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あけおめ

 今日は、大学院の授業再開日。といっても感染症対策で今日は全てzoomオンリーだった。10:40、キュラトリアルアート&セオリーの講義は年始ということで参加しなくてもしても良いと事前に伝えられていたのもあって、zoomを開くといつものメンバーは私含め二人しかいなかった。その代わり新潟大学でジャン・フランソワ・リオタールの研究をしているという学生が参加していた。

「大きな物語」の終焉 | 現代美術用語辞典ver.2.0

ちなみにリオタールというのは、20世紀後半に活躍したフランスの哲学者で、いわゆる「ポスト・モダン」という言葉を近代の再考や反省という意味を込めて1970年代後半に初めて用いた人物である。

この授業は、彼が企画者として関わり、1985年パリのポンピドゥセンターで開催された〈非物質的なものたち〉という展覧会をめぐる言説や研究について触れていくというもの。恩師が今の日本におけるリオタール研究の中心的な研究者の一人なのもあって、他では得られない情報がほとんどで興味深い。私が研究しているハラルト・ゼーマンというキュレーターも割とリオタールと近い時代に展覧会を企画しているので、彼らが共有していた同時代を意識しながら複合的に考えられるのも良い。

12時前に講義は終了。質問や意見などで言葉を発したのは私だけで、学部のときにクレメント・グリンバーグの論考の精読を選択していた学生が徐々に少なくなり、最終的に殆ど私と先生のマンツーマンの授業になっていたあの日々を思い出す...。

 13時からは、別の講義。シャワーを浴びていたらあっという間に時間になってしまったので慌ててzoomを開く。午後の授業は英語で講義のクラスなので一旦リスニングが追いつかなくなるとまじで集中力が持たない。今日は日本の戦後の芸術運動についての内容で、具体美術協会とかハイレッド・センターとかそこらへんについての講義だった。なんとなく知ってるなあ、という気がしていたけど、60-70年代の芸術運動や社会の出来事を撮り続けていた羽永光利という写真家についてのパートはとても興味深かった。(ヘッダーの写真も彼がゼロ次元というアート・コレクティブを撮影していたもの)

 やはり、時代の出来事を誰が撮影していたのかというのはすごく重要だ。良くも悪くもだけど。彼の写真はとてもかっこいい、だからこそ今はもう記録でしか触れられない当時の芸術運動(とりわけハイレッドセンターのゲリラパフォーマンスなど)も、輝かしいものとして残っている。けれど、こうした効果は一つ間違えれば、かの有名なナチスのプロパガンダ写真や映画のようにもなるわけだ。ある意味私が写真というメディウムを信用しきれないのはこうした点にある。

 14時半頃講義終了。次は16:20からなので、少し作業してから30分ほど仮眠。次は今年3月にゼミで開催する展覧会のミーティングで、今日は広報を担当してくれるデザイナーを含めて展覧会イメージを考えるものだった。やっぱり展覧会の打ち合わせを日本語、英語両方使ってオンラインでやるのはとても大変...全員にちゃんとうまく伝わっているか、理解できているかずっと不安なんだよな。芸術を扱う中で抽象的な理解を共有する行為がかなりハードなのだと改めて実感するのと同時に、9人のキュレーターによる複合キュレーションなんて二度としたくないと常々思う。

 18時すぎにミーティングが終了。本来であれば大学院で引き続き作業したりして、23時前後に帰宅することが普通なので早く終了したやったーと思うのも束の間、グループラインがピコピコ鳴っているので、終わってないのね...と悲鳴を上げたくなる。


同居人が帰宅してご飯食べたら眠くなって、ラインを覗くとなんかトラブってるようだったので見て見ぬ振りして眠る。0時すぎに起きてしまって、明後日提出の課題のために作業しながらこれを書いている。

いや、課題やれや!