樋口円香に花束を

本記事は、2023年10月27日に研究室ブログに掲載したものの再掲である。


私事で恐縮だが、私の父は恐ろしく趣味のない人間である。しかし、何年かに一度の頻度で、何かに異常なほどにのめり込むことがある。一時期はコーヒーを挽くのにハマり、寝ても覚めても豆を挽いていた。

「アイドルマスターシャイニーカラーズ」(以下シャニマス)の、樋口円香の過去の物語であるS.T.E.P編が実装された時、初めて公開された円香の部屋を見て、私は真っ先に父のことを思い出した。

このシナリオのテキスト内ではほとんど触れられなかったが、円香の部屋には異常な量のドライフラワーが飾られている。

円香は、ゲームに実装された当初のプロフィールでは、趣味の欄に「別にないです」と記述していた。その後に実装されたコミュ(シナリオ)で、ドライフラワーに興味を持った過程が描かれた(このように、キャラクターの時間経過による変化がストーリーの前提とされているにも関わらず、その変化を示すコミュがしばしば限定ガチャなどでしか入手できないことが、シャニマスのゲームとしての構造的欠点であろう)。

私の父然り、もともと趣味を持っていなかった人間が新たに趣味を持つと、えてして過剰に走るものである。

円香の場合は、このドライフラワーの量的な過剰には、更に別の意味があるように思われる。今回はそれを考察してみたい。


「問題」と「解答」の間に常に存在するギャップとどう向き合うかが、「アイドルマスター」シリーズで一貫して描かれているテーマである。

初期のシリーズにおいては、このテーマは「自分のやりたいこと」と「自分が実際にできること」の間のギャップとどう向き合うのか、という形で描かれてきた。

シャニマスにおいては、この問題―解答の形式が、今まで以上に多様な形で描かれている。

それがもっとも深刻な問題として描かれているキャラクターが七草にちかである。私は以前の記事(天然知能で考えるSHHis 2022/5/24)で、にちかにおいては「解こうとしている問題」と「得ようとしている解答」が一致していないことが大きなテーマとなっていることを指摘した。

これは、郡司幸夫が「天然知能」(注1)で指摘した、人工知能が抱える問題と同じ構造である。

このギャップと向き合うためには、にちかは自分で設定した問題―解答の系の中に収まらず、外部からの一撃を受け入れることが必要であった。そして、実際にその後にちかの物語はそのように描かれた。


ところで、「解こうとしている問題」と「得ようとしている解答」のズレと向き合う方法はいくつかある。一つは、にちかのように、外部からの一撃を待つ方法。これは受動的な態度であるとも言える。

それに対して、問題と解答のズレを自ら認識した上で、それにより積極的な立場で向き合っていくという道もありうる。

「シャニマス」に登場する別のアイドル、風野灯織は、「思っていることをすぐに口にしてしまう」アイドルである。そして、しばしば、それを後から後悔し反省する。

灯織にとって、何かを口にしたその時点では、それは問題に対する自明な唯一の解答である。しかし、その後で、彼女は「本当にこれが正しい解答なのだろうか?」と悩むのだ。

すなわち、一度は一致したかに見えた問題―解答が、その後大きく揺らぎ、その間に生じた裂け目が彼女を飲み込もうとする。それに対して、やはり灯織はその都度解答を考えていく。

すなわち、間断なく問題と解答を一致させようとしていく――それでも不一致からは逃れられない――のが灯織の態度である。


さて、では樋口円香はどうか。

円香の特徴は、「自分が解くべき問題」を予め設定していることである。

円香の幼馴染である浅倉透は、無意識に周囲の人間を引き付けるカリスマ性を持ったアイドルとして描かれている。周囲の誰からも「特別」な存在として見られている透に対して、円香は「透にできることで、私にできないことはない」と言い、自分だけは透を特別視しないと宣言している。これが、彼女が自分に課している問題である。

そして、少なくともシナリオ初期の彼女は、この問題からなる系の外部に出ようとはしない。

「透がアイドルを始めたから」という理由でアイドルを始めた円香だが、透と離れて彼女自身がアイドルとして評価される立場に立たされそうになった時に、「自分のレベルなんか試されたくない」「必死になんて生きたくない」と、強い拒絶を見せる。

自分が解こうとはしていなかった問題に向き合った時、彼女はそこで立ち尽くしそうになった。

ここではにちかでも見られた「問題と解答の不一致」が、姿を変えて描かれている。が、大きく違うのは、円香は「自分の問題の系の外部にも世界がある」ことを最初から知っていることである。

最初から知っているからこそ、それと向き合わされそうになった時に、「それは私が解くべき問題ではない」と拒絶するのである。

そして、あくまでも、自分の系の中の問題――問題と解答が一致する問題のみを解こうとする。

しかし、実際には、彼女は自分には解けない問題があることを最初から知っていたのだ。


円香は、とある店で見たドライフラワーに強く興味を引かれる。


「だからこのお店のドライフラワーを見て、驚いたんです。花の色がちゃんと残っていて」


それまで円香は、花の美しさは枯れれば終わりであり、だからこそ美しいと思っていたという。

それ故に、ドライフラワーになりながらも美しさを残している花を見て強く心を動かされた。

ここで『花』『ドライフラワー』が、『アイドル』のメタファーであることは明白だろう。

なのでここで彼女は、アイドルとしての自分の未来に関わる問題と出会ったことになる。

生花の美しさを残すために枯れるか、美しさを残したドライフラワーとなるか。

すでにアイドルとしてのキャリアをそれなりに積んでいる彼女には、もはや「それは自分の解くべき問題ではない」と拒絶することはできなかった。

しかし彼女はまだ、自分の中で出した『アイドル』に対する解答を、別の解答に転換させることはできなかった。

故に選んだのが、質の問題を量の問題に読み替えること、すなわち部屋中をドライフラワーで一杯にすることではなかったか。


ここで私は、フランスのアウトサイダーアーティストであるジョゼフ・フェルディナン・シュヴァルを想起する。

郵便配達員だった彼は、33年間にも渡って石を拾い集め、たった一人で「シュヴァルの理想宮」と呼ばれる城を作った(注2)。

33年間拾い集められた石の存在感は、圧倒的な量の過剰である。

そしてそれを積み上げて作られたシュヴァルの理想宮は、他に類を見ない異様な建築物となった。量の過剰が質の転換をもたらしたのである。

果たして円香のドライフラワーは、円香にとってのシュヴァルの理想宮になるだろうか。


注1・郡司ペギオ幸夫「天然知能」講談社(2019)

注2・岡谷公二「郵便配達夫シュヴァルの理想宮」河出文庫(2001)

文中のセリフは、「アイドルマスターシャイニーカラーズ」からの引用である

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