馬鹿な鯰の話
昭和三十四年の夏私は釣友のUと成城学園の下を流れている川に鰻を捕りに行った。
この川は町の真ん中を流れているため川底はガラスの破片や瀬戸物のかけらが無数に打ち捨てられていて古くなった三輪車や古畳までが引っ掛かっているという大変な川であった。橋の上から見ると川底も浅くゴミだらけの川でとっても鰻が捕れるとは思えない場所なのだが鰻は確かに居たのである。
仕掛けは簡単、一メートルほどの竹竿にタコ糸をつけこれに直接生きた泥鰌を鈎掛けして夕方にここぞという場所に竿を挿しておいて翌朝早く回収するというものである。
鰻は昼間は石垣などの隙間にもぐりこんでじっとしているが夜になると本流に出てきて小魚やザリガニ、流れてくるミミズなどを捕食する性質があるのでこの習性を利用した釣りである。ただし何十本も仕掛けておいても鰻が一匹も捕れないこともある。この日はたまたま運がよく早朝自転車で駆けつけて橋の上から川面を見ると長い白いものがうねっているのが見えた。脱兎の如く橋際から駆け降りるとジャブジャブと川に入っていった。
一メートルはあろうかという立派な天然うなぎである。首の周りにタコ糸を幾重にもまきつかせながらも猛烈に抵抗するのでなかなか取り押さえることができない。用意していった大ザルに入れてもすぐニュルニュルと脱走しかける。ついに意を決して鰻をザルのなかに入れるやお腹にぴったりと押し付けて大急ぎで岸に上がりほっと一息。ところがこの鰻のニュルニュルというやつはまことに始末のおえないものでジャンパーにこびりついたのをどうやってもとれないのでとりあえず泥を塗りたくって次の仕掛けを上げにかかる。
今度は竿がしなっていて糸は深場へピンと張って引き込まれている。深場には大抵上流から流れてきた枯れ柴が折り重なっていて、その中に魚が逃げ込んでいるのである。しかしこちらの糸はタコ糸であり力まかせに引っ張るとポコツという感触と共になにやら白いグニュグニュした子供の拳位のものが鈎先についてきた。
「なんだこりゃ?」 気味が悪いので鈎から外して川に捨てる。次の鈎もおなじである。そのうちにやっと四十センチくらいの鯰がつれた。地方によっては鯰はご馳走であるが我々二人とも鯰なぞは喰ったことがないからあまり嬉しくは無い。なにしろ大鰻を捕ったところだから豪気なものである。そうこうしているうちに鯰を五本ほど取り込んだ頃、今度の奴は深く鈎を飲み込んでいてどうやっても外すことができない。エイャとばかりタコ糸を引っ張ると驚いたことに「ポコッ」というさきほどの感触と同じ手ごたえで鯰の口の中から白いグニャグニャが飛び出してきた。つまり鯰の胃袋は丁度とかげの尻尾と同じで、イザという時は一部が外れて本体は無事生き延びるという仕掛けだったのだ。しかし考えて見ると、この鯰は人間に釣り上げられる前にこの離れ業を使えば逃げられるのに食い意地が張ってたのか敵の手中に落ちてから伝家の宝刀を抜くというあたりがじつに可笑しいのであった。