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TESLA [TSLA] の歩み①

イーロンマスク Elon Musk

テスラを語るにあたってイーロンマスク抜きには語れない

1971年6月28日 南アフリカ共和国プレトリア出身のアメリカの実業家。
彼は10歳でコンピュータをはじめて手に入れ、プログラミングを独学
12歳の時には自作した商用ソフトウェアを販売開始した。
17歳で単身カナダへ移住し、親戚の家を転々としながら、小麦農場や野菜畑で働いたり、製材所のボイラー清掃、丸太を切る仕事などもしていた。
 その後アメリカへの移住を決断しペンシルバニア大学へ奨学金を受け、物理と経済学を学び学位を取得。

1995年、彼は高エネルギー物理学を学ぶためにスタンフォード大学大学院へ進学するが、たった2日在籍しただけで退学「今は学んでいる場合じゃなくビジネスを始めるべき」と弟のキンバル・マスクと共にオンライン出版ソフトを提供するZip2社を起業した。
新聞社やメディア関係のオンラインコンテンツを手掛けたこの会社は彼が24歳の時にコンパック社に約3億ドルで売却される。

1999年、会社売却で手に入れた資金を元手に、オンライン決済会社「Xドットコム」を創業
(1998年 スタンフォード大学在学中のラリーペイジがGoogleを創業)
約1年後、X.com社はコンフィニティ社と合弁

PayPalの誕生

2001年、にはPayPal社となる。

2002年、PayPal社はeコマース企業のeBayに買収されイーロンマスクは約200億円を手にした。

ここまでで充分成功者だが、イーロンマスクの本当の挑戦はここから始まる

余談ですがPayPal社の売却で大金を手にしたイーロンマスクの仲間たちは『ペイパルマフィア』と呼ばれ今でも様々な分野で活躍している。

ペイパルマフィアのメンバー 一部抜粋
●ピーターティール [創業者] Facebook初の外部大型投資家で「YouTube」「Airbnb」「SpaceX」「Tesla」等にも創業期に投資し成功に導いている。
●リードホフマン [共同創業者] ビジネスSNS LinkedIn創業者
●ジェレミー・ストップルマン [共同創業者] 口コミサイトYelp創業者
●チャード・ハーリー [共同創業者] ご存知YouTubeの創業者
そしてイーロンマスク 他多数

いやー、凄い顔ぶれですね。
日本ではマフィアとは呼ばれていませんが【リクルート】が代表的ですかね
マクロミル、LIFULL、リンクアンドモチベーション、トレンダーズ等 多数の上場企業経営者を輩出しています。

I will never give up and I mean never.

「私は絶対に諦めない、絶対だ!」
そう心に誓ったイーロンマスクの本当の挑戦はここから始まります。

スペースX社 爆誕!

2002年、イーロンマスクは周囲の猛反対を押し切り「スペースX」社を設立スペースX社は民間宇宙ベンチャーで「NASAもやろうとしない、誰もやらないなら火星ロケットは自分たちで飛ばすしかないだろ!?」と言い放ち、 火星移住を可能にするための輸送コスト削減を目的に事業をスタートする。
(コンピュータソフトやアプリの世界で成功してきたイーロンマスクが火星と言った時、周囲の人達に鼻で笑われている情景が目に浮かびます)

TESLAとイーロンマスクの出会い

2004年、イーロンマスクは「テスラ・モータース」の共同創業者のエバーハード氏から出資を打診され快く引き受けEVの開発に着手する。
この時、ほぼ同時期にスペースXの技術担当者J.BストローベルからEV事業の提案を受けており、イーロンマスクは出資と同時に会長に
エバーハードがCEO、ストローベルがCTOに就任しTESLAは始動した

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イーロンマスクは、「価格10万ドル」「1回の充電で航続距離400Km」「誰もが欲しくなるCoolなEVスポーツカー」の開発計画をたて資金調達を開始した。
2004年4月、イーロンマスクが主導したA投資ラウンドで750万ドルを調達
2007年8月 までに4回の資金調達が行われ、ペイパルマフィアの仲間からの出資、ラリーペイジ(Gogole創業者)等の著名な投資家やベンチャーキャピタルそしてJPモルガン管理のFUND等からの資金調達をおこなった。

この頃、車両開発は自動車の製造の名門「ロータス社」と共同開発が決定
ブラピやディカプリオ等の有名人からも予約が入り期待と話題性は高まりました。

TESLA 最大の危機

いっぽう車両の開発は順調に進まず、性能とクオリティを求めるイーロンマスクの要求をみたせず。また多数の特注備品を使用する為コストもかさみ
納期の遅れと、資金難と言う問題に直面しました。

さらに当時の「スペースX社」では無人ロケット「ファルコン1」の打ち上げを2回延期、その後3回の失敗があり、イーロンマスクは2つの会社で危機的な状況に陥っていた。

2007年8月、エバーハードCEOがテスラを去り、後任に暫定CEOのマイケルマークスが就任、マネジメントチームの再編と部品調達コストの見直しが行われた。 
その後ジープ・デュローリが正式なCEOに就任、創業メンバーを含む社員の1割が解雇される大胆なリストラが断行された。

2008年3月17日 2007年10月に予定されていた、1台目の「テスラロードスター」納車がやっと行われる

(日本初上陸は2010年4月頃 当時の価格は1,810万円)

テスラロードスターは400台以上が納車待ちの状況で巷で倒産危機がささやかれ始めた頃の
2008年5月、テスラは5回目の資金調達を行い、4000万ドルを調達
イーロンマスクも個人資産から7000万ドル提供しこの状況を凌いだ。

TESLA 奇跡の復活!

2008年9月28日 窮地に追い込まれつつあったイーロンマスクに転機が訪れる、それは「スペースX 4回目の打ち上げで初成功」と言うビッグニュース!

(ファルコン1打ち上げが成功した9月28日は今でもファンにとっての記念日です。)

そして遅れていたTESLAロードスターの納車も遅れを取り戻し始め、アメリカの街をイーロンマスクの夢が走り始める。

後にイーロンマスクは「もし4度目のロケット打ち上げが失敗に終わっていれば次は無かっただろう、、、、」と語っている。

若い民間企業によるFalcon1ブースターの最初の3回の打ち上げは失敗しました。お金はほとんど残っておらず、4回目の打ち上げが決定的でした。それも失敗した場合、SpaceXは現在存在しません。
しかし、2008年9月28日、ファルコン1はPNモックを軌道に乗せることに成功しました。
ーーーーーーーーーーー上記 Tweetの翻訳

次号に続く、、、、、


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