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インターネット・コミュニケーション論no.2


関西大学社会学部「インターネットコミュニケーション論」の第2回の授業内容です。(約11,000字)


メディアって?

「メディア」と言われてみなさんがイメージするのはどういったものでしょうか?テレビや雑誌、ラジオなどのマスメディア、TikTok、You Tube、InstagramやTwitterなどソーシャル・メディアでしょうか。

例えばテレビや雑誌、広告などはマス・メディアと呼ばれます。マス・メディアの「マス(mass)」は「大衆」という意味で、広く大衆に向けたメディアを指します。テレビや雑誌、ラジオなどがそれにあたります。またTikTok、You Tube、InstagramやTwitterなどはソーシャル・メディアと呼ばれます。マス・メディアは発信するのはテレビ・ラジオ局や出版社など受信者と比べて少数に限られますが、ソーシャル・メディアは発信する人も受信する人も広く参加できることが特徴です。個人と個人をつなぐメディアとして電話や手紙があります。これらはパーソナル・メディアと呼ばれます。

メディアというとPCとかスマホやタブレットとかいわゆる「機器」をイメージする人もいるかもしれません。もちろんそういう理解もありますが、このようにコミュニケーションの構造に着目して整理してみることもできます。

これらマス・メディア、ソーシャル・メディア、パーソナル・メディアを思い切りシンプルに示すと以下のようになります。技術の発達の順で言うとパーソナル・メディア、マス・メディア、ソーシャル・メディア、となるでしょうか。

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ただし、みなさんが実際にメディアと接している状態を考えると状況はもう少し複雑です。スマホでTwitterを見ている状況を考えてみましょう。Twitterというプラットフォーム自体は発信者も受信者も多いソーシャル・メディアと言えます。しかし、何千万人というフォロワーがいるような発信者からすると、多くの人の目に触れるマス・メディアでもあります。また、テレビや雑誌などマス・メディアのアカウントも存在します。さらに、スマホは電話の延長線にあるメディアとも言えますし、TwitterもDMやコメントなど個人とコミュニケーションを取ることも可能です。

メディアはパーソナル・メディアからマス・メディアに、そしてソーシャル・メディアへと発達してきたように見えますが、それは半分正解で半分不正解な見方なのです。メディアが新しい技術によって発達してきたのは事実ですが、発達することで全部が入れ替わったわけではなく、

(1)組み合わさることで新たな使い方や意味が出てくる

(2)新しいものが出てきたことで「古くなった」メディアはこれまでとは異なる使い方や意味が出てくる

ということが絶えず続いていると捉えることが重要かなと思います。

例えば、みなさんの多くは写真を撮るときはスマホを使っていると思いますが、一方でここ数年あえて「写ルンです」のようなインスタントカメラを使う人も出てきました。「写ルンです」は1986年に発売された使い捨てカメラ、インスタントカメラとして知られていますが携帯電話、スマホの登場でほとんど使われることがなくなりました(実は使い捨てカメラ・インスタントカメラではなく「レンズ付きフィルム」ですが)。

しかし近年、独特の懐かしい雰囲気の写真を撮れるということで一部で人気が出てきています。また「写ルンです」で撮った写真をソーシャル・メディアに投稿するという使い方もされています。2022年9月の時点でInstagramの「#写ルンです」は112万件を超す投稿があります。

こうした今までとは異なる新たな意味を見出すことによるイノベーションはR. ベルガンティによると「意味のイノベーション」と呼ばれています。意味のイノベーションについてはこちらを見てください。

意味のイノベーションは主にプロダクトについてですが、メディアの意味・価値を考える上でも有効な視点だと思います。

モバイルメディア・ソーシャルメディア時代の世界観

現代のみなさんのメディア環境を考えるとその中心はスマホを中心としたモバイルメディア、TwitterやInstagramなどのソーシャルメディアではないでしょうか。こうしたモバイルメディア、ソーシャルメディアが広がっている時代・社会はどのように捉えられるのでしょうか。

先ほど示した図に加えて以下のようなイメージで整理できるでしょう。この後の部分でそれぞれについて少し解説していきたいと思いますので、どんな図だったっけ?と思ったらここに戻りながら学習していっていただければと思います。

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メディア環の変遷

「1対1」「1対n」から「n対n」へ

メディアにはスマートフォン、テレビや新聞、雑誌などさまざまなものが挙げられますが、それらを発信者、受信者という視点から区分してみましょう。ある人からある人へのコミュニケーションをパーソナル・コミュニケーションというように、発信と受信が「1対1」のコミュニケーションを媒介するメディアはパーソナルメディアと言われます。例えば、電話や手紙などがそれに該当します。

私たちがメディアとしてすぐに思い浮かぶテレビや新聞、雑誌、ラジオなどは少数から大衆(mass)に向けて、すなわち「1対n」で発信されることから、マスメディアと呼ばれます。近年のインスタグラムやツイッターなどソーシャルメディアは発信する人も受信する人も多数の状態を可能にする、すなわち「n対n」のコミュニケーションを可能にするメディアと言えるでしょう。

こうした「1対1」のパーソナルメディア、「1対n」のマスメディア、「n対n」のソーシャルメディアという区分は一見わかりやすいが実際の状況はもう少し複雑です。スマートフォンにはこれらすべての機能が含まれて、持ち運べる状態にしているからです。私たちはスマートフォンで電話やメールもしながら、ニュースや動画を見たり、インスタグラムやツイッターなどを利用したりする。こうした状況のなかで、個人的なメッセージと思ってツイッターに投稿したものが他の人の目にも触れて炎上したり、逆に広く投稿したことで探していたひとりの人にメッセージが届くというケースは今や多く見られます。ツイッターには新聞社やテレビ局などのマスメディアのアカウントと、個人の記者やカメラマンなどジャーナリスト個人のアカウントが混在していますし、インスタグラムにはアパレルブランドのアカウントと店員の個人アカウントが混在しています。

2023年5月の時点でサッカー選手のクリスティアーノ・ロナウドのフォロワーは約6億、歌手・女優のセレーナ・ゴメスは約4億2000万、テレビパーソナリティのケイリー・ジェンナーは3億ものフォロワーがいます。個人の発信を瞬時に何億という人が目にすることができるという状況です。

他にも「ニュースピックス(News Picks)」は、ニュースを広く伝えるマスメディアのようでもありますが、それぞれのニュースにさまざまな「ピッカー(Picker)」と呼ばれる人たちがコメントをつける点がテレビや新聞といったニュースメディアにはない、一種の付加価値となっている。Yahoo!ニュースなども同様です。そういった意味で、ソーシャルメディアによる「n対n」のコミュニケーションには発信者と受信者が多数いるというだけではなく、その中に「1対1」「1対n」のコミュニケーション形態も含まれている状況ということもできるのです。

「つなげる」「並存する」から「重ねる」へ

コミュニケーションという言葉は「伝達」や「通信」という意味だけではなく、実は「交通」という意味も含まれています。このことはかつては手紙などを運ぶための手段として馬車や鉄道など交通手段が必要であった・あることを示しています。馬車で運んでいた手紙が鉄道、飛行機などより速度の速いものに、というように、メッセージが相手に到達する「早さ」はそれを輸送する手段の「速さ」に依拠していました。そのためメッセージをより速く、より手軽に伝達・輸送することがメディアの大きな方向性のひとつだったのです。

また、もうひとつのアプローチとして、古くは狼煙や鐘、そして電話、ラジオ、テレビ、インターネットに至るまで、メディアはメッセージを物理的なものから解放することで一度に大量に伝えることを可能にすることで速度を限りなくゼロに近づいていきました。こうしたメディアの発展の方向性は大きく言えば、「つなげる」ことにあったと言えるでしょう。

こうした「つなげる」ための速度が限りなくゼロに近づいたことで、メディアは離れていても「いま・ここ」にあるように「並存する」ことを可能にしました。とりわけラジオやテレビなどのメディアは離れた場所で多くの人がほぼ同時に、見たり聞いたりすることができるようになったのです。二〇世紀前半のアメリカでF・ルーズヴェルト大統領が「炉辺談話(Fireside Chat)」と言われるように、ラジオで国民に直接語りかけたりしました。

また戦後の日本では街頭テレビによってプロレスや野球が中継されたり、また成婚パレード、東京オリンピックなどがテレビ普及のきっかけとなったのです。

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街頭テレビ

現代的にはサッカーなどのパブリックビューイングを思い浮かべてもらえば分かりやすいかなと思います。

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パブリックビューイング

これらの中継を聞いて、見ている私たちからするとマスメディアによって離れた場所にも自分が存在するような感覚を持つことが可能になりました。まるでその時、その場所に自分がいるかのような臨場感、ライブ感、生中継という概念もこうしたメディアの「並存する」ことを志向していくなかで出てきたものであると言えるでしょう。(※このあたりはメディア史やマスコミの歴史などで詳しく触れている部分かもしれません。)

「つなげる」「並存する」ことを可能にしたメディアはさらに「重ねる」ことを志向し、実現させています。先ほども説明しましたが2000年代半ば以降のスマートフォン、そしてソーシャルメディアの発展と普及はオンラインとオフラインを切り離されたものではなく、相互に参照する経験を生み出しました。社会学者の鈴木謙介(2013)は下の図のようにスマートフォンなどによって物理空間にさまざまな情報が入ってくる「孔」が開くことで、ひとつの場所をひとつの意味に固定することができない状況を「多孔化」と呼んでいます。

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多孔化する世界

例えば、2009年に東京・秋葉原にあるヨドバシカメラマルチメディアAkibaにニンテンドーDSのゲーム「ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人」の「すれちがい通信」のために「ルイーダの酒場」が設置されました。このようにゲームのために物理的な場所が設置されたことなどはその象徴と言えるでしょう。ここではすれちがい通信をしている人、そうではない人で同じ物理的な空間・場所であっても意味が異なります。

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すれ違い通信

※2020年以降はすれ違い通信ではなくカラオケパセラと連携した「LUIDA'S BAR」として運営されています。

ソーシャルメディアで現実の経験を共有するだけではなく、逆にメディアでの経験のために現実の空間や経験が再編されたり、つくられていくようになっていきました。また写真を中心としたソーシャルメディアやインスタグラムが流行するのに伴って、「インスタ映え」する観光名所や食べ物などが発掘、共有されていくのと同時に、例えば「#天使の羽」に代表されるような「インスタ映え」するような場所や、食べ物、またインスタグラムの画像の枠を模したパネルなどがつくられていきました。このあたりはインスタのところで改めて取り上げたいと思います。

他にも映画、ドラマ、マンガ、アニメの聖地巡礼も「重ねる」経験と言えますし、2.5次元ミュージカルも原作を再現するというよりも原作と舞台とを「重ねる」経験として捉えることができると思います。例えば下の映像を見るとさまざまな小道具、大道具そして音や映像といったテクノロジー(を重ねること)によってつくられていることが分かると思います。またそれを見る私たちも原作と目の前の舞台とを脳内で重ねることを楽しんでいる、と言えるのではないでしょうか。

またAR技術はこうした「重ねる」についてよりさまざまな可能性を広げています。それをもっとも分かりやすい形で示したのが2016年に任天堂から発売された「ポケモンGO」です。スマホのカメラとARとを組み合わせて実際の都市空間とゲームの情報を重ねて新しい経験をつくりだしたのです。「ポケモンGO」の人気やその影響、また課題について次の記事がまとまっていますので参照してみてください。

また海外でもニュースとしてとりあげられました。

他にも超人スポーツ協会というものがあります。超人スポーツ協会とは聞き慣れないと思いますが、webページ(https://superhuman-sports.org/)では以下のような目的を掲げています。

「超人スポーツ」は、現代のテクノロジーでスポーツを再発明します。

超人スポーツ協会

人間の身体能力を補綴・拡張する人間拡張工学に基づき、人の身体能力を超える力を身につけ「人を超える」、あるいは年齢や障碍などの身体差により生じる「人と人のバリアを超える」。このような超人 (Superhuman) 同士がテクノロジーを自在に乗りこなし、競い合う「人機一体」の新たなスポーツを創造します。

超人スポーツ協会

超人スポーツのの映像を見てみましょう。このような超人スポーツのコンセプトは年齢や障碍などを乗り越えた多様性を切り拓く可能性を秘めています。これはARに限らずe-Sportsを含めてデジタルゲームは「子どが楽しむためもの」「大人も楽しめるもの」であるだけではなく平等な多様性をもたらす・感じるためのもの、と捉えることができると思います。

今後の方向性として技術者ガリット・アリエルはAR技術をデジタルレイヤーと捉えて私たちの環境がどのようにデザインされうるかについて興味深い話を展開します。こうしたメディアはテクノロジー、デザイン、ビジネス、都市などさまざまな領域に広がっています。そのなかで社会学、メディア論、心理学など社会学部での学びをどのように応用できるのか、は大事な視点ですし、みなさんの大きな武器になっていくでしょう。

ここまでをまとめるとメディアによるコミュニケーションは離れている距離をゼロにすべく、つなげ、並存することで新たなコミュニケーションの形態を生み出してきました。2010年代にはさらに、オンラインとオフライン、バーチャルとリアルを「重ねる」ことで新たなコミュニケーションの形態や空間を生み出していったのです。

「拡張する」「適応する」から「フィットする」へ

マクルーハンはメディアを含むテクノロジーを人間の身体機能の拡張だと捉えていました。(※先ほどの超人スポーツもそういう意味ではメディアの原点に立ち戻ったものとも言えるのです。)こうした視点はメディアを人間と外の世界とをつなぐインターフェイスとして捉える視点でもあります。

20世紀以降、ラジオやテレビなどマスメディア、また電話や携帯電話などのパーソナルメディア、さらにインターネットによるソーシャルメディアが発展し、私たちの日常生活のなかに普及するのに伴って、私たち自身はそれらを通じたコミュニケーションに対して意識する・しないに関わらず、どのように向き合うか・扱うか、という「適応する」段階に入ったと言えるでしょう。

例えば、「リテラシー(Literacy)」は文字の読み書きに関するスキル全般を指していました。もちろん、文字そのものがひとつのメディア、テクノロジーなのですが、1990年代以降、「リテラシー」はメディア・リテラシー、あるいはコンピュータ・リテラシー、ネット・リテラシーなどに見られるように、メディアに囲まれた環境でメディアに接する、あるいは適応していくスキルとして捉える解釈が広まっていきました。すなわち、私たちはテクノロジーを使い、自分たちの身体機能を拡張しているが、メディアが普及してくるとそれらをどのように使いこなすのか、またそれらを前提としてどのように接する、適応するのかに力点が置かれるようになったのです。

2010年以降、モバイルメディアの普及、GPSや音声認識機能の向上により、メディアを介してのコミュニケーションは人間以外とも行うようになりました。これはメディアでのコミュニケーションを通じて自分の望ましい環境にしていくという、「フィットする」ことへの志向と言えるでしょう。2009年のNTTドコモによる「iコンシェル」サービスはは携帯電話、スマートフォンにある情報をもとにスケジュールや交通・気象情報などを知らせてくれるものでした。2011年にはiPhoneにAIを利用した音声認識アシスタント「Siri」が搭載されました。同様に2014年にはAmazonから「アレクサ(Alexa)」が、2016年にはGoogleから「グーグル・アシスタント」が登場しました。みなさんのなかにもこれらを利用している人もいるかも知れません。

これらの映像を見ても分かるように、音声認識システムを搭載したホームスピーカーはインターネットにつながりながら、情報だけではなく、家庭にあるさまざまな電気製品と接続しつつ、コントロールできるようになりました。ホームスピーカーに見られるような技術、サービスの展開は私たち自身の身体機能の拡張や適応というよりも、周囲の環境そのものに直接働きかけ、自分に合うように「フィットする」コミュニケーションの形態と言えます。

こうしたモバイルメディアによって「フィットする」サービスは自宅に限らず都市にも広がっています。さまざまな地図アプリやナビアプリ、先にも述べた「ポケモンGo」はメディアがもたらした社会に自分が適応するというよりも、自分の状況に合わせてサービスを活用し、周りから「フィットする」という世界観をもたらした。例えば、地図アプリやナビアプリは自分が地図や路線図を読みこなすことが求められるのではなく、どの方向に行くのか、どの電車、バスに乗るのか(さらにどの車両に乗るべきか)をリアルタイムで知らせてくれます。そもそも車もナビなしで乗る人はほとんどいなくなっていると言っても過言ではありません。

ウーバー(Uber)やグラブ(Grab)などのライドシェアサービス、さらにはブラブラカー(Bla Bla Car)のような相乗りサービスなどに代表されるように車という移動手段も自分がレンタカーを借りるというよりも、自分の状況へのマッチングを行うことで「フィットする」移動を提供するサービスと言えるかも知れません。

こうした変化はモバイルが示す移動するという領域だけではありません。例えば小売・流通業界も変容しつつあります。アメリカで展開するAmazon Goはレジがなく、モバイルで自動的に決済が行われます。

中国もモバイルでの決済、宅配サービスが非常に展開している地域のひとつです。例えばフーマ―フレッシュはモバイルでスーパーに売っている生鮮食品を短時間のうちに宅配してくれるだけではなく、売り場でもモバイル決済したり、選んだ商品を宅配してくれます。またその場で食べるといったフードコート的な場所も用意されている店舗もあります。僕の友人で上海生活が長かった人もフーマ―フレッシュをよく利用していたし、コロナの影響で自宅待機が続いているなかでその品質やサービスはより良くなったと言っていました。

このフーマ―フレッシュを運営するのはスーパーではなくネット企業のアリババです。つまり、オンラインが中心にあり、その経験の一環として実際の店舗を運営していると言えるでしょう。

Luckin Coffeeも同様にモバイルを中核としたサービスで展開してきました。(※ただし2020年4月に不正会計問題で上場停止、株価急落となっています。)

ゴーストレストラン、ゴーストキッチンと言われているレストランの業態も同様ですね。

ここで紹介した事例はビジネス領域ではOMO(Online Merges with Offline)というコンセプトで説明されます。「Merge」とは「溶け合わせる」という意味で、オンラインがオフラインを溶け合わせている経験、サービスを指すものです。似た概念にO2O(Online to Offline)がありますがこちらはソーシャルメディアなどネットを活用してオフラインの店舗に来てもらうという、どちらかというと広告やマーケティングに近いものでOMOはそれを更に進めたものと言われています。

近年ビジネスで言われだしたDX(Digital Transformation)もこのようにメディアがオンラインとオフラインを統合する経験を生み出しているという文脈から理解できるかと思います。

このあたりは書籍『アフターデジタル』でも詳しく載っていますので関心を持った人は読んでみるといいと思います。

ちなみに2020年7月にはコロナ禍の状況も入れ込んだ続編も登場しましたのでもしかするとこちらからの方がいいかも知れません。

ざっくりと内容を知りたい人は↓を読んでみてください。

また中国におけるネットと買い物経験についてはこちらのTED動画も参考になるでしょう。中国の事例は莫大で包括的なデータの収集と活用が可能にした便利や機能、ユーザー経験と同時にまたそれに伴う個人情報などのデータ管理、監視などの課題も私たちにつきつけてきます。

日本ではこうしたサービスはまだまだこれからという状況です。事例をあげるとすると2017年に発表(現在は販売中止)された「ZOZOSUITS」もテクノロジーを介してこうした「フィット」を志向するサービスだったと言えます。送られてきた「ZOZOSUITS」を着てスマートフォンアプリを使って撮影すると自分の体型が計測され、そのデータにもとづいて自分の体型にぴったり合ったサイズの服を注文することができるというものでした。これまでもオーダーメイドの服はありましたが、自宅でスマートフォンのアプリを使いながら「ZOZOSUITS」を着て自分の身体を3Dモデリングをし、ぴったりフィットする服を注文することが売りになっていました。

ただしこれらの「フィットする」を意識したサービスはさまざまな問題もあり、定着していない部分もあります。しかし技術的には可能だということが示されていますので、今後ビジネス、サービスを練り直したものがまた登場する可能性は高いと思います。

「いつか・どこか」「いつでも・どこでも」から「いま・ここ」へ

どのようにコミュニケーションができるかというモードに着目するとかつて石版や書物などまで遡ると記録として残すこと、つまり「いつか・どこか」のコミュニケーションは重要な課題でした。それがマスメディアの時代、そしてネットの時代になると「いつでも・どこでも」というモードが重視されるようになりました。

ここまで紹介した変容やそれを象徴するアプリ、サービスを通底する特徴のひとつは「いま・ここ」を把握したり、共有することにあるとも言えます。モバイルメディア、ソーシャルメディアはリアルタイムに位置情報をはじめさまざまな情報を把握・共有できることで「いま・ここ」のサービスや行動を展開できる世界を可能にしたと言えるでしょう。例えば、みなさんは知らない街を歩くときにはGoogleマップを見ながら歩くと思いますし、また目的地まで電車で行くときに乗り換えアプリを見ながら移動していると思います。これらも「いま・ここ」と連動することで自分がどこにいる、何時に着きそう、といったことまで分かるというこれまでの地図や路線図とは異なる経験と言えます。またお店のサービスクーポンなども紙でもらって「いつか・どこか」で使うのではなくスマホで「いま・ここ」で使えるものが増えてきました。

また企業の視点から考えてみましょう。こうしたサービスはもともと食料品やコーヒー、ファッションを扱っていた企業がテクノロジーを導入したというよりもテクノロジー企業がこれらの領域に進出してきた事例と言えます。今後もこのようにテクノロジー企業が、あるいはテクノロジーを起点としてそれまでテクノロジーと相性が悪い?といわれていた領域で新たな経験を売りとしてサービスを展開するという事例は増えていくと思われます。

みなさんも就職を考えたときに何となくメディア業界に行きたいと思っている人も多いと思います。ここまで見てきたようにメディア業界はテレビや新聞、広告などのマスコミやネット企業だけではなくさまざまな領域に広がっていますし、逆にこれまでテクノロジーとは縁がなさそうだった企業にとってメディアに関する知識や思考法を身につけた学生は価値がある状況になっていると思います。さらに言えばビジネスだけではなく、家族や地域、福祉、都市のあり方など社会学で検討されてきたテーマにおいても今後どうなるのか、どのようなことが可能になるのか、とも関連してくるでしょう。

そういった視点で企業がどのようなビジネスをしようと思っているのか、逆に気になったサービスや商品はどこがつくって、提供しているのか、またそのサービスや商品の本質は何なのか?を考えてみるのはよいトレーニングになると思います。

オフライン中心のオンライン経験からオンライン中心のオフライン経験へ

以上で見てきたように、2010年代のメディア・コミュニケーションの特徴は「n対n」「重ねる」「フィットする」の3つにまとめることができます。そして、近年の私たちの生活をめぐるさまざまな変化やサービスの登場も発信者と受信者が多数いるというだけではなく、その中に「1対1」「1対n」のコミュニケーションの形態も含まれている「n対n」、オンラインとオフライン、バーチャルとリアルを「重ねる」、自分が適応するのではなくスマホなどを利用し自分に合う環境を構築し、「フィットする」という視点から整理することができます。ぜひそういう視点で自分の生活や街での風景を見てください。

こうした変容は別の言い方をするとオフライン中心のオンライン経験からオンライン中心のオフライン経験へ、と言えます。これまではオフラインの生活がありそれを便利にするという視点でメディア、インターネット環境やそれに関連したサービスが開発されたり、利用されてきました。しかし、近年のモバイルメディア、ソーシャルメディアによる変容はまずオンラインがあり、その出口や拡張としてオフラインの経験がある、と言えます。このことはビジネスやエンターテイメントさまざまな領域で見られるものですし、今後は例えば不動産や観光、また行政などの領域にも広がっていく可能性はあります。

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今回はこのあたりで〆たいと思います。次回はモバイルメディア、ソーシャルメディアの展開について少しデータやコロナ禍の状況なども参照にしながら「シェアしたがる心理」に関連していくように進めていきたいと思います。



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