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[2024/01/24] ジャカルタ寸景(9):ポルトガル集落のユニークな新年行事(横山裕一)

~『よりどりインドネシア』第158号(2024年1月24日発行)所収~


新年の伝統行事「マンディ・マンディ」

2024年1月7日午後、北ジャカルタにあるトゥグ(Tugu)集落の一角では大勢の人々で賑わっていた。「トゥグ」集落とは「ポルトガル」の一部から名付けられている。17世紀半ば、マラッカ海峡の覇権をめぐる戦争でオランダに敗れ、捕虜としてジャワ島に連行されてきたポルトガル人が何もない森林地帯に解放された。この地域をポルトガル人が切り拓いてできたのがトゥグ集落だった。360年余りの歴史を経た現在もポルトガル系子孫が住み続け、大衆音楽クロンチョン発祥の地でもある。年明けまもないこの日、大勢の人々が集まったのは、新年第一日曜日に毎年開かれる伝統行事「マンディ・マンディ」を開催するためだった。

短いお祈りを済ませた後、司会者が集落内の各氏族の代表者に会場前に集まるよう呼びかける。この地でポルトガル系の血筋を引く名字が読み上げられる。

「クイコさん、ミヒルスさん、コルネリスさん、アンドリスさん・・・」

会場前に並んだ各氏族の代表者の前に、数多くの小さな容器が並べられる。容器の中にはおしろいを水で溶いた液体が入っていた。司会者の合図に合わせて、氏族代表者をはじめ会場の人々が容器を手に取る。そしておしろいを指ですくって、お互いの頬やおでこ、鼻頭などに塗りつけ始めた。

おしろいを顔に塗り合う「マンディ・マンディ」

人々は入り乱れ、それぞれ移動しながらお互いの顔におしろいを塗りつける。なかには挨拶時に行うように両頬を擦り合わす人もいて、顔についたおしろいはさらに広がる。ほどなく会場の人々の顔は誰もが真っ白になった。おしろいまみれになりながらも表情は皆、満面の笑みだった。

トゥグ集落の正月伝統行事「マンディ・マンディ」は旧年中の過ちをお互いに許し、喜びをもって新年を迎え神の祝福を受けようという行事だ。その象徴がおしろいをお互いの顔に塗り合う行為で、前年の過ちをお互いに許しあうことで身心を清め、旧年中の悪い事を洗い流す意味を持つ。まさにインドネシア語の水浴びであるマンディにも通じる。行事名に使われる「マンディ」はポルトガル語の「マンダル」(Mandar)に由来するという説もある。マンダルは「(意図を)送る」という意味で、この行事でいえば「相手に許しを請う」意図をお互いに伝える意味が込められている。ただし、「マンディ・マンディ」の行事はポルトガル本国にはなく、トゥグ集落で始まった独自のものだという。

おしろいを塗り合うなか、会場舞台では当地発祥の大衆音楽クロンチョンが演奏される。ゆったりとした調べに時折心地良くリズミカルな音楽。メインギターとボーカルは当地のクロンチョン楽団のリーダー、グイド・クイコ氏で、その他の楽器は集落の人々が演奏する。トゥグ集落で最も人数の多いクイコ氏族のまとめ役、サリヤンド・クイコ氏もベースを演奏している。彼らも演奏中に会場の人々から順番におしろいを塗られ、白い顔のまま曲を奏でる。

「マンディ・マンディ」はクロンチョン演奏のなかで進められる

メインボーカルは、会場に訪れた人々が曲ごとに入れ替わりで歌った。クロンチョンの里らしく、皆暗記しているのだろう、会場の人々もおしろいを塗り合いながらも曲に合わせて歌う。グイド氏とは別のクロンチョン楽団を率いるアンドレ・ジュアン・ミヒルスさんもマイクを握った。アンドレさんがかぶる青色のペチはジャカルタ一帯のブタウィ民族の伝統帽子だ。かつてこの地に定住したポルトガル人が周囲のブタウィ民族と交流、混血を続けてきたことを表している。

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