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【ネタバレ】「キリエのうた」感想

私は岩井 俊二の映画が好きだ。
全てではないが、ほとんどの映像作品を観ていると思う。特に、小5ぐらいの時に観た「スワロウテイル」。YEN TOWN BANDが即興で「My Way」を演奏して徐々に形になっていくシーンに衝撃を受けて、「自分の人生は音楽だ!」と決めたぐらいだ。(別に今現在音楽で生計を立てている訳ではないが)

そして小林 武史の音楽はもっと好きだ。
Mr.childrenは小学生の時から聴いていたが、実はMr.childrenではなく小林 武史が好きなのではないか?と気づいたのは、大人になってからだった。

ちょうどその頃から、Salyuのアルバムが出始め、時代を遡ってLily Chou-Chouにハマり、仮説は確信に変わった。

Mr.children・Salyuや稀にMy Little Loverなど、小林 武史が出演するライブは可能な限り行きまくっている。ちなみにセルフプロデュースに変わってからのMr.childrenはほとんど聴いていない。自分でも驚くほど聴こうという気が起こらないのだ。

世間では、一辺倒なピアノ・ストリングスアレンジがバンドの個性を潰していると批判されているが、そんな事はどうでも良い。単純に小林 武史の出す音が好きで、音楽制作の哲学が好きなのだ。むしろ、一辺倒なアレンジの方がありがたいぐらいだ。私はそれぐらい小林 武史の音楽に対する愛が深い。

「スワロウテイル」「リリイ・シュシュのすべて」に続く、このタッグによる音楽映画となれば観ない訳にはいかない。サブスク公開など待っていられるか。

早速公開初日に観に行ってきた。

事前情報の印象で言うと、「キリエ・憐れみの讃歌」は紛れもなく小林 武史の音楽。ただし、他の曲は岩井 俊二やアイナ・ジ・エンドの作詞・作曲との事。この辺が吉と出るか凶と出るか。

それと、初めてティザーを観た時に「なんか粗品みたいな奴おるな」と思ったら粗品だった。彼は鍵盤が弾けるし、役者経験と話題性を兼ね備えているので起用されたのだろう。という事は、撮影はアテフリではなく実際に演奏している事が期待できる。

あとは、予告編で「なんか歌って」とか言ってる青い髪の人。明らかに浮世離れしてるけど、これはそういう神秘的な妖精的な不思議ちゃんな存在なのか?ちょっと怖くなってきた・・・もしかして、サムい映画なんじゃないだろうか・・・

等々の期待と不安を胸に鑑賞。ちなみに上映時間が3時間ぐらいある事はわりと直前に知ったので、トイレ対策として鑑賞中のコーヒーやビールは止めておいた。私は利尿作用のある飲料を飲むとすぐ出る質なのだ。

(以下、超絶ネタバレ)














岩井作品のわりに、観た人の心に傷を残さない上に、ちょっとサムい映画なんじゃないかと思っていたら全然そんな事なかった。

予告編では全く出てこなかった重いエピソード・描写の数々。上映時間の長さとは関係なく、内容が重く暗い部分がかなり多いので、従来の岩井作品ファンも満足度が高いだろう。

相似とリフレイン

作中にはいくつかの相似とリフレインが登場する。

・結婚詐欺相手の金持ちが二人とも同じような構造のデザイナーズマンションに住んでいる
 →どちらも一階が吹き抜けで二階が1/3ぐらいになってる構造。
  東京の金持ちってこういう構造の家に住みたがるよね。
  という揶揄みたいで笑ってしまった。

・路花も真緒里も本名を捨てて偽名で活動している
 →路花の場合は、希(姉)は生きているかもしれないが、
  まだ姿を現さないので代わりに自分が歌う。みたいな事か。
 →真緒里は、スナック経営の跡継ぎという宿命を断ち切りたかった事と、
  風俗嬢の源氏名みたいなノリ?

・路花が大阪、石巻両方の児相に連れて行かれる時、
 強めに「乗って!」と言われた後、大人に両脇を固められる
 →自由が無く大人に翻弄される運命のメタファー。
  その後も、自由意志を剥奪されてレコード会社の大人達に
  翻弄されるのかと思っていたが、そんな事は無かった。

・警察への反抗(路上ミュージシャンと新宿フェス主催者)
 →どちらも路花(Kyrie)を生かす(活かす)べく、警察に対し反抗的態度を取る
  音楽の道でしか生きられない彼女は、誰かの不正行為により生かされている事もあるのだ。という事。

・「女である事を売り」にして生きる祖母や母を非難する割に、自分もまた「女である事を売り」にして生きる真緒里
 →愚かさの象徴。
  片親の子は自分が結婚しても離婚してしまったり、
  虐待を受けた子は自分に子供が出来た時に虐待してしまう
  という話を思い出した。

その他感想

時期の示唆

「2013年 大阪」みたいな表記が途中からなくなっていた気がする。一回しか観てないので、見落としてるのかもしれないが、途中でルールが変わるのはどうかなと思った。

震災の描写

路花の木登りとか石巻という地名から、震災の描写は確実に出てくると思っていた。お風呂の前ぐらいから、来るか来るかと身構えていたが、正直観たくないなと思っていた。自分は被災者ではないが、やっぱりエグイものは極力見たくないし、震災の影響で流産+出血描写とかになったらどうしようかと気が気ではなかった。(血が怖い)

とはいえ、これは描かざるを得ないし、岩井 俊二だって当然嫌だったに違いない。これは私の妄想だが、この映画の公開によって岩井 俊二は自身の中で震災に何かしらのケリを着けたかったのではないだろうか?

路花を震災被害の象徴としておいて、Kyrieが高らかに歌う事で自分の中の心的被害が復興する事に期待したのではないかと考えている。そして、小林 武史が音楽担当を渋った理由もまたそこにあるのではないか。

映画の主題歌的立ち位置で、作中のクライマックスを担う曲なので、その点では小林 武史が適任だ。ヒットソングならいくらでも作れる。しかしながら、震災からの復興を路花に仮託するという事は、その楽曲はセールス的に成功しそうなものであってはいけないのではないか?と小林 武史は考えたのだと推察する。

東北出身で、震災復興に並々ならぬ努力をしている彼ならなおさらだ。
結果的に音楽担当を引き受けはしたものの、「キリエ・憐れみの讃歌」以外に作詞作曲をしていない事からも、消極的な態度がうかがえる。

Lily Chou-ChouやLANDSのアルバムでほぼ全ての作詞作曲編曲を担当している彼が、メイン以外をアイナ・ジ・エンドに任せるとはどうしても考えられない。

しかし、全曲の編曲はしているようなので、アルバムは聴こうと思っている。

また、パンフレットに載っている文章の短さや、アイナ・ジ・エンドが語る小林 武史絡みのエピソードの少なさも、彼が今作の現場にあまり熱量を持っていなかった事を裏付けているのではないか。

Spotifyかパンフレットか忘れたが、「キリエ・憐れみの讃歌」について「岩井 俊二から話をもらった時は正直ピンと来ていなかったが、この曲がこれでいいなら、僕がこの映画に対してやれることがある」といったような趣旨の事を語っていた。らしくない消極的態度だ。

石井 竜也

予告映像には全然出てこなかったが、公開前のプレミアムライブに出演していた石井 竜也。一体どこに出てくるんだろう?と思っていたが、スナックの常連かい!実を言うと私は一回目の登場シーンでは気付かなかった。

真緒里が大学に合格したお祝いのシーンでようやく気付いた。お前かい!と。せっかく大御所ミュージシャンなのに、音楽関連のシーンに起用されないというのが面白かった。まぁたしかに、スナックで歌ってるおっさんってやたら歌上手いというか、歌い上げる感じがあるから適役だったのかもしれない。そして、カラオケで歌っていた曲がどっちも歌詞が無いというボケ。

2人目の金持ち

最初の登場シーンでは正直この人に憧れた。こんな人でありたいとさえ思った。余裕があって常ににこやかで、なんてカッコイイ大人なんだ。と。

結婚詐欺が発覚してからの豹変で前言撤回。最初はにこやかだから金持ちになったのか、金があるからにこやかなのか・・・とか考えていたが、全然そんな事では無かった。

騙されて結婚に浮かれていただけだったのだ。ああはなりたくないので、常に人を疑い続けていこう。

黒木 華

「真田丸」の頃は全然好きじゃなかったし、CM等で観るたびに「なんでこんなのが売れてるんだろう?」と不思議だった。全然良さが分からなかったが、「キリエのうた」公開前にYouTubeで無料公開されていた「リップヴァンウィンクルの花嫁」で一気に好きになった。

大阪時代のシーンで、関西弁が自然で上手いな~と思っていたのだが、調べてみたら大阪出身だった。

重い荷物

路花(Kyrie)の路上ライブセットを持とうとした人が「荷物重いね!何入ってんの!?」と言うシーンが2回程出てくる。これは、路花が抱える人生の負担のメタファーだろう。その負担の重さに気付く割りに、それを減らしてあげようとはしないのだ。他人だから。

たしか、2人目の金持ちと音楽プロデューサーだったと思う。公園でリハをした日の打ち上げ後のシーンでは、ギタリストが何も言わず荷物を持って助けてあげていたと思う。自分の成功にKyrieを利用する一方で、同じミュージシャンとして負担を軽減し合おうという精神の現れか。

フェスのシーン

クライマックスの路上主義フェスのシーン。「キリエ・憐れみの讃歌」をフルの状態で演奏するシーンはどこかであると思っていたし、それが最大の楽しみだった。「My Way」的カタルシスを求めていたのだが、このシーンにはちょっと傷が付いてしまった。

一つは警察の中止要請に従わないという姿勢。七尾 旅人と同じように、明らかに無い許可証を探すフリをしたり、「もうこんなにお客さんが集まっている」「この1曲だけだから!(演奏の裏だったので口パクからの想像)」と主張したり、挙句の果てには曲の終盤で盛り上がりだした客を煽る始末。

音楽には既成の価値観をぶち壊す力がある。とか、権力に屈しない。みたいな思想は結構だが、守るべきルールを守らず、ただ主張だけしたいというのは違うのではないか?と不快に思った。

次に、中止要請を訴える警察のスピーカーや無線の雑音が邪魔だった。雑音にも負けず懸命に演奏した事によって、客の心を動かした。という狙いの描写だったのかもしれないが、ただ単にうるさかった。

これは、TOHOシネマズ 池袋の特性もあったかもしれない。音が大きかったし、高音がキツかった。演奏シーンになる度にギターの高音がキンキン鳴って耳が痛かった。

別の劇場やブルーレイで観ればまた変わるのだろうか。

エンドロール

エンドロール中に流れるシーンが特に良かった。撮ったはいいけど、本編から溢れてしまったのか。満喫(カラオケ?)でのシャワーからフードメニュー、そして歌の練習へ。アーティストKyrieの成功に寄与するかどうかは全く描かれなかったけど、ふとした所で歌に引っかかっている人もいる。という描写が奥ゆかしくて良かった。

チケットを買ってまで岩井 俊二の映画を観るような人種にそんな輩はいないと思うが、やはりエンドロールで席を立つのは愚行だと再認識した。

書いていてやはりモヤモヤしてきたのだが、あれは満喫なのか?シャワーがあるから満喫だとは思うが、満喫なら個室であっても歌なんて歌えないはずだ。カラオケなら歌えるが、シャワー付きのカラオケなんて聞いた事がない。ああいうご飯はどっちもあるので、判断材料にならない。

感想は以上。

25年ぶりぐらいに映画のパンフレットを買った。大好きな「響け!ユーフォニアム」ですら買わなかったのに。映画館を出て池袋のゆる学徒カフェで酒を飲みながら、感想を走り書きしたり感想ツイートを漁ったりしていたら「パンフレットには色々良い情報が書いてあってオススメです」という投稿を発見した。

戻って買うかどうか迷っていたら新宿に着いてしまった。買おうと決めて新宿の東宝に行ったら、上映してなかったので売っていなかった。新宿はピカデリーだったか・・・と、ピカデリーのグッズ売り場に行ったら売っていたので買えた。

新宿駅の地下道を歩いていると、ルミネに映画館があるのか、いたる所でプロモーションをしているのを見かけた。そして、普段ならブランド服のマネキンとか置いてそうなケースの中に、衣装が展示されていた。これってマジモン?と驚いて思わず撮影した。

初日に一回観ただけで、まとまっていないし、まだ頭の中でグルグル回っている。しかし、良くも悪くも、観た客をグルグル考えさせる状態に出来ている時点で映画は成功だと思う。もう一回ぐらいは劇場で観たいと思った。


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