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個性に寛容な社会は割と居心地の悪い世界

今日みんなで集まってワイワイしてる席で、年配の方にお酒を勧められた。

僕はからっきしお酒が飲めないので「お酒飲めないので遠慮しておきます、ありがとうございます。」と伝えると

「お酒も飲めなくてなっさけないねぇ〜あんた」

と言われた。

先に書いておくと、相手は冗談半分で言っているし、僕はその人のことが好きだし、その言動を非難する文章ではない。

その言葉を聞いた時に「あ、今ってめっちゃいい時代だなぁ〜」って思った

今の世の中、お酒が飲めないから情けない、って言われることなくないすか?

僕は割といろんな席でお酒を断ってきたけど、言われた覚えは多分ない。

お酒が飲めないのは体質のせいで、情けないから飲めないわけではない。ってみんな理解してると思うんですよね。

一部の体育会系オラオラ飲み会とかは縁がないので知らんですが。


少し恨み節を書くのであれば、お酒弱い人がそうして無理して飲まされて、頭痛くなって、気持ち悪くなって、お酒で失敗をしても、飲ませた人は何も責任を負ってくれないわけで。

そんなの飲む理由が見つからないもんね。飲めない人は飲まないのが一番だと。


で、ここ最近はそういう昔の「根性論」的なのってどんどん排除されてると思っている。

LGBTだって、酒飲めない人だって、病気の人だって、信教がある人だって、それはそれでいいよねという。

均一化する必要はなく、そうという事実があるならそれで良くない?という流れだよね。

要は個性に寛容 ということなのかな。


でもでも、この個性に寛容な社会は、同時に居心地がそこそこ悪い社会でもある。

個性に寛容ということは、自分と対偶の個性や価値観を持った人にも寛容であるべきなのだ。

さっきのお酒の例で言うなら「飲めない人は飲まなくていい」という意見の人に寛容ならば、「お酒が飲めないやつは情けない」という意見の人にも寛容であるべきなので。

自分を認めてもらうには、自分の対偶も認めなきゃいけないと。


なので、これからは棲み分けが大事なのかな。

別にこれから、とかじゃないか。今までどおり、棲み分けが大事。

みんな平和に過ごすなら、似てる価値観・バイブスを持ってる人と関わってる方が余計な摩擦が無くて幸福度上がるはず。

メーン

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