怒り

先日旅行から帰宅した同居人に、「同行者(共通の知人)がマツエは目上の作家に向かってへらへら接してるのが心配になる、キュレーターなんだからそこら辺ちゃんとした方がいい。あと興味ない相手に線を引いてるのが分かりやす過ぎるって言ってた」と言われた。

結構この言葉かグサリときて、又聞きというのも相まって3日くらい思い出しては胃が痛かった。呪いのようだな、と思っていた。とくにこの知人は仕事相手でもあるので、そう見られていたことが恥ずかしいというか残念というか、本当そうだよね反省…っていう気持ちと、ちょっと誤解してますぜ兄さん…っていう気持ちでずっとモヤモヤしていた。

決して悪口ではなくて、私を思っての言葉だろうから(同居人も私のために伝えてくれたのだと思う)尚更モヤモヤしていた。今日になってようやくまあ今度会ったときに話したら色々解決するな、と思い立ち直れた。私は案外他人にどう思われてるのかネチネチ気にしてしまうのだ。特に面と向かって言われてないときは、相手がどういう意図で言ったのか分からない部分も多いからかなり引きずってしまう。

だけどその後、色々落ち込んだので同居人に私はどんな人間だと思う?って質問をしたら思わぬ返事が返ってきた。それは、「あー、マツエは表にあんまり出さないけど、実は色んなことにずっと怒ってるよね。偶にふとそういう話題になったとき、ちゃんとずっと怒ってる人じゃないと言えないようなことを言ってるから分かる」って言葉だった。

なんかそれを見抜いていて、しかもいい部分として捉えてくれてるのが、当たり前のように感じていたけど、改めて言葉にされるととても嬉しかった。そしたら前半のことはまあ、いいかと思えるようになった。


そう、私はずっと怒っている。この世界のかなりの多くのことに怒っていると思う。怒りが原動力なのはずっと前から分かっていて、多分美術を続けていられるのもこれが大きいんだと感じている。

この怒りは静かに感情の水面下にあるから、すぐさま情動のエネルギーに発散されなくて、ただ私の全ての一挙手一投足に注がれてる。(偶に酒を飲むとタガが外れてしまって後悔することもあるけど…)

だけど、面倒くさいやつだと思われたりするのが嫌で取り繕ってしまうことも多いし、本音はあんまり言わないでおくことも多い。だからこそあの彼は(彼は自分にも相手にもかなり厳しく誠実さを求める人間なのです)へらへらすんな、ちゃんと全てに向き合えって言ってたんだと思うけどね。


生きるのは難しい。相手にこういう人だと思われるのもうまく噛み合ってなければ悔しいし、相手に何にも思われないのも寂しい。完璧な存在になることも無理だけど、私のダメな部分を受け入れてくれない人もいる。でもこんな自分を理解して受け入れてくれる人も、叱ってくれる人も、すごいねと言ってくれる人もいる。

恵まれてるよね、だからちゃんと怒るべきことに怒っていられるのかな。

グッナイ