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黙示録(アポカリプス)-尼崎JR脱線事故現場訪問記

【⬆️上記ツイートツリーの再構成です】

2021年12月、俺は神戸の友達のところに遊びに行くために『JR西日本どこでもきっぷ』を使うことにした。
実は、11月にも時間があったので(お金はそんなになかったけど)『どこでもきっぷ』で尾道や岡山などを巡っていた。
11月の旅行時に、松本創さんの『軌道』の文庫版を通読していたが、その後、2005年の宝塚線快速電車の脱線事故現場だったマンション跡地にJR西日本(以下、JR西)が追悼施設『祈りの杜』を設けていて一般開放されていることを知り、是非訪ねたい、という気持ちが強くなった。

https://www.shinchosha.co.jp/book/102681/

そして、12月の旅行時、時間を作って『祈りの杜』を訪ねることにした。


https://www.westjr.co.jp/fukuchiyama/inorinomori/

この『祈りの杜』は、脱線事故当時9階建だったマンションをJR西が買取り減築した上で、事故により残ったヒビや傷跡を残し保存している。
一般の人も入場できるよう整備されており、入り口の側には当時の資料や関連書籍を収めた施設がある。



最寄駅は、阪急塚口・JR尼崎駅であり、双方から路線バスが運行されている。
最寄バス停は『久々知(くくち)』である。
なお、JR尼崎駅方面のバスは便数が少ないので、阪急塚口方面からの利用が望ましい。

久々知バス停から東に向かい、当時救援拠点となった大成中学校を左に見て直進し、町工場やタクシー会社の車庫の間を抜けてJR宝塚線の踏切を渡るとすぐ左側に『祈りの杜』がある。

この『祈りの杜』は、JR(関連会社含む)の職員や警備員の方が常駐しており、入り口で記帳してから入場する。
施設内は写真撮影不可のため、入場後にiPhone12proの電源を切り内部を拝見させていただいた。
以前は何人か撮影している方もいらっしゃったが、『追悼施設』の性質上推奨できないので、今回は外に出るまで完全に電源を切った。

事故の推移についてはご存知の方も多いが、資料室内にある報道機関や尼崎市消防局により撮影され紹介されている写真は本当に生々しく、エゲツない変形をした電車の写真があの悲劇の黙示録であることを思い知らされた。
この資料室内には写真資料だけでなく松本創さんの『軌道』などの関連書籍や関係機関の報告書、ご遺族のメッセージや寄贈品なども保管・紹介されている。
関連資料を全て読むにはかなりの時間や労力を要するだろう。

保存されているマンションに今も残る当時の傷跡があの悲劇を思い起こさせる。
快速電車が突っ込んで金属の塊と化した1階の車庫部分はも抜けの殻だが、被害が無かった部分もそのまま残されている。
マンション前にも職員の方々が常駐している。

この『祈りの杜』が設けられるまでの経緯も、資料室で紹介されている。

完全に無くしてしまいたい、保存したい、一部だけでも残したい、あの時大破した快速電車(207系電車)も保存できないか…といった、ご遺族や被害者の方々の多様な声を集約し、随時説明を行い、追悼施設として今の形で設けられることになった経緯がある。

今後は、当時のまま残されている/大破し救助活動のために解体された207系電車を吹田市の研修施設『安全考動館』に収める方向であるが、おそらくご遺族や被害者の方々のご意見を踏まえた形で保存・公開されることになるだろう。

あの悲劇を、悲劇として消費するだけではいけない、我が事として血肉化すべきだ、とタクシー会社に勤める乗り物に関わる人間として改めて思わせるものが『祈りの杜』にはあった。
可能であれば、みなさんも一度お訪ねいただきたい。

この『祈りの杜』は、
・第二次大戦後から続いてきた国鉄の紛争史
・中曽根行革に連動した国鉄分割民営化
・バブル崩壊、就職氷河期を経た小泉構造改革による営利主義・労働強化・『リストラ』礼賛の成れの果て
・JR西の抱える官僚的体質やハラスメント問題、身分制度的な処遇の問題
などの負の歴史の象徴であり、『黙示録』である。

あの一帯が無言で物語るのは、『安全よりもカネカネカネ、お前らそれでいいの?』ということではないか。

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