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[2024/05/08] ラサ・サヤン(54)~心の友~(石川礼子)

~『よりどりインドネシア』第165号(2024年5月8日発行)所収~


歌手・五輪真弓

皆さんは、「五輪真弓」という日本の歌手をご存知でしょうか?

五輪真弓は1972年、21歳のときにアルバム『少女』という曲でシングルデビューし、今や日本の女性シンガーソングライターの草分け的存在と言われています。

1973年の『煙草のけむり』、1978年の『さよならだけは言わないで』、『残り火』、1980年の『恋人よ』、1981年の『リバイバル』、1984年の『ジェラシー』、1989年の『雨宿り』などの曲が良く知られています。

その五輪真弓の『心の友』という曲が1985年にインドネシアで大ヒットし、40年近く経った今でも人気を博しています。

Wikipediaによると、「インドネシアのラジオ局関係者が日本で五輪真弓のコンサートへ行き、その際買ったアルバムの中にこの曲が入っており、インドネシアのラジオで流したことで人気となった」と記載されています。

『心の友』がインドネシアで爆発的にヒットしたことに一番驚いているのは、五輪真弓自身だったようです。彼女は、2008年の東京新聞の夕刊に『“こころの歌”の原点』というエッセイを掲載しています。そこに『心の友』に関する一節がありますのでご紹介します。

“こころの歌”の原点
(出所:http://www.itsuwamayumi.com/essay_ongaku.html

「心の友」(KOKORO NO TOMO)は1985年、長男が生まれた年にインドネシアで大ヒットした。初めての育児で睡眠不足が続いていたある日、新聞社から突然その一報が入ったのである。私の開口一番は「えっ?、何で?」だった。別に寝ぼけていたわけではない。この歌は、どちらかというとあまり目立たない、アルバムの中の一曲だったので、それを聞いたときはまるで人ごとのように反応が鈍かったことを覚えている。

事件の発端は、ひとりのインドネシア人のラジオ局関係者が来日したことで、彼は私のコンサートを見て、アルバムを手に入れ、帰国してから番組の中で曲を流したというものだった。以来、現地では二十余年たった今も歌われ続け、国歌の次に位置する歌となっている、というから驚きだ(自分で言うのもおかしいが)。

インドネシアには、翌年の86年、ジャカルタでコンサート、後にテレビの国際放送に出演するために一度行っているだけで、特に彼らと深く親交を重ねた日々はない。だから、先日のテレビで、日本語で歌う彼らの声を聴いたときは感動で胸が震えた。

映像の中で若い女の先生が子どもたちに話していた。「悲しいとき、疲れたとき、災害に遭ったとき、ひとりでいて寂しくなったときでも、友達はいつもそばにいるんです」と。心の中にいる友達・・・そういえば、この詩を書いたきっかけも、私自身初めて心友と呼べる人に出会ったことだった。

五輪真弓の1982年作のアルバム
(出所)https://music.apple.com/jp/album/%E6%BD%AE%E9%A8%92/1537339200
1986年に初来イした五輪真弓夫妻
(出所)https://www.datatempo.co/foto/detail/P2101201300071/mayumi-itsuwa-dan-suami-di-jakarta

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