おもしろがってやったことが誰かの解決になれば嬉しい。

おもしろがってやったことが相手に喜んでもらえたら、なお嬉しい。
それが自分の根っこだ。

北海道から上京した直後、もともと引っ込み思案だった自分の性格を意図的に忘れた。

初めて会う人との会話で『自分から発信をしないと相手は自分のことがわからない』ことに気づいたからだ。
そうしないと東京では生きていけないと直感した。

自分が何者かを伝えることで相手は受け入れやすくなる。
最近会った人に引っ込み思案だったことを話すと驚かれることが多い。

2018年の年明けに『とにかく動く』ことを決め、自分で動ける限りたくさんの人に会った。手を動かした。

動き出した理由は、漠然とした『今のままではダメだ』という危機感からだ。生きていく上で武器がほしかった。
お会いしたみなさんは素晴らしい方ばかりだ。

先日、聞いた瞬間に鳥肌がたった言葉がある。

『人は空白に耐えられず憶測で空白を埋める』

人は初めてのことを見たり聞いたりすると、脳がそのままにすることに耐えられず、過去の自分の経験に照らし合わせたり、感情をつけたり、カテゴライズをするらしい。

聞いた瞬間フラッシュバックした。
引っ込み思案だったころ、自分は人との摩擦を避けていた。

議論がしたかった。

相手が期待しない何かを伝えると、相手は嫌われた、文句を言っていると受け取られることがあった。
できれば摩擦は起こしたくない。会話が止まればそれまでだから。もったいない。

自分の意見を伝えたことで、そのまま一言も話していない人もいる。

言葉の選び方が悪かったのか。
おせっかいだったのか。
知らず知らずのうちに上から目線になっていたのか。
相手の状況を理解せず、言葉足らずだったのか。

小学生の頃に転校した経験が大きいだろう。
あのなんとも言い表せない圧倒的なアウェー感は他にない。

転校前に明るかった自分はいなくなった。
小学生の自分の脳は目の前で起きることを処理しきれずに、パニックになっていたのだろう。

当時新しいクラスの人や先生に対して身構えてしまい、そこから長く引っ込み思案だった。
いまだにあの足が震えた自己紹介の景色を覚えている。
転校後からの幼馴染みには感謝しかない。

引っ込み思案の自分はもういない。
ここ1年動いたことで自分がおもしろがれることは見つかった。

自分がコントロールできる範囲で考え、悩み、おもしろがりたい。
それが誰かの解決になれば嬉しい。

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