マスカレード・ミュージアム

 博物館の説明にはこう書いてある。
「人にはかつて、色がありました」
 おおまかにわけて、白、黒、淡黄色の三色、錆びた銅のような褐色や、土色をした混血種もいた。前時代の人類、つまり有色人種とちがって、私たち無色人種の肌は混ざり気のない白、フレッシュ・チーズやユリの花びらのような透明感のある、真っさらな白色だ。かつて白人と呼ばれていた人種の肌は、厳密にいえば白色ではない。白に近いがほのかに赤みがかっていたり、黄色にくすんでいたりする。
 人間の皮膚は生まれた瞬間から劣化が始まり、太陽の光に当たると軽い火傷をおこして肌が変色する。それがじわじわと侵食して肌の劣化を促すのだ。もし私たちが肌に直接太陽光を浴びたりしたら、軽い火傷どころではなく、一瞬で全身火傷をして死んでしまう。太陽光から身を守るため、私たちはみな頑丈な防御壁の中で生活している。年に二度は健康チェックをし、肌のアンチエイジング処置も受ける。医療は日々発達し、治せない病気は存在しない。おかげで私たちは若々しい姿のまま、寿命まで安らかに生をまっとうできるのだ。

「どうして人は色をなくしたんだろう」
 私の問いかけに、類《ルイ》は「さあ」と首をかしげた。類は私の恋人で、毎日仕事が終わると私の部屋にやってくる。
「わからないけど、色なんてないほうがいいよ。昔は肌の色が違うってだけで争いがおこったり、同じ人間として扱われなかったなんてひどい時代もあったんだ。仮に僕らの色がちがったら、僕らは一緒にいられなかったかもしれないよ」
「そうかもね」私は肩をすくめた。
 二万年前に大規模な核戦争がおこり、地球上の生物は絶滅に追い込まれた。地下に逃れ、太陽のない生活の中で生まれたのが無色人種だった。やがて無色人種は地上に出て、太陽光から身を守る壁を作り、少ない種から動植物を養殖し、繁栄を遂げた……という人類が辿ってきた歴史は学校で習った。しかし私は気になって仕方がなかった。人はいつ、どこで、どんな風に肌の色を失くしたのか。最後に残った有色人種はどんな気持ちで消えていったのか。二万年も前に絶滅した人種。私たちとはかけ離れた肌の色。彼らのことを想像すると、私は遠く離れた場所にいる友人を思うような、不思議な懐かしさを覚えるのだった。
 
 私は一年前からこの博物館で働いている。客が来れば受付や案内などもするが、ほとんど来ないので仕事はもっぱら清掃だ。
 博物館に展示されている前時代の人類の模型は、樹脂で固められた体に、光沢のある塗料で色づけがされている。男も女もみな全裸で禿げていて、どこか不自然なポーズをとっている。片手を真上にあげて片足をあげている白人、あぐらをかいて手を合わせている黒人、体をくねらせいまにも踊りだしそうな淡黄人。どの模型も天井の白い光に照らされて美しく輝いている。この美しさはきっと、毎日人間の手で磨かれているからこそ醸しだされるもので、機械ではだめなのだろう。そう思うと、ただ掃除をするだけの退屈な仕事にも、どうにか意味を見出せるような気がした。

「あの博物館って、なんのためにあるんだろう。ほとんど人が来ないのに」
 私は夜、部屋にやってきた類に問いかけた。
「さあ」と類は首をかしげて言う。
「その場所を必要としている人がいるんだよ、きっと」
「どこに?」
「どこかに」
「それってどういう人? 今日は一人も客が来なかったけど」
「昨日は来たんだろ」
「昨日も、一昨日も来なかったわ」
 あまりに客が来ないので、たまに迷い込んだように人が入ってくると、同僚たちがざわつくほどだ。しかし、それは仕方のないことだった。知識をつけたいのなら、図書館に貯蔵されているデータを検索すれば、どれでも無限に映像で見ることができる。博物館には有色人種の等身大模型や、古い機械や昔の人々の生活、それと学校で習ったのより少しばかり詳しい説明があるだけだ。公立の施設ではないし、いったいどこの組織が、なんのために運営しているのか。収入がなくてもやっていけるということは、意外と大きな後ろ盾があるのかもしれない。私は顎に立派な白ひげをたくわえた館長の顔を思い浮かべた。バリトンのような独特な渋い声で挨拶していたのを覚えている。その館長も、最初に会って以来、一度も姿を見ていなかった。
 私は類と向きあい夕飯をとった。パネルからメニューを選ぶと、自動的に料金が支払われ、80センチ四方の箱に入った料理が運ばれてくる。ボタンを押すと箱が開き、中から懐石料理が出てきた。タコとキュウリの酢の物、タイの刺身、エビの天ぷら、白米に茶碗蒸しにお吸い物。いただきます、と言って箸を持ち、タコをつかもうとするが、つるつる滑って上手くいかない。
「君は相変わらず箸の持ち方が下手だな」
 類に笑われ、私はムッとしながら「ほっといて」と返した。ようやくつかめたタコは、甘酸っぱくて歯応えがあり、美味しかった。

 その日も、一人も客が来なかった。掃除の途中、私は妙なものを拾った。ビールの空き瓶だ。瓶は模型と模型の間に転がっており、透明の液体がちょろりと白い床に漏れている。私が空き瓶を手に眉をひそめていると
「昼間っからビール? やるねえ」
 同僚が後ろからからかうように覗いた。
「ちがうちがう、落ちてたの、ここに」
「じゃ、誰かが飲んだのかな。まったく、ゴミくらい捨ててほしいね」
「ほんとね」
 私は呆れつつ、驚いてもいた。一日中暇なので、掃除が終わると仲間同士でちょっとしたおしゃべりやゲームをすることはある。が、仕事中に酒を飲むような度胸のある者がいるだろうか。あたりを見回したが検討もつかず、諦めてゴミ箱に瓶を捨てた。
 五時、仕事をおえて同僚たちと一緒に博物館をでた。いちばん年長の者が鍵を閉める。
 じゃあね、また明日。手を振って、それぞれ帰路につく。通路に近づくとセンサーが反応し、通路がゆるやかに動きだす。上下左右、無数に張り巡らされている透明の通路が、仕事をおえた人々を家まで運んでいく。私は博物館から十分ほどの集合住宅に住んでいる。
 隣の隣の集合住宅に住む類とは、休日にたまたま一緒の通路に乗り合わせたのがきっかけで付き合いはじめた。類の物静かでおっとりしたところが気に入った。仕事がある日は帰りに私の部屋まで来て夜まで一緒に過ごし、デートのときは必ず迎えに来てくれる優しい恋人だ。
 そういえば、今日、類は用事があるから部屋に来ないと言っていた。買い物でも行こうかと、普段とはちがう通路に向かおうとした私は、ちょうど反対側の通路から来た男性の姿に足を止めた。類だった。用事の前にちょっとだけ会いに来てくれたのだろうか。声をかけようとしたが、類は私に気づかず、通路を降りてそのまま裏口から中に入っていった。
 どういうこと。いったい、類が博物館に何の用があるというの。
 裏口の鍵は閉まっていて、関係者以外は入れないはずだった。私は類が消えた裏口の扉を見つめた。スタッフ用の通行証をかざそうとしたが、センサーが情報を読み取る前に手を引っ込めてしまった。中に入るのが怖かった。毎日出入りしている博物館が、急に見知らぬ大きな建物に見えた。
「入らないんですか?」
「あ、いえ」
 後ろから降りかかった声に振り向くと、白いワンピースを着た美しい女性が微笑みをうかべて立っていた。女性は不思議そうに首をかしげながら、お先に、と通行証を扉にかざして中に入っていった。
 あんなにきれいな人がスタッフにいただろうか。いや、それよりも、無関係のはずの類が当たり前のように中に入っていったのが妙だった。
 私はもう一度、通行証を扉の前にかざした。扉が開き、足を踏み入れると、博物館の中には人がひしめいていた。何度も扉が開き、人がつぎつぎ入ってきて、私は壁際に追いやられた。普段からは考えられない騒がしさだった。しかし、驚いたのはそれだけではない。
「ああ、暑い」
「やっと脱げるわ」
 人々は口々に言いながら、まるでお菓子の包装紙を破り捨てるように、自分の白い皮膚をばりばりと手で剥いでいった。頭から足の部分まで、衣類と一緒に床に落ちる。中からあらわれたのは、黒、白、淡黄色、褐色……模型でしか見たことのない肌色ばかりだ。しかし模型ではない、彼らは思い思いに動き、言葉を話している。
 そのとき、奥にあるメインホールからひときわ大きな声が響いた。壇上に立つ人物に、私は目を奪われた。前に一度だけ会った博物館の館長によく似ている。肌は淡黄色で、顎の白ひげもなかったが、独特なバリトンの声を聞いて、確信した。
 館長は力強く拳を振り上げた。
「私たちは長い間、無色人種に虐げられてきた。そうして、自らの身分を偽って生きることを余儀なくされている。あのような人間らしさも中身もない無色人種が好き勝手にのさばっている現状を、断じて許してはならない!」
 そうだそうだ、と観衆が続く。
「いまこそ我々有色人種が立ち上がるとき!」
「壁をぶち壊せ!」
「愚かな無色人種に報復を!」
 地を揺らすような、唸りのような、ものすごい歓声が湧きあがった。みな酔っているように見えた。実際に酒を煽っている者もたくさんいた。昼間落ちていたビール瓶は、これだったのだ。
 唸りが収まると、今度は若者たちの演説がはじまった。その中には、類の姿もあった。
 私は瞬きも忘れて壇上に立つ類を見つめた。類の肌は、黒かった。黒い肌が、ライトを浴びて黒曜石のように艶々と輝いている。
「ねえ、あなた」
 入口で会った美しい女性に声をかけられた。私はぼんやりと彼女をみあげた。
「どうしたの、早く脱いじゃいなさいよ。そんなものつけていたって、邪魔なだけでしょう」
 脱ぐものなんてない、そう思いながら、私は無意識に自分の頭に手をかけた。引っ張ると髪の毛の部分がめくれ、そのまま下にぱりぱりと剥がれていった。

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