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誰が海に魔法をかけたのか

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誰が海に魔法をかけたのか

ヨットは夜の海で迷子になっていました。

誰も乗っておらず、操縦する人はいません。
ヨットはもうイヤになってしまったのです。
人間に、ぐいぐい引っ張られたり、操られたりすることに、疲れていました。

それで旅に出たのです。
というよりも、うっかり旅立ってしまったのです。

その日の朝、ヨットの持ち主の人間が、セーリングの準備をしていました。
良い風の吹く祝日でした。
人間が帆をマストに立てて、ロープを結んだ瞬間に、突風がヨットハーバーに吹きました。
ヨットは突然に「今だ!」と思いました。
そして思いっきり帆を膨らませると、人間を振り落としてすごい勢いで港を出ました。
落とされた人間がさわいでいるのが、後ろの方で聞こえてきました。

「やってやった!やってやった!」
ヨットは興奮して言いました。
こんなことを自分がやってのけるなんて、思ってもいなかったのです。
はじめのうちは調子のいいものでした。
風の向くまま、気の向くままに海を滑り、ヨットハーバーはずっとずっと遠くに見えました。

ところが、ヨットはだんだん弱気になってきました。
「大変なことをしてしまった」
ヨットは泣きべそをかきました。あの突風が吹いたから、思わず勢いがついてしまったのです。
「あの人間だって、ぼくのことを大切にしてくれていたじゃないか」
確かにヨットは隅々まで磨かれ、手入れが行き届いていました。

日が暮れてきました。気がつくと陸地は見えなくなっていました。風も止みました。
「困ったことになったぞ」
ヨットはいよいよ焦り始めました。
もし突然嵐でもやってきたら、ヨットはひとたまりもないでしょう。

空には月が昇り、波がちゃぷちゃぷと穏やかな音をたてていました。
静かな夜でした。
「こうやって、ほんの束の間の自由を楽しんで、ぼくは波にのまれて沈んでしまうんだ・・・」
ヨットはひとりごち、ほろりと涙をこぼしました。
海の真ん中というのは、なんてひとりぼっちなんでしょう。
空も海もどこまでも続いて、まるで出口のない永遠の中に放り込まれてしまったようでした。

その時、どぽん、と何かが跳ねた音がしました。
おどろいて水面を見ると、魚の影が見えます。それも大きな大きな黒い魚です。
どぽん、また魚が跳ねました。そしてそれを合図に、
どぽん、どぽん、どぽん、どぽん・・・無数の魚がヨットの周りを跳ねはじました。
ヨットは驚きと恐怖で縮み上がりました。

魚の数はどんどん増えて、次第に同じ方向に向かって泳ぎ出しました。
無数の魚の黒々した体が、月の光に照らされて、ぬらぬらと光っています。
その姿は闇夜の波そのものでした。
波はヨットをぐいぐい運んでいきました。

「ちょっと待って、君たち、ぼくをどこへ連れて行くのさ!」
ヨットは恐ろしくなって叫びました。
魚たちはひたすら前を向いて泳ぎ、答えてはくれません。ですが、ヨットの真横を跳ねた魚が、パチンとウインクしたようにも見えました。
「なるようにしかならないってことか」
ヨットは半ばやけくそになって、魚たちと同じように前方をじっと見つめました。

誰が海に魔法をかけたのか、ヨットの長い夜は始まったばかりです。


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額縁サイズ:訳220mm×275mm
使用画材:水彩・アクリルガッシュ
27,000+tax

-個展詳細-
個展「筆が編むレース」
2021/8/25(水)~9/5(日)
at ranbu Space A → http://blog.ranbu-hp.com
12:30-19:30 火曜日定休

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