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日本サラリーマン史 近代サラリーマン

こんにちは、まっつんです。

日本サラリーマン史として今回は、サラリーマンの近代化について書いてみたいと思います。前回のお話はサラリーマンは、江戸時代の下侍の呼称であった「腰弁」に由来すると言うお話から、サラリーマンの原型を江戸時代の武士に求めました。そして、武芸だけでなく読み書き算盤のできる士族は、教育ある中産階級として社会的に可視化された結果としてサラリーマンが爆誕したのです。
今回は、士族サラリーマンがいかにして近代サラリーマンに変貌したのかを書いてみたいと思います。

明治初期の士族階級を母体としたサラリーマンは、時代が大正・昭和期に移行する中でどのように変化していったのでしょう?

じんじーず第1317話「サラリーマンとは何か?二代目サラリーマンは、学卒の近代的サラリーマン?」にも描いていますので併せてご覧ください。

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🟦 士族サラリーマンの誕生 サラリーマンは腰弁の嫡子?


江戸幕府は1867年に大政奉還により政権返上し、1871年に明治政府が行なった廃藩置県で全国の侍はリストラされたことになります。日本全国一斉失業の時代となったのです。

しかし、新しくできた明治政府も人材不足ですから、武士は、学問に長じたインテリ層として明治政府の官員や学校の教員、警察の巡査や銀行員へ華麗なる転職に成功するのです。銀行員などは「職員」と呼ばれたようです。さすが、この頃からエリート風を吹かしていそうな呼称です。

そんな士族たちの収入は、俸禄から給料へ呼び名が代わり、「給料取り」とも呼ばれたりしたようです。サラリーマンは腰弁の嫡子と言われる所以ですね。いずれにしてもいつの世もインテリジェンスがあれば捨てる神あれば拾う神有りですから学問は大切です。

🟦 定着しなかった「サラリーメン」

1919年(大正8年)に俸禄生活者組合「サラリーメンズユニオン」(S M U)が結成されました。不況時の俸禄生活者の社会的地位の低下から生まれた組織のようです。不況時に減俸され休日を減らされても不満を持ちながらも働くサラリーメンですがその呼称はラテン語の「Salarium」から「Salaried man」になったとか諸説はあります。

しかしこの呼称は、一般には定着しなかったようです。そして和製英語のサラリーマンが一般には定着していくのです。
明治期に近代的な組織体が出現し、それに伴い学校教育制度の整備がなされたことで、大正期には高等教育機関で学んだ卒業生たちが、サラリーマンとして就職しています。
これによって、士族サラリーマンから近代的な学卒サラリーマンへとサラリーマンの質が変わっていくのでした。この頃は、「腰弁」「俸禄生活者」「職員」などと呼ばれた人々の呼称が「サラリーマン」へ言い換えられた時代のようです。

🟦 サラリーマンの最初の友だちは漫画だった。

昭和のサラリーマンの友といえば少年ジャンプなどに代表される週刊漫画雑誌ですが、平成・令和とその姿を変えて最近は、通勤途上では、スマホから漫画を見ているようです。

どこが少年なのか?週刊というより、もはや習慣になっている?当時は「通勤途上で漫画を読みふける大人」と批判された時代でした。今はもう、電車と言えば、スマホゲームか漫画が常識になってますね。
大正・昭和期のサラリーマンも福沢諭吉によって創刊された新聞の「時事新報」の漫画欄や日曜版としてついていた「時事漫画」によって世間に浸透していきました。
この風刺漫画は、北沢楽天(保次)と言う紀州徳川家の鷹羽本陣御鳥見役の北澤家第13代目により描かれており、フランク・A・ナンキベルから欧米漫画の技術を学んだ北沢を福沢諭吉がスカウトしたようです。

このようにサラリーマンの普及の歴史には漫画との関係があったのです。
そして、1928年の前田一による「サラリーマン物語」の出版でサラリーマンは日本における教育ある中産階級として社会に完全に定着するのでした。

🟦 20世紀のモダンライフはサラリーマンが主役だった

さて、世界的にはどうだったのでしょうか?20世紀のモダンライフは大衆が社会の表舞台に登場した時代です。

ヨーロッパのパリ・ロンドン・ローマのような伝統的文化的な社会的原理によって成り立っている旧タイプの都市と比較して、ニューヨーク・ベルリン・東京と言う新しいタイプの都市には、都市型大衆を主人公として「モダンライフ」が定着し始めました。

こざっぱりして、清潔で、上品その上、機能的な背広やスーツという頭脳労働者に相応しい環境が整い始めました。近代社会ではノーマルを良しとして社会に適切なものとした時代であり、サラリーマンも外的容姿として背広姿でネクタイを締めた姿に統一されていきます。このように近代社会は「標準化」「規範化」され、偏差は矯正されるようになります。

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🟦会社の仕組みは19世紀に作られ今も変わらない

1911年にフレデリック・テーラーによって「科学的管理法の諸原理」が発表され、「効率性」「規範的行動」「動作研究」「科学的管理」と現代のサラリーマンの管理の基本が出来上がりました。

近代的なオフィスに通勤させて、背広姿で知的労働をするサラリーマンを英国ではオフィス・ワーカーとかホワイトカラーワーカーと呼びました。この頃からすでに仕事の効率化と書類の山をいかに保管するかという問題は起きていました。

オフィスへ次々と導入されるオフィス機器は、社員の負担軽減と効率的業務の遂行という目的とは別に書類の保管スペースの最小化により床面積の削減や入居料金の削減などを謳ったものもあったようです。

まさに、現在、コロナウイルスの影響により、社員を在宅勤務することで会社のスペースを減らし、固定費を削減する企業が出てきたように固定費削減は、昔からの課題だったようです。

21世紀の現在、19世紀の後半に確立した労働管理手法が当時とほぼ同じもので機能していることの方が驚きですね。
以上、一部話がそれましたが、今回は士族サラリーマンがいかにして近代サラリーマンに変貌したのかというお話でした。

最後までお読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願い致します。

少しでも皆さまのお役に立てれば幸いです。

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