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BlackBerryと死

BlackBerryが再び死ぬ。

BlackBerryとはネットワーク関連サービス事業を展開するカナダ企業、およびその企業が開発・販売していたスマートフォンの名称である。なんといってもQWERTY配列の物理キーボードが搭載されているという唯一無二の外見と、セキュリティの高さが売りだった。

2002年に音声通話やインターネット接続が可能な端末を発売し、一時は北米大陸のビジネスマンを中心に人気を博したが、07年、そこにiPhoneという驚異的なルーキーが殴り込みをかけ、次いで08年にAndroid搭載端末が業界に参戦し、これらの端末が(というか、主に前者が)瞬く間に人心を掌握。BlackBerryは徐々に時代遅れの端末だと認識されるに至る。BlackBerry端末のOSは「BlackBerry OS」という自社開発のものだったのだが、14年にOS開発が終了。その後発売される端末のOSはAndroidとなった。そして16年9月には、端末そのものの自社開発を終了した。これがBlackBerryのはじめての死である。

これ以降は、ライセンス契約を締結したTCLという中国企業が、BlackBerry端末を製造・販売してきた。しかし専用メッセンジャーサービスが19年5月31日をもって終了。不穏な空気が流れる。そしてとうとう、ライセンス契約の終了に伴って、TCLによる製造・販売が20年8月31日に終了すると発表された。これが二度目の死だ。

一部報道によれば、今後のBlackBerryブランドのスマートフォンの展開について「将来的に他のパートナーに委託する可能性がある」と広報がコメントしたそうだが、ともあれ今年の8月31日、夏の終わりとともに、BlackBerryは再び死を迎えるのである。

なんでこんなことを書いているかというと、何を隠そうぼくのスマートフォンがBlackBerryだからだ。以下の文章はまとまりがないし、極めて主観的な物言いに終始するが、どうか了とされたい。

以前はXperiaを使っていたが、昨年BlackBerryKEY2に乗り換えた。阪急メンズ東京でいくつかのテナントを冷やかしていると、そのテナントのなかに、異彩を放つデジタル製品専門セレクトショップなむ一店ありける。あやしがりて寄りて見るに、店の中、光りたり。それを見れば、五寸ばかり(正確には縦の長さが15.1cm)なる黒き果実、いとうつくしうてゐたり。松井いふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る、百貨店におはするにて知りぬ、我が物になり給ふべき品なめり」とて、手にうち入れて家に――……持って行きたかったのだが、無理だった。税込89800円だったからだ。高い。とても衝動買いできる価格ではない。ちなみにiPhone11の価格が税込87780円だ。こっちのほうが安いじゃねえか。

しかしながら、とにかくかっこいいのである。上掲の画像がそれだ。スクリーンとキーボードとがくっついているという出で立ち。興奮する。興奮してきた。
その他の情報については公式ホームページを含め、先行するブログやレビューがいくらでもネットにあるのでそちらを参照してほしい。

※参考サイトの一部※

公式ホームページ

鳥羽恒彰『BlackBerry KEY2を買いました』

和田哲哉『BlackBerry KEY2 にして良かった10のこと』

さて、たしかに18年の機体としては、スペックもミドルレンジだし、搭載カメラの性能も微妙かもしれない。だからって、それがなんだというのだ。
いたずらに科学技術の発展のみを追い求めても手に余る。実際、性能がよすぎるデジタルデバイスを購入したはいいものの、持て余しているホモサピエンスのなんと多いことか。
ぼくがスマホですることを考えてみた。まずTwitter。これが9割だ。残り1割は、電子マネーで決済する、Spotifyで音楽を聴く、LINEで他者と連絡をとる、Evernoteで文章を書く、Kindleで電子書籍を読む、Amazonやメルカリで買い物をする、乗換案内アプリで乗換を調べる、これくらいである。さほどスペックを要さないものばかりだ。パズドラなどのゲームもしないし、Instagramに写真も載せない。さすれば、そこまでハイレベルの性能を求めずとも充分なのではなかろうか。
このようにぼくは数ヶ月悩みに悩み抜いて、どうにかこうにか89800円を支払う算段と、心の準備を整え、昨年7月、このきわめて美しい端末を我が物にした。電源を入れた瞬間の絶頂感はたとうべくもない。そして10ヶ月後、BlackBerryが再び死ぬことが発表された。一応、既存の端末のサポートは22年まで継続される。とはいえ、市場からBlackBerry端末は消え失せるのだ。

驚きはなかった。当該企業のこれまでの経緯に鑑みれば、いずれこうなってもまったくおかしくないと分かっていた。iPhoneが席巻するわが国のスマホ市場で(なんなら世界全体で見ても)、BlackBerryは春の夜の夢、風の前の塵だった。
しかし、しかし、早すぎる。
たとえていうなら、出会ったときにはすでにちょっと病気がちの人と病院で恋におちて結婚し、その10ヶ月後に医者に配偶者の余命宣告をされ、「覚悟はあったけど、まさか、こんなに早いなんて、ああ、神様」というパターンのやつだ。

もちろんそれでもぼくはBlackberryを愛している。むしろ製造販売終了と分かってから尚一層愛着が増した気すらする。滅びゆくものに惹かれるタチなのだろうか。否、そうではない。そういった部分もあるかもしれないが、それだけではない。BlackBerryは単純にかっこいいのだ。
かっこいいというのは極めて大きな特長である。
見よ、iPhoneを筆頭に、物理ボタンを極力排除しようとする潮流のなかで、それに真っ向から抵抗するこの機体を。これだけで興奮するであろう。世の中に興奮することっていっぱいあるけど、いちばん興奮するのはBlackberryを見たときだね、間違いないね。

購入してからというもの、BlackBerryをまったく知らない人びとからは「それ通話できるの?」「90年代のヴィンテージ?」「あなたが持っているのは電卓ですか?」など、さまざまな声が聞かれた(すべて実話)。
しかし、おそらく以前使っていたと思われる一部の層からは「その姿は、我が愛機(読み方:とも)、BlackBerryではないか?」と、あたかも袁傪のごとき反応を得た。
また、いちばん面白かったのは、メールの署名である。iPhoneの端末からメールを送ると、署名欄に「iPhoneから送信」と出るように設定されているように、BlackBerryでもメールを送るとデフォルトで署名欄に「BlackBerryから送信済み - 最も安全な携帯端末」と出ることだ。ただでさえ「◯◯から送信」という一文が誰にとって有益なのか理解しがたいのに、それに加えて「最も安全な携帯端末」と自分でいっちゃうあたり、かえって清々しいではないか。

ああ、BlackBerry。市場の中心からは追い落とされても、自らの誇りと美意識とを守り抜こうとして、滅びゆくBlackBerry。武士の台頭に伴って政治的発言力と経済力を失った京の貴族のようである。
サポート終了のその日(あと2年)までぼくはこの端末を使い続けるし、仮に第三者が新たにライセンス契約を締結してBlackBerryブランドのスマホを発売するとなれば、それに乗り換える気構えだ。
BlackBerryブランドが今後市場に展開されない場合は(展開されない可能性のほうが高いと思うが)、いま使っているKEY2をガラスケースに入れて保管し、50年後に「わしが若い頃はな……」と近所のガキどもを捕まえては、ガラスケースの中の過去の遺物について一方的に喋りまくる老後を送りたい。

いや待て。わが国の超少子高齢社会の現状から思料するに、50年後、近所にガキどもが複数名いるとは限らないだろう。子供などという存在は、めったにエンカウントしないレアキャラになっているに違いない。そもそも、ぼくが50年先まで生きている保証などない。「50年後に近所のガキに『うるさいジジイだなあ』と思われたい」などというのは、あまりにも身の程を知らない傲慢な未来予想図だったのだ。猛省している。

わかった。じゃあこうしよう。ぼくが死んだら、誰かぼくの遺灰とこのKEY2を一緒に埋葬してくれ。それでよしとする。


【付記】Blackberryのキーボードがいかに文章を打つのに適しているかを示すため、この文章はすべてBlackBerryKEY2で打った。

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