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三番町のお濠

 終戦後すぐは食糧難でどこの家でも大変だったころの話である。
 三番町のお濠【今では千鳥が淵と呼ばれているが当時もその名前がついていたのかもしれない】は宮城を囲むお濠の中で唯一つ魚釣りが許されていた場所で休日になると子供達は手長エビを釣りに行ったものである。日曜日には必ず釣りに行って、月曜日のお弁当のおかずは美味しい手長エビの天ぷらというのが子供心にも大変楽しい遊びと実益を兼ねた行事だった。
 手長エビは餌の赤虫をハサミでつかむと巣穴に持っていって食べる習性がある。大人たちは何本もの竿を出してウキにあたりがでるとそっと竿を立てて水面すれすれにエビを引き寄せて手網ですくうのだが子供の我々には手網など買う余裕はないからもっぱら喰わせ釣りである。
 ウキが横に動き出す。「さあ遠足だぞー」と言って竿を片手に持ってウキの行方を見守る。4―50センチ時には1メートルもウキが横に動くこともある。やがてウキがとまって潜りはじめる。頃合を見計らって竿を立てるとしっかり口に鈎がかかった手長エビがピンピンというアタリとともに釣れてくるというわけである。こんな釣りかたでも一日やっていれば30―40匹の手長エビが釣れたのである。
 さてエビの類は汚い水でも平気でむしろ汚い水を好むのではないかと思うが、このお濠でも一番良く釣れるのは丁度三番町の角の所に下水口がお濠に口を開けていて汚物が水面一面に浮いている場所であった。
 ある夏の終わり私はSとNそれにNの小学生二年生の弟がどうしても連れて行ってとねだるので、四人で手長エビ釣に三番町に出掛けた。
 お濠の石垣に腰掛けて足をぶらぶらさせながら手長エビを釣るのだが、アタリがあってもすぐに合わせなくてもいいので気楽な釣である。お濠の石垣は急斜面の土手を背中にして幅40センチくらいの石組になっているだけなので気をつけて降りてこないと危険なのである。初めのうちはNの弟に注意を払っていたがそのうちにそんなことも忘れてしまい、みんなでお弁当のお握りをパクついたりしながら一日楽しく過ごしていた。
 すこし日が翳ってきてそろそろ帰ろうかと立ち上がりかけた時、横の方で「ジャッポーン」という大きな水音がした。一瞬キョトンとした我々はすぐにNの弟が落っこちたことに気がついた。大急ぎで駆けつけたのだがお濠の石垣というのは水面まで一メートル以上もあり手を伸ばしても子供の手では届かない。竿をだして掴まらせようとするのだが溺れている弟はもがくばかり。みんな頭の中は真っ白になってしまいどうしたらよいか分からない。
 その時、一人の青年【多分釣り帰りの人だったと思う】が文字通り風のように駆け寄ってくると其の儘ザブーンと飛び込んだ。弟を石垣近くの背の立つところまで引っ張ってくると子供を差し上げるように石垣の上に助け上げてくれたのだ。
 まだ小学生5年の我々はただ茫然自失。
 あの肥溜め同様のお濠に飛び込んで子供を救ってくれた人はどうしても名前も教えてくれずに服の裾を絞ると黙って土手を登って行った。
 肥え桶におちた子供は馬鹿になると言うが幸いNの弟はその後そんなこともなかったのは一にも二にもあの時飛び込んで助けてくれた青年のお陰であるし、我々にとっても救いの神の出現だったのだ。


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