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上石原の釣り

 京王線の上石原【今は西調布などと言う味も素っ気もない名前になっている】という駅から多摩川に向かって20分ほど歩いたところに当時通称ジャリ池というのが点在していた。多摩川の砂は質が良く、しかも川の中ではないところで掘れるので砂利屋がトラックを乗り付けてそこらじゅうを掘り返したのであちこちに大きな池がいくつも出現したのである。もともとは多摩川の河原であった所なのだが川の流れが変わってしまったため大人の拳大の石がゴロゴロしている殺風景なところだが水の中は別世界で綺麗な水がたまっていて水藻が繁茂し鯉や鮒などの魚が沢山棲みついていた。水深は深い所で5―6メートルと思われるが水底までよく見えるため藻の間から大きな鯰が顔をのぞかせてあたりを窺っている様がはっきり見えるのだった。
 Uと二人で日曜日になるのを待ちかねて鯉釣りと鮒釣りに出掛けたものだが、鯉釣りは俗に言うブッコミ釣りでタコ糸の先にテグスと錘をつけ釣り針につける餌は薩摩芋の角煮で、これをブンブン振り回して遠くに投げ込みアタリを待つという原始的な釣りである。ブッコミの仕掛けの手元はそこらにある大きな石に結びつけるだけ。待っている間にウキ釣りで鮒釣りをしようというわけである。鮒釣りの方はと言えば、餌は赤虫で夏の暑い日にはすぐに駄目になってしまうので濡らした新聞紙にくるんで道具箱や大きな石の陰に置いて痛まないようにしておく。ウキは唐辛子ウキという小ぶりなものを使い魚からこちらの姿がみえないように気をつけて藻穴に仕掛けを打ち込むのである。見える魚は釣れないと言うとおり先方からもこちらの様子が見えるのだ。
 夏の日差しは強い上にあたりは見渡す限り丸石の河原で草木一本生えていない。反射熱も相当なものでジリジリと文字通り焼け付くような暑さ。両足裸足になって水の中に漬けながらウキを見つめていると物音一つしない。耳の奥がジーンとするような静けさの中、太陽が容赦なく体中に照りつける。
 と後ろで物音がするので振り返ると大人が一人、長い竹ざおを担いでやってきた。その男は我々の背中合わせにある池の中へジャブジャブと入ってゆくと、腰のあたりまで水に漬かりながら竿を振り始めた。餌は生きた蛙。これを鈎にチョン掛けして藻穴めがけて放り込んだ。ははーこれが鯰のポカン釣りだなと思って見ていたが何事も起きないので、またウキに目を凝らし始めた。時々後ろの方からポチャンポチャンという音が聞こえる以外何もない。そのうち二人は後ろの男のことを忘れてしまった。
 突然、静寂を破ってバシャバシャバシャと水を蹴立てる音が凄まじい勢いで耳に飛び込んできた。何事かと振り向くと先程の釣り師が長竿を肩に担いで猛烈な勢いで岸に向かって遮二無二に駆け寄ってくるのだ。担いだ竿はと見ると水面まで大きく曲がりその糸の先には大きな魚がついていて、それが藻の上をバタバタしながら釣り師の後を追いかけるように滑走してくるのだ。釣り師は陸に上がってもスピードを緩めずさらに突き進む。
 さしもの大魚も抵抗する間もあらばこそ熱い石の上でのた打ち回っているのだった。
 雷魚は夜店の金魚売りが客寄せに置いてあるのを見たことあるがグロテスクで気味が悪い。石の上で静かになった時でも飛び掛ってきそうな雰囲気。
 二人は息を潜めて釣り師と魚を交互に見やっていた。


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