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前田デザイン室はなぜオンラインのやりとりだけでウラサンプロジェクトを成功できたのか?~強く感じた要因3点~

大阪の飲食店街、お初天神裏参道と前田デザイン室がコラボした、通称ウラサンプロジェクト。

オンラインサロンで類をみない長期(約11ヶ月)プロジェクト、プロジェクトメンバー約60名、ほぼすべてオンラインのみでプロジェクトを進行したというめずらしいプロジェクトだったと思う。

ウラサンについてもうひとつnoteを書こうと思ったのがこのテーマ。
『前田デザイン室はなぜオンラインのやりとりだけでウラサンプロジェクトを成功できたのか?』

なぜこの記事を書こうと思ったかといえば、これから書くポイントがどんなプロジェクトにおいても大切だと思ったから。そして忘れないように残したいと思ったから。
ましてや前田デザイン室は仕事じゃない。メンバーは楽しそうだから、そして自然と経験を積むために参加している。

なにかひとつのプロジェクトを進めようとした場合、実際にひざをつき合わせてもうまくいかないこともある。
ウラサンプロジェクトはメンバー60人、調整のほぼすべてをオンラインのみで完遂したのは特異なことだと思う。

ぼくはプロジェクトの終わりから約2ヶ月前に参加したので、プロジェクトが成熟していた。
ぼくの視点からなぜこのプロジェクトが成功したか、要因はたくさんあるが、強く感じた3点を書いていく。


できあがった成果物にたいしてメンバーが反応する


前田デザイン室のメンバーは、メンバーがつくった成果物についてしっかり反応する。
ウラサンプロジェクトはDiscordというチャットアプリを使っている。リアクションマークしかり、メッセージしかり、反応するのは大事だと思う。そして誤解をうみやすいテキストメッセージでも、やり取りがみんなうまい。

(Zoomというアプリを使ってweb会議をよくやっていたこともつけたしておく)

ふだんぼくがひとりで会社でプログラミングをしてなにかつくっても、特に反応がないのが当たり前だ(今もそう)。

自分がAR(拡張現実)のプロダクトを担当してわかったのが、成果物に反応してもらうことのうれしさ。

「お!」だけでもうれしい。たとえ修正点があったとしてもなにかしらのリアクションは大事だと思った。プロジェクトに参加している感、雰囲気も生まれる。なによりプロジェクトの雰囲気が良くなると思う。

あらためてしっかり反応することだ大事なんだなと痛感した。


ポテンヒットをみんなでとりにいってカバーする


ウラサンプロジェクトはたくさんつくるものがあったので、どうしても細かいところで取りこぼしが出てくる。
どのプロジェクトでもよくあることだろう。

野球でたとえると、バッターが打ったフライが内野と外野の間、みんながボールをとりにいってもとりづらいところに落ちてヒットになってしまうのがポテンヒット。

いろんな要因でポテンヒットになってしまう作業があったが、メンバーはポテンヒットになった後のカバーリングが素早いし、こころよく引き受ける。
そして引き受けた人ひとりに任せるのではなく、まわりもしっかりフォローする。理想的なカバーリングだと思う。

仕事でもここまでカバーできているプロジェクトはなかなかお目にかかれない。

メンバーのみんながプロジェクトを成功させたい、いいものをつくりたい、という思いのたまものだと思う。



リーダー まどぅーかの調整力


ぼくが今回一番感じたのはこれだ。
ウラサンプロジェクトリーダーをしていたまどぅーかの存在。

ぼくは前職で金融系システムのネットワークチームで小規模ながらリーダーをしていたのと、中学校のときに野球部のキャプテンだったので、まとめる人間の苦労を少しはわかる。

本人は絶対言わないだろうから。ぼくが言う。
こんな優秀なリーダーを見たことがない。
彼女と一緒に仕事をした人は全員思うはず。

彼女のどこが優秀なのか?要素はいろいろあるが、特筆すべきは調整力だと思う。

まどぅーかが調整していたのは、ウラサン側の担当者の方、グッズの外注先さん、前田さん、メンバー・・・etc(もっとたくさんの人と調整していたはず)

すべての人に合意を取りながら進めていた。少しでも誤解のないように。みんなが気持ちよく作業ができるように。
この調整作業が抜群にうまいと思った。


・専門的なことでわからない内容でも自分の意見をしっかり伝える。
・デザインやゲーム、Webサイトなど、自分がつくれないけど自分の中でイメージがあるものは手書きをして伝えて、メンバーを信頼してお願いする。
(そもそもメンバー全員優秀だというのも見逃せない。メンバー全員優秀だ。大事だから2回言った。)
・忘れてた作業も理由を添えてメンバーに伝えて頼る。


「そんなのプロジェクトリーダーなら当たり前だろ?」と思うかもしれない。
でもそういう当たり前を当たり前にやって積み重ねて、みんなから信頼されるのが大事なことだ。

先がみえない長期に渡るプロジェクト、リーダーとして心が折れそうになったこともあったはず。
リーダーはまわりに支えられたとしても自分で決めるところは決めなきゃいけない。孤独だ。
このプロジェクトを乗り越えたまどぅーかは強いと思った。


さいごに


前田デザイン室は「失敗していい」という文化がある。だからメンバーはフルスイングができる。
でもそうはいってもできれば成功させたいのが人の常。

このプロジェクトはメンバーだれかひとりでも欠けると成功しなかったと思う。

ウラサンプロジェクトは大事なことをたくさん教えてくれた。成功した要因だと思った点は他にもまだあるが、3点に絞った。
ぼくにとって財産となったプロジェクトだった。

今後もふとしたときに思い出すだろう。

2019年8月24日。
今日は夜に前田デザイン室の定例会がある。
ウラサンプロジェクトでできたウラサンダンスを踊る最後のチャンスだろう。
踊りおさめる。


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ここから下はぼくのウラサンあとがきです。
プロジェクト後の感想で、ほぼ日記です。


あとがき 〜祭りのあと・ARとの出会い〜


祭りが終わった。
2019年8月3日。昨日大阪のお初天神裏参道にいたんだな。
今、大阪から東京に帰る新幹線の中でこれを書いてる。

今年は梅雨が終わってすぐ突然暑くなった。
「空が青くなって夏らしい天気ですね」なんて会話をした気がするし。

知らんやん。

大阪梅田にある「お初天神裏参道」通称ウラサン。
小道にたくさんの飲食店が立ち並ぶ。いつもお客さんでいっぱいの大人気スポット。
ここでぼくは初夏を過ごした。

お初天神の由来を調べると、

『近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書いた。以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになった』

とのこと。

そういえば知り合いにもんざえもんっていうあだ名の人がいるな…そうか由来はここから!?

知らんし。(いやきっとそう)

お初天神裏参道 x 前田デザイン室。
自分が所属する前田デザイン室がウラサンとタッグを組んで、ウラサンを盛り上げることになった。

もともとこのウラサンプロジェクトは11ヶ月にも及ぶ長期プロジェクトだ。
自分が参加したのはほんの最後の2ヶ月だけ。

自分が参加したのは5月のある日。
「ゲームをつくりたいってまどぅーかが言ってるよー」とけーらんさんを通じてプロジェクトリーダーのまどぅーかからのお誘い。

(おー!ゲーム楽しそー!)

と何の気なしで最初の打ち合わせに参加した。

ゲームはゲームでつくる話になったが、ひょうんなことからゲームとは別でARの話が盛り上がる。

まどぅーか「3Dのウラサン団が飛び出すの!?やりたい!」

ウラサンに参加しているメンバーと、メンバーの役割を考えると、、、できるのは自分だなと思って手を挙げた。

自分「ARつくったことないので自信ないけどいいですか?」
もんさん「失敗してもええのよ」

失敗してもいい。これが前田デザイン室。

いつも自分が新しいことをやるときのパターンとしては、その技術の本を買って、少し勉強してから取りかかることが多い。

でもARはまだ出ている本も少ない。思考錯誤(※)した。

※思考錯誤したnote

苦しんだけど楽しかった。夢中だった。
ARの完成品ができたときは家でひとり渾身のガッツポーズをしていた。
やりきった。

そして8月3日。大阪。お祭りへ。

ふと思いついて浴衣を着ていった。
夏だしね。ノッてるね。

現地でみるARは自分でつくったものにみえなかった。
手がはなれた子どものよう。晴れ舞台で輝いてる。

表舞台のARをみて鳥肌がたった。なまら嬉しかった。
これだ、やりたかったのは。

打ち上げでははじめて話すメンバーがたくさんいて。
自分をさらけだして話した。そしてウラサンダンスを踊った。

高校の文化祭の打ち上げだったな。みんな笑ってた。
みんながつくったものに囲まれて飲む酒がこんなにおいしいとは。
みんなひとりひとりがそれぞれに大変だった分、ひとしおだったんだろうな。

大阪でぼくは体重が1kg増えました。

知らんがな。

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