎場で眠っている父に会いに行って父と話すこともたっぷりできている感じがある。

少し心配しているのは、今回母の強い希望によって近親者にも父の姿をまた連絡していない。
葬儀納骨が終わってから知らせるつもりだと言っているが、父のお見送りをしたいと思っている人の気持ちと家族だけで見送りたいと思っている私たちの気持ちとすり合わせるのが大変かなと思っている。
まぁこれは後になってみないと実際のところはわからないね。

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