芋虫が蛹になるように
小さい頃、庭に山椒の木があって、毎年たくさんのアゲハチョウがそこに卵を産んでいた。
母は卵のついた葉を見つけるとハサミで切り取って家の中に持ってきては、虫かごに入れて観察していた。あれは子どものために、というよりは、母自身が単純に生き物好きだったのだと思う(私が巣立った今もコオロギやカナヘビ飼ってる)
卵から孵ったばかりの、指先ほどの小さな小さな芋虫は、茶色と白のイガイガ。そこからモリモリ葉っぱを食べて、緑色になっていく。あのもにょもにょが苦手な人も多いだろうけど、卵の段階から共に暮らしていると意外とギョッとはしなくなる。(と、思う)
当時おそらく4〜5歳だった私は平気でもにょもにょ達に触ることができたし、何なら手に乗っけて撫で撫でしていた。そんなことをするとニュッとオレンジ色のツノを出されるのだけど(ツノと同時に柑橘系の匂いを発して敵を威嚇するんですよ)毎日毎日飽きもせず撫で撫でされるともにょもにょ側も慣れてくるのか、次第にニュッとしなくなった。またこいつかよハイハイ、というような顔。(に、見える)
ある日、もにょもにょは突然いなくなる。あれ?いないなーと思ったら、柱に登って、高いところでじっと動きを止めている。そしてしばらくすると蛹になる。そして数日後、朝起きると部屋の中をパタパタとアゲハチョウが飛んでいるのでした。これまで生きてきて、家の中でアゲハチョウを芋虫段階から放し飼いにしていた人には出会ったことがない。
すべての卵が無事に孵るわけじゃない。すべての芋虫が無事に蝶になれるわけじゃない。食べられたり、途中で別の虫に寄生されてしまったり。蝶になれたとしても、片方の羽がしわしわのまま開かなくて飛べなかったり。
片羽が開かず飛べない蝶を、家の中で死ぬまで世話したことがある。5歳頃だったかもしれない。砂糖水を染み込ませた脱脂綿をあげると、くるくると巻いたストローのような口で吸っていた。飛べないけれど歩くことはできるので、一緒に家の中を散歩したりした。
ついにその子が死んだとき、「これまで生きてきていちばん悲しい」と母に言ったのを未だに覚えている。命には限りがあること、同じ種類の蝶はたくさんいても、あの片羽には二度と会えないんだということ。
生まれることも死んでいくことも、自然の摂理。必ず別れは来るのだから、一緒にいられる間を大切に過ごす他ない。
私の死生観はその辺から生まれた気がします。
芋虫は蛹になって、一度自分の身体を完全に溶かす。溶かして、全く別の形に生まれ変わる。
今年に入ってこの数ヶ月の間に、新型コロナの流行があり、自分の妊娠があり、新しいアルバムを制作したこともあり、もう全くガラリと世界が変わってしまった。3月頃の写真を見返すと、何年も前のことのように感じる。
8月から11月末までは産休の予定で、その間に世の中の状況がどうなるのか、私自身の生活は出産を通じてどう変わるのか、全く予測できないなと思っていますが…
今の直感としては、「これまでと同じライブはやらない」という感じです。同じ場所でやるにしても、同じことをやるにしても、この数年築いてきたものを一度すべてリセットしてまたゼロからスタートするような、そういう心持ち。
変化していくこと、何かひとつの流れが終わってまた新しく始まっていくこと。これまで近くにあったものが遠のいたり、また年月をかけて近付いたり。そうやってゆるやかな波のように色んな物事と付き合っていけたらいい。
離れていくものを無理に留めたり、縛りつけたり、不自然なことにはやっぱり無理があって、歪みが出て、いつかどこかでその歪みが爆発を起こすものだと体感として知っている。
自然体でいることと、社会や他人のルールに合わせて生きるってことの間には、どうしたって矛盾が生じるんだよね。
とはいえ、急にバサッと仕事をやめるとか、家族から離脱するとか、そういう大きな変化には相当なエネルギーがいるし、不安もあるし、そう簡単にいかないことが多いと思うのだけど…
「自分は今、しんどい」と自覚して、何がしんどいのか、そのしんどさを少しでも緩和するにはどうしたらいいのか、1mmずつでもいいから心が喜ぶ方を選択していけたらいいなと思う。
うん。1mmでいい。
もはやその行動が辛すぎるくらい気力がないときはとにかく毎日睡眠を長く取ること、美味しいと思えるものを食べること。
休むこと。
この矛盾だらけの世を生きてるだけですごいエネルギー使うし、揺さぶられるし、疲れるので(笑)強制的にシャットダウンして休むのってほんと大切だなと思います。「ばかやろー!疲れた!休みたい!」という身体の声を大切に…
日々流れてくる様々な悲しいニュースを見て、そんなことを考える今日この頃です。
ゼロからの再スタート。じゃあ実際どんな感じになるのか?何をするのか?それはまたその時になってみないとわからない。
今の自分じゃ思い付かないようなことを、3ヶ月後の自分は提案してくるかもしれない。
そのことを楽しみにしている。
深夜の徒然でした。
ありがとう。
松本佳奈
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