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メモ②

今日はオンラインの授業が終わったあと、専攻の十何名か残って大学が企画するオンラインプロジェクトの話し合いがあった。プロジェクトの内容は、美術館が休館したり入場制限が行われる現状、コロナで仕事を失ったアーティストの支援などを踏まえて、我々にどんなことができるのか考えようではないかというものだった。実際インターネットというプラットホームを使って日本やアジアの現状を世界に発信する、ということは今後必要になってくるし重要だと思うのだが、私自身このインターネットというものをさほどニュートラルだとは考えていないので、でもオンラインってどれくらい有効なんですかね的な意見を出したら、ちょっと空気読めない奴になってしまった。そもそも全員の顔が見れないので他の人のリアクションも確認できず、もやっとしたまま終了した。まあつまりは私はこういう身体性の見えなさ、実際的な不便さも丁寧に考えなきゃいけないですよね、っていう話をしたかったんだけど伝わらなかった気がするし、別に今そういうこと言わなくて良かった気もする。


ふう。では昨日のメモ書きに戻りましょ。

昨日はドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンが『パサージュ論』(1927-35年)で述べた「遊歩者(フラヌール)」という概念について考えている、というところまで書いた。遊歩者とは19世紀のパリのパサージュ通り(パサージュとは百貨店の前身である流行品店の隆盛と同時期に鉄骨建築で作られたお店通りのこと)を当てもなく彷徨い歩き都市を「観察」しながら、陳列した商品や広告のきらびやかで超視覚的なイメージへ「陶酔」する者(陶酔状態=現在の時制へ入り込むこと)とされる。そして遊歩者の視線とは「疎外された者の視線」であり、つまりその都市の階級構造の外部である存在がゆえに、群衆の渦に飲まれないまま唯一遊歩を許された者なのである。

私は前回「複雑なものは複雑なまま、答えを出すのは保留しつつ、辛抱強く待つ/待てるための方法」を探したいと書いたが、まさにこれが遊歩者的な視点なのである。

仲正昌樹は自著の『ポストモダン・ニヒリズム』(作品社、2018年)の中でこう述べる。

では、後はどのような戦略が残されているのか?ボードリヤールを含む、いわゆる「ポストモダン系」の論者の多くが取った戦略は、新たな価値の源泉(オルターナティヴ)を早急に見出そうとはせず、価値の中心を巡る問題は宙吊りにしたまま、ひたすら「観察」し「記述」し続けるというものだった。(中略)最終的に"根源"自体が空洞であることが判明してしまうかもしれないが、結論を急ぐことなく、都市空間の中での欲望の流れをーー自らも同じ空間の中で浮遊しながらーー辛抱強く見つめ続けるわけである。(p.30)

ここでは答えの保留こそ、ベンヤミンが都市空間の中の「遊歩者」として実践しようとした戦略だと述べている。

それでも私はベンヤミンのこの「遊歩者」という概念それだけで展覧会を構成しようとは思ってなかった。(勿論コロナのおかげで、そもそも我々はもはや都市を迂闊に遊歩できない存在な訳で。そういう意味ではこの遊歩者という存在のアクチュアリティってのは物凄くあると思っているし、この状況の中での当てもない遊歩を考えるのが今後の課題で、展覧会のキーでもあることは確信しているけども。)

私にとってもっと魅力的だったのはヘッダーの写真の人物でもあるフランク・オハラ(1926-66)の存在である。彼は冷戦初期のニューヨークを生きた詩人で、彼がなぜベンヤミンの言う「遊歩者」と結びつくかと言うと、彼の詩がニューヨークの都市の徘徊の最中に見かけた、様々な出来事や人物の断片をつなぎ合わせて書かれているという特徴にある。そして何より彼は即興の詩人で、仲間との食事やお喋りの只中に詩を書き始め、その時間を描写するのが得意だった。その態度はまさしく都市の中の「観察者」「記述者」のそれであるのだ。そして何より興味深いのが、オハラは詩人であると同時にMoMA(ニューヨーク近代美術館)で働くキュレーターでもあった。彼は特に同時代の抽象主義周辺の芸術家たちとプライベートでも親しく接しながら、彼らの展覧会の企画も行っていたのである。

この関係性についてふと考えたくなった。


私は常々キュレーションそれ自体を「作家とのオーラルな関係性の空間化」なのではないかと思っている。そして前回述べたように、キュレーションとは何を「治療/世話(修復)」し、どう「編集」し「管理」するのか、という問いを含んだものでもある。つまり、作家とキュレーターの私的な閉じた会話のやりとり(コミュニケーション)を、「修復/編集/管理」を経て公的な空間へとオープンにすることがキュレーションの構造なのである。

オハラの場合、キュレーターという「修復/編集/管理者」でありながら、同時に都市の遊歩者=「観察者」でもあった。対象をひたすら観察し続ける態度ーそういうものをオハラは詩人として備えていたのだ。

キュレーションの構造や、「観察」と「修復/編集/管理」の協働の重要性を考える上でも彼の肩書きというのは興味深かったし、一つのフォーマットになるのではないかと考えた。


とまあ、ややこしい話をしたけども、そもそも私はフランク・オハラの詩が好きで、彼の詩を展覧会に組み込みたかったという理由が大半だったりする。

ああ、なんて素晴らしいこと
ベッドから飛び出て
コーヒーをいやというほど飲んで
煙草をいやというほど喫って
あなたをこんなにも愛せるなんて

steps (1960)       

こんな豊かな詩が書ける視点が、キュレーターには必要だと思ったっていう至極単純な動機でもある。オハラの詩はほとんど日本語訳がないし、紹介できたらいいな。