知念塔夜の               毎日が〝すぴりちゅある”         Toya’s Everyday “spiritual!” Life EP2

 オッス、オレは槣原大地。高校三年生だ。
オレには一つ年下の従妹がいる。
名前は知念塔夜、みんなフツーに「トーヤ」って呼んでるが、
高校に入って、誰が呼んだか「通り名」なんてものも出来ちまったようだけど。

普段の見た目はかなりパンクで、エレアコ抱えてハスキーボイスで唄うし、
オトコみたいな口調で喋るし、
リラックスしてる時はほぼ完全に関西弁だ。
従兄のオレが言うのも何だが、母親譲りのなかなかの美人だぞ。

だが…塔夜には、オレしか知らない、ヒミツの顔がある。

 オレの実家はそれなりに由緒ある寺で、祖父さんは力量のある坊さんだ。
母ちゃんの京香はその後継で、その妹の瑞穂叔母さんは、
都会で働いていて、週末だけ実家に帰ってくる生活をしていた。
龍夜叔父さんと結婚して塔夜が生まれてからもそれは変わらなくて、
3人はオレん家に居候してた。オレと塔夜は兄妹みたいに育ったんだ。
イマ風に言えば俺たちゃ“バディ“ってワケ。

オレもまあ、一応は坊さんのタマゴなので、
いわゆる“見える人”だったりするのだが、
実は塔夜には、オレの比でない力がある。
祖父さんの能力を受け継いでいるんだろう。
そのおかげで塔夜とオレは、幼少の頃から、不可思議な…体験を重ねてきた。
塔夜(とオレ)にとっては、それも日常茶飯事なんだけどな。
言わば、「毎日がスピリチュアル」ってワケさ。

さて、まだ幼稚園児だった時に、
父親を亡くすという最大級の辛い体験をしたものの、
同時に「龍夜叔父さん」という、
これ以上ない強力な【加護】を得る事になったトーヤ。
一方、都会で働いている瑞穂叔母さんは、
以前は週末だけ実家に帰宅の態勢を取っていたが、
龍夜叔父さんを亡くしてからは、まだ幼いトーヤのそばにいる時間を多くする為、都会にある仕事場まで、毎日実家から通勤するようになっていた。

オレたちと言えば相も変わらずで、
祖父さん・槣原航雲和尚のもとで修行(?)に明け暮れながら
賑やかでヤンチャな日常を送っていたのだが、
トーヤが小学4年生、オレが5年生の夏休み、
オレ達にとって大きな転機が訪れる。

子供って、いつかはみんな大人になるものさ。
今日はそんな頃のオレたちの、まあ言わば【成長物語】をご覧あれ!



 シャワシャワシャワシャワシャワ……シャワシャワシャワシャワシャワ

8月に入って一段と暑さが増した。
山間のこの辺でも、もちろん気温は高いのだが、
寺の境内にはたくさんの木が植えられているため、
街中に比べると随分と凌ぎやすい。クマゼミの声は多少はうるさいが、
風はカラッとして爽やかだ。

「おはよ~」
「おはよ~~はあああ……まだ眠た~」
「帰ったらもっかい寝よ~~」
昔に比べるとこの辺の子供の数もずいぶん減った。
それでも夏休みに入ると、
ラジオ体操のためにやって来る子供達が両手で数える程はいる。
しかし彼らもまだ半分眠っているのか、いささか勢いがない。

境内にラジオ体操のメロディが流れる。
体操が終わると、まだまだ寝足りなそうな子供達はそれぞれの家へと帰っていく。
「バイバ~イ、トーヤ」
「大ちゃん、また後で~!!」
「おう!昼過ぎな。」

トーヤと大地は、帰る学友達を見送った後、朝食前に
この寺の住職・槣原航雲の催す【早朝観想会】に参加していた。
ラジオ体操からの流れで、続けて行われているこの観想会には、
常時、檀家のお年寄りなど数名の参加者もいるが、
航雲の直系の孫であるトーヤと大地にとっては、参加は日常の一部となっていた。

境内をいきなり、強い風が吹き抜けて、クスノキの葉がハラハラと落ちる。
梵字を前に、目を閉じて意識を集中していたトーヤが、ふと薄眼を開けた。

「来る……」

「……またアイツか。今年も来たか……全く懲りねえな」

二人の集中を途切らせた何者かの存在は、
もちろん一緒にいた航雲和尚の意識にも上っていた。
和尚は空をふり仰ぐと、大きなため息をひとつ付いた。

「風雲急を告げる、か……」
彼はそうつぶやくと、立ち上がって2人に言った。
「そろそろ朝ごはんじゃ。朝の会はこれで終わりにする。」

和尚がそういうと同時に、京香のよく通る声が、お堂の方まで聞こえてきた。
「みんな~朝ごはんだよ~!!
マッさん!みーちゃん!早く来て食べちゃいなー!仕事遅れるで~~」
「待ってました!」
もう既に腹ペコ状態の食いしん坊大地が台所に一番乗りすると、
割烹着姿の京香が、家族6人分のご飯茶碗に飯を盛り付け、
椀に味噌汁をよそっていた。

「うんまそうな匂い…母ちゃん!オレ、大大大大盛なっっ!」
「はいはい。あんたの汁椀はコレや!」
ドーン!と大地の目の前に置かれたのは、
食べ盛りの息子のために京香が用意した大きなラーメン鉢。
「おお……」
美味しそうなお味噌汁の匂いに、大地の腹が唸る。

味噌汁に卵焼き、焼き魚。これぞ和食!といった風な京香の手料理は、
家族みんなが大好きなお袋の味ってやつだ。
のっそりやって来た、“マッさん” こと大地の父親と、
シャツの腕ボタンを止めながら走り込んできた瑞穂が、
危うく台所の入り口でニアミス!
「きゃああ!ゴメンなさいお義兄さん!!」
「ああ…大丈夫大丈夫。」
毎朝、似たような光景が繰り広げられている、ここ、槣原家の食卓である。

「瑞穂……全くお前は幾つになっても……忙しない娘やのう。
まだまだ修行が足りんようじゃ。」
トーヤと一緒に台所に入ってきた、京香と瑞穂の父・航雲和尚がため息を一つ。
「ハイ、お父さん!頑張ります!」
トーヤと大地がクスクス笑いを堪えながら、
みんな揃って「いただきます!」
大地は席に着くのももどかしげに、味噌汁に食らいついた。

「おいしい……お姉ちゃんのお味噌汁は、私のパワー源よ!」
大地と同じくらいの勢いで朝食を取っている瑞穂が、
椅子からお尻を浮かせながらカバンを手にする。
「ごめんね。お姉ちゃん、あと頼んどく!」
「OK、気をつけて行くのよ!!」
「みーちゃん、行ってらっしゃい!今日はお土産に、ぜひ557の豚まんを……」
「わかったわかった。大ちゃん、トーヤのこと、ちゃんと見といちゃってよ!」
「ちゃうでお母ちゃん、ウチが大ちゃんの面倒見てんねん……」
「お、オマエそーゆー事、言う??」

「車に気をつけて行くんやぞ!」
「わかってるわよ、お父さん。みんな、行って来ま~す!」
「行ってらっしゃ~~い!!」

毎度毎度、嵐のような瑞穂の出勤風景である。
おおよそ車で1時間半、街中のダンススタジオが瑞穂の職場である。
彼女は人気のダンスインストラクターだ。
瑞穂は台所から玄関へ走り抜ける途中で、
チラリと見える和室の仏壇に向かって手を合わせた。
(行ってきます!龍ちゃん!)

その半時間後、朝食を食べ終わって新聞を読んでいたマッさんが、
これまたのっそりと出勤した。
「ほな、行ってくるわ、京香。
大地、今日もしっかり修行せえよ。和尚、よろしく頼んどきます」
「おー。父ちゃんもしっかりな!」
「行ってらっしゃ~い!」

マッさんを見送った後、台所で後片付け中の京香の後ろの食卓で、
トーヤと大地が、夏休みの宿題をやっつけていると、
寺の外から、けたたましい鶏とニンゲンの争う声が聞こえて来た。

「痛い痛いイタッッ!!止めろ!やめろっつってんだろ!」
「コケーーーーーーーーッッッ」

二人は顔を見合わせてため息をついた。
「ワリと早かったやん。今年は道間違えんかったんやな……」
「ハハハハ!学習したってか!」

近所で放し飼いされている雄鶏と相性が最悪らしく、
来るたびケリを入れられている招かれざる訪問者がやって来た。
手には年代もののボンサック。いつの時代か、と突っ込みたいところ。
表に出てきたトーヤと大地は苦笑しながらも、その訪問者を迎えた。
いつの頃からか、毎年夏にやってきては、この寺の風紀を乱していく彼。
去年と違うところは、彼の髪の毛が燃えるような赤に染められている事だった。
大地とトーヤは再び顔を見合わせたが、あえて何も言わなかった。

「何なんだよ!いつもいつも!アイツはよ!」
「……人相悪いからな~トラ兄」

【トラ兄】と呼ばれた少年が、
ボソッとそう呟いたトーヤの方をガン見して言った。
「お…おう!トーヤ!待っとったか?今年も来てやったぜ!!」
「誰も待っとれへんわ」
「相変わらず口悪いな!黙っとったらカワイイのによ……」
「余計なお世話やん。どーせまた伯父ちゃんとケンカしたんやろ?懲りへんなァ」

ため息をつくトーヤに少年はヘラヘラっと笑ってみせる。
トーヤの発言に反して、笑えば少しは可愛げも感じられるようだ。

次に彼は、半ば呆れたような顔で自分を眺めている大地の方に目をやると、
少々情けない顔つきになって大地を見上げた。

「お……おう大地!オマエはまた……来る度にデカなっとるな!
何食べとったらそんなになるんや。ちっとは遠慮せえや」

「余計なお世話だろ…… ところでトラ兄は~相変わらずチビやな?」
大地はニヤリと笑って、自分より年上の少年を見下ろし、
チクリと嫌味で応戦する。

少年の名は、知念寅時(トラジ)通称トラ兄。
トーヤの父方の従兄(龍夜の兄の息子)である。
中学2年生、現在13歳。身長は160㎝に少し足りない。
(ちなみに大地は小学5年生にして既に165㎝)
ヘアスタイルなんかは少し龍夜にも似ているが、三白眼で鼻っ柱が強いため、
どうにもワルそうに見えてしまう。
(今年はヘアカラーも真っ赤である!)
トラ兄は、担いでいたボンサックを大地の方に投げると、
ガシッとトーヤに肩組みして、言い放つ。

「ああ~~喉乾いた!ハラ減った!オレ昨日の晩、下の駅で寝たんだぜ。
うまい飯、期待してんぜ。」
トーヤは組まれた肩をさっさと振り払ってズバッと言った。
「ホンマ、アンタ厚かましいにもホドあるで……
人んトコ来るときはちゃんとアポ取ってからや!
何べん言うたらわかんねん。」

トーヤは大地が受け取ったトラ兄の荷物を取りあげると、
彼の方に投げて寄越す。
「旅館ちゃうねんから、自分の荷物は自分で持っていき!
京おばちゃんにも、ちゃんと挨拶すんねんで」
「へえへえ」
トラ兄はトーヤにたしなめられるのを楽しんでいるかのように見える。
トーヤはトーヤで、この年上のイトコを、まるで弟扱いである。

「マアマア!仲良く行こうぜ!夏休みはコレからじゃ~ん!」
トラ兄は、大地とトーヤ二人の真ん中に入って二人の肩を組んだ。

「大地ー!塔夜ー!おいで! 昼ご飯前のお勤めの時間じゃ!」
航雲和尚の声が聞こえる。
トーヤがトラ兄の顔を見て、少し意地悪そうに笑った。
「トラ兄も一緒に【お勤め】するか?ちっとは根性入れ替わるかもな……」

「ホラ、ちゃんと拭けって!」
大地に急かされたトラ兄が、彼らと並んで廊下の雑巾掛けに挑む。
「ヒ~~~」
「情けない声出しとるんやないで。ホレ、しっかりしいや!」
お寺の縁側は、しっかり長い廊下。午前の柔らかな光を取り入れ、
美しく黒光りしている。
普段は京香や航雲、近所の檀家の人などが寺の掃除もしているのだが、
夏休み中はそれは子供達の仕事。
毎日のように大地とトーヤが丁寧に磨き立てているのである。
お寺では、拭き掃除も大切なお勤めである。

「忘れてた…ここへ来たらコレがあるんだった……」
「何ブツクサ言うてんねん。次!部屋の方行くで!」
腰をさすりながら早くも少し後悔のセリフを口にしているトラ兄を叱咤しつつ、
トーヤはお勤めをテキパキとこなして行く。

「今日もお勤めご苦労であった。子どもたち。ありがとう。合掌!」
「ハイ!お祖父ちゃん!!ありがとうございます! 合掌!」
トーヤと大地は声を揃えて元気に答え、手を合わせた。
航雲は穏やかな笑顔で子供たちを見つめる。

 ~グルるるるる~~
それを横目にトラ兄の腹の虫がついに耐えきれず唸りを上げた。

「オイオイ。それはオレの十八番なんやけど?」
大地がニヤニヤ笑いながらトラ兄に言った。
「はああああ~~疲れた~~ハラも減ったなああ」
「ホンマ根性無いカラダやな~~
ココにいてる間、ウチが毎日鍛えちゃるわ!」
「え……!」
ニッコリ笑顔でそう言うトーヤに、焦るトラ兄。

「寅時、よう来なさった。ここは気候もいい。
しっかりと自分を見つめて過ごされるよう。」

トラ兄の真っ赤な頭髪に全く気を止める様子もない和尚に、
落ち着いた眼差しで見つめられて、さすがの彼も少々態度を改めた。

「ハハハハイ!航雲和尚!…よっく分かりました!」

ププっとトーヤが笑う。
「よう働いたら、ご飯特別美味しいんやで!」
「おう!母ちゃんの飯はサイコーや。ま、オマエも食ってけや!」
まるで自分が作ったかのように自慢げな大地。
トラ兄もやっと美味い飯にありつけるようである。
昼ご飯はいつもは出勤した2人を除く4人で食事だが、
今日は5人で食卓を囲む。


ミーンミーンミーン ミーンミーンミーン……
蝉の鳴き声の主役が交代する頃、境内に子供たちの声が響いてきた。

「大ちゃん来たで~!!」
「トーヤ~~あっそぼ~~」
「よっしゃ~全員来たな!じゃあそろそろ始めるか!」
「イエ~イ!!」
近所の子供たちが集まってきた。早朝の様子とは随分違って、
それぞれおしゃべりしながら元気いっぱいである。

何が始まるのか、トラ兄が興味深げに見守っている。
やってきた7人の子供たちは、幼稚園~小学校中学年という所だろうか?
この中では、大地が一番のお兄さん、という感じ。いわゆるガキ大将ってとこか。

彼らの間で今はやっている(?)遊びは【かくれんぼ】であった。
まあこの頃では、巷にはコンピューターゲームなんてものも有るにはあったが、
この【ど】田舎では、
幼稚園児から小学生の多年齢層が団子になって遊ぶのは、
何と言ってもまだまだアウトドアが主流なのだ。
隠れる場所はいくらでもあったが、
ガキ大将の大地が決めたルールは、小さな園児たちのために、
寺の境内の範囲内で、と言うことだった。

「ジャンケンぽ~ん!!」
「あいこでしょっっ!」
やってきた子供たちは、ジャンケンをしながらも、
視線はチラリ、チラリとトラ兄の方に。
さすがに真っ赤な髪のお兄ちゃんは、
小さな子供たちにはそれなりのインパクトがあるようだ。

その様子を見たトーヤが言った。
「何してんねん。トラ兄も早よ手出さんかい。」
「おいおいオイオイ……オレもこれ参加すんの?」
「そうやで。アンタ何しに来たん?ウチらと遊びたかったんちゃうん?
イヤやったら止めたらエエけどなあ。
そうやなあ、中坊にもなったら、
もう若いモンに着いていかれへんわなあ……」
トーヤがニヤリと笑う。
「うわ、ムカつく~」

「トラ兄、鬼っっ!!」
「え~!オレかよ!!」
「ジャンケン弱いねえ」
3回目のジャンケンでトラ兄が鬼に決まった。

「もういいか~い!」
「まあだだよ」
「もういいかい?」
「まあだだよ~~」
「もういいか~い??」
「もういいよ~!」
トラ兄が後ろを振り向くと、予想に反して、
彼の真後ろに小さな女の子が立っていた。

「え……?どうした、お前? 隠れないの?」
ニコニコニコ。まだ小学校にも上がってない位の女の子が、
トラ兄をじっと見ている。
「?」
トラ兄は周りをキョロキョロ見回した。
(だ……誰か居ねえのか?この子…?)
女の子は興味シンシンな顔で、トラ兄の頭を指差して言った。
「ねえ、なんでそんな髪真っ赤なの??」
「……!」
トラ兄は少し意表を突かれて思わず聞き返した。
「へ、変か??」
「ううん……キレイ……!」
瞳をキラキラ輝かせながら、彼女は言った。
「ねえ……ちょっと触ってもイイ?」

「何やってんだアレ」
離れたところからそれを見ていた大地がお堂の影から顔を出してつぶやいた。
石畳を挟んだ木陰にいるトーヤがそれに応える。
「おおかたあの赤毛が目立ちすぎとるんやろな……
田舎には刺激が強いんよ。
マア、子供の素直な目には、ヤンキーも形無しっちゅー事や……」
「ハッハッハ!」
二人は思わず声に出して笑ってしまう。
「お。トラ兄助け求めとるぞ。しゃーない、行っちゃるか」

 浅い石段の上に腰掛けたトラ兄の真っ赤な髪の毛を、
動物の尻尾を撫でるように何度も撫で回している幼稚園児のお嬢さんに、
タマシイの抜けたような顔でこちらを見るトラ兄。
大地とトーヤが彼らに近づくのを見て、
隠れていた場所から次々に出てきた子供たちが、皆ケタケタ笑っている。

「おい!何笑ってんだよ!オマエら隠れてんじゃねえのかよ!
ワラワラ出てきてどーすんだよっっ!!」

「いやあ、戦意喪失したわ~コッチ見てるのが面白えもんな!」
大地が楽しそうに笑ってそう言うと、
トーヤは、トラ兄の頭髪に慣れ親しんでいる小さな女の子に近寄って頭を撫でた。

「イクミン、ナイスやわあ!!トラ兄の事、気に入った?」

ぴょこぴょこっとイクミンがうなづいた。
「だってこの赤いの、すっごくキレイなんだもん!!」

ニッコリ笑ったトーヤが宣言する。
「よっしゃあ! 次、ウチ鬼やっちゃるで!みんな隠れな~!!」
「おおー!!」

「イクミンねえ!トラちゃんと一緒に!一緒に隠れたいの!」
「ト、トラちゃん……? 勘弁してくれよ~~~」
「ダハハハハハハハ!!」
ひときわ愉快そうな、大地の豪快な笑い声が境内に響いた。

「もういいか~い?」
「もういいよ~!」

「大ちゃん見い~~っけ!」
「ちっっまたか。オマエから隠れんのなんかムリムリ。」
「ちゃうで。ウチはフツーに捜しとるだけや。
大ちゃんのカラダが隠れ場所に入りきっとらんのとちゃう?」
「あ!おまえ…またそーゆー事言う?オレ傷つくわ……」
「何言うとんの」
二人で軽口を叩き合いながら、トラ兄を探して木立の中を行く。

「さて、あとトラ兄(と、イクミン)だけやで」
「あっ!おった!」
先に進むトーヤの目が、空間に赤い色を捉えて、走り出した。

「トラ兄、見い~~っけ!」
しかし、トラ兄だと思って追いかけてきた目標が、
どうやら彼ではない。
トーヤのいる場所から5メートル位先の木陰から、
こちらを覗いている紅いワンピース姿の女性が目に入った。
姿はおぼろげだが、睨むような目つきを向けたその女性と目が合った。
何かを訴えるようなその目。
「!?」

「トーヤー!トラ兄いたんかー?」
トーヤを追いかけて木立のそばまで大地がやってくると、
彼女はかき消すようにいなくなった。

「……大ちゃん、アレ見た?」
「アレ? いんや?オレ何も見えんかったぞ」

二人が同じものを見ない。
そんな事は今までに経験のない事だった。
いつでも、他の誰にも見えないものを、二人で見てきたのに。
その事が、トーヤを少しだけ不安な気持ちにさせた。

「何かおったんか?トーヤ?」
「うん……何やろなァ……」
トーヤの見ている木立の先を、大地もしばらく凝視してみる。

「ふーむ……ま、オレらの探し物も見つかったみてえだし。
そろそろ戻るか?」
大地が指差す先には、木陰からひょっこり顔を出したイクミンと、
その後ろでゲンナリした顔を晒しているトラ兄の姿があった。
先ほどトーヤが【紅いワンピースの女性】を目撃した場所から、
ほんのわずかしか離れていない所に二人は隠れていたのだ。

まだ日も暮れ切らない6時頃、槣原家の電話が鳴った。
夕飯の支度をしていた京香に代わって、電話に出たのは大地だった。
「もしもし?みーちゃんか?え? 今日遅くなんの?
 ……え?お土産? あー気にすんな!
まー今度っちゅー事にしとくわ。
うん。心配すんな!トーヤの事は任しとけって!」
帰りが遅くなる、と言う瑞穂からの連絡であった。

境内を吹き抜ける風が、少しひんやりしつつある。
山間の夜は地上よりはだいぶ涼しいのだ。
瞑想していた航雲和尚が、ふと薄目を開けてつぶやいた。
「選んだのか、選ばれたのか……」

瑞穂が家に帰ってきたのは夜の十一時頃だった。
朝の早い大地とトーヤはもうすでに床についていた。
「お~!やっと瑞穂さん帰ってきた♪」
トラ兄だけはまだ携帯型ゲームを手に起きていたが、
本日目一杯体を動かしたので、そろそろ彼の瞼の重さも限界だった。
しかし実は、【ベッピンの瑞穂叔母さん】が大好きなトラ兄は、
瑞穂の顔が見たくて帰宅を待っていたのだった。
台所の方に近寄っていくと、
京香と瑞穂の話し声が聞こえてきた。

「お姉ちゃん、ごめんね。今日は急用入っちゃって……
トーヤの世話かけたなぁ。」
「私何もしてないよ。あの子しっかりしたもんやで。
大地の方が世話になってるような気もするわ~」
二人の笑い合う声がする。やかんのお湯が沸く音。
こぽこぽ、と急須に茶を淹れる音もする。
「何かあったん?」
「うん……ちょっとね。」
「仕事の事か?」
「心配せんで!悪い事やないの。ちょっと考えやなアカン事あってな……」

(瑞穂さん?……
いつものハツラツとした瑞穂さんの声じゃない。
オレが来たら、いっつも一番歓迎してくれんのは瑞穂さんだ。
何?ちょっと?入っていくのマズいんか??)

さすがの【強引グ・マイウェイ】のトラ兄ですら、
姉妹二人が話し合っている台所に入っていくのをためらって、
今日のところは大人しく床に入ることにした。


翌日早朝6:00。

「お早うさん!!」
大地とトラ兄が寝ている部屋の障子を開けて、トーヤが入って来た。
「おう、お早う」
大地はすでに起きて着替も済ませていたが、
トラ兄はまだまだ高いびきのままだ。
「トラ兄、トラ兄!早う起き!」
「なんや何や??まだ6時やないかあ!夏休みくらいゆっくり寝かせろよー」
「何怠けたこと言うとる。30分後、ラジオ体操や」
「あ~!もう!オレ中坊やから!もう卒業した!
あんなんはお子ちゃまだけのもんや。お前らだけで行って来い!」
「大ちゃん!頼むで!」
「おお……しょうがねえな、全く」
腕まくりした大地が、Tシャツに短パン姿で寝こけているトラ兄の後ろ襟をガシッと掴むと、そのカラダを引きずって、お寺の長い廊下を歩いていく。
「全く寝汚いやっちゃな……」

洗面室まで引っ張って来られたと言うのに、まだ起きる気のないトラ兄。
そこに瑞穂が入って来た。
「おはよう、トーヤ。昨日はゴメンね。良う眠った?」
「お母ちゃん!!どうしたん?今日珍しくめっちゃ早起き!!」
嬉しそうなトーヤが瑞穂のそばに近寄った。
「エヘヘ。だって昨日、私帰り遅かったから……トーヤに会えんかったやろ?
そやから早起きしたんよ!」
瑞穂は幸せそうな顔でギュッとトーヤを抱きしめた。
トーヤも負けないくらい幸せそう。
「み、瑞穂さん?」
寝惚けていたトラ兄の意識が突然目覚める。
「お母ちゃんも寝れたん?何か大変やったん?」
「いっこも大変な事無いんよ!遅うなって悪かったわ。」
瑞穂がにっこりと笑った。

(瑞穂さん……いつ見てもキレ~やな~~眼福や……)
トラ兄の頭はまだ若干寝惚けながらも、瑞穂の顔が見れて幸せそうだ。
「あら。トラジ!よう来たね!
お義兄さん元気にしてる?また喧嘩したのとちゃうん??」
「父ちゃんなんかどーでもエエし。それより瑞穂さん、毎日忙しんやな……」
「エヘヘまーね。モテる女はタ~イヘン!!」
瑞穂はおどけて舌をペロッと出して微笑んだ。
「カ~~~ッッ!瑞穂さん、ちゅらかーぎー(※べっぴんさん)!!!」
「何言うてんねん……さっさと境内行くで」

ラジオ体操を皮切りに、今日もお寺の1日が始まった。
さすがにトラ兄には、観想会への参加はハードルが高すぎるので、
彼は京香の手伝いに、台所仕事に駆り出される事に。

「働かざるもの食うべからず!……トラジ、包丁は使える?」
京香の問いかけに、トラ兄はあっさり頷いて、
その場にあった包丁を使って
スルスルとじゃがいもを剥き始めた。

「おやまあ……」京香が目を丸くする。
「オレ、まあまあ器用なんだぜ?小学校の時、
チャンプルーとかよく母ちゃん達に作ってやった……」

「まあ。それは初耳ね」
「瑞穂さん!!」
瑞穂が台所に入って来た。
「あらあら、みーちゃんが今頃起きてるなんて!今日雨か。
洗濯もん干せやんわ~」
「お姉ちゃん……(汗)たまには私だって!ハムエッグくらい作ったるわ!」
「ハムエッグぅ?」京香がニタリと笑う!
「あ!お姉ちゃんバカにした!悔し~い」
「み、瑞穂さん!オレも一緒にやる!一緒に作ろうぜ!」

「仲良き事は、美しきかな……」
【早朝観想会】の終了を告げた航雲和尚は目を閉じて、口元を緩めた。

「何か台所賑やかちゃう?」
「おお……今日の飯何かな~楽しみ~」

トーヤと大地が台所に向かうその後ろから、航雲とマッさんが歩いてくる。
「あの木の枝が、少し通り道を塞いでおるのお……」
お堂と住まいの間の庭に生えている雑木が、
葉を茂らせすぎて通路を狭くしているのを見て、航雲が呟いた。
「もうじきお盆ですしねー。明日僕会社休みやし、
ちょっと剪定しますかね」
マッさんがのんびり応える。
いつも通りの、平和な槣原家の日常風景だ。

今朝のメニューは、いつもの京香の絶品味噌汁と……
そしてハムエッグにマッシュポテト。

「えっコレ?みーちゃんと?トラ兄が作ったの!?」
「まじ?美味しいの?大丈夫?」
「ウマいに決まってんだろ。食ってみてから言え!」
エプロン姿のトラ兄と、その後ろでウンウンと頷く瑞穂。

「いただきま~す!」

「あら。」
「……ふむ。」
「お!コレウマいぞ!このイモ!」
「そーだろーがよ!」
真っ赤な髪のイトコはVサインを高く掲げた。
「お母ちゃん、ハムエッグすごく美味しいよ!!!」
「ああ!ありがと!トーヤ~~~!!」
瑞穂はまたまたトーヤをギューっと抱きしめる。
「良かった~~~」
「ワハハハハハ!」
美味しいご飯は、人を幸せにするのだ。
瑞穂とトラ兄は、ニンマリと顔を見合わせハイタッチ!

「やったね!トラジ!私今日帰りに、材料いっぱい買ってくるから。
日曜にゴーヤチャンプルー作らん?」
「いいぜ!(瑞穂さんと一緒に作るならサイコー!!)」
二人の野望は始まったばかりだ。

瑞穂とマッさんが出勤して、本日も子供達のお勤めの時間がやってきた。

「ヒ~~~~~」
「毎日やってりゃ体力つくぞ!」
大地にせっつかれて廊下の雑巾掛け中のトラ兄だが、
ついつい気持ちは上の空で、全く作業に集中出来ていなかった。
他所見ばかりしていて、トーヤの姿が近くにない事に気付いた。
「トーヤは?」
「あいつはウチの方の仏壇、手入れに行ってんだ。」
「仏壇?」
「そうだよ。土曜はいつもそうなんだよ。」
大地は静かに言った。

「じゃ、ココは体力のあるオマエに任せて、オレも部屋の方に……」
「おい!サボんなよお前!」

お堂からサッサと飛び出したトラ兄は、お堂の反対側にある住まいの方に行って
縁側から、トーヤの姿を探した。
目線を部屋の方に移すと、彼女はお仏壇を掃除していた。

一つ一つ仏具を手に取って、拭いては戻し、
ひときわ丁寧に位牌をそっと持ち上げて拭くと、元の位置に戻す。
一生懸命、そして楽しそうにやっているその姿。

(そーいや……龍夜叔父さんが逝っちまってからもう5年か。
コイツも片親なんだっけ……)
トーヤの身の上を思い、同病相憐むかのように、
自身の抱える痛みに思い馳せるトラ兄。

(オレの母親は家を出た。幼いオレを残して。オレが8歳の時だった。
母ちゃんについて行きたいと思ったけれど、父ちゃんはそれを許さなかったんだ)

「子供たち、ご苦労様。合掌!」
「お祖父ちゃん、ありがとうございました!合掌!」

「あ~~もうクッタクタやで!お前ら毎日こんなんようやるな!!」

顔を見合わせるトーヤと大地。大地が何かを言おうとする前に
航雲和尚が口を開いた。

「単純作業の繰り返しは、集中力と自制心を鍛えるためじゃよ。
寅時、お前は器用な手を持っておる。
それを生かし切るためには、この二つを身につけておいて損はないぞ。」

(器用な手?……昔、母ちゃんにも良くそんなこと言われたっけ……)


「大ちゃ~ん!トーヤ~!!川行こう!!」

お昼過ぎに、浮き輪やビーチボールや(釣竿なんかも)
それぞれ思いのままの水遊び道具を持って、いつもの子供たちが集合した。
今日は川遊び。ものの10分も歩けば行ける近場に、
子供たちには頃合いの、あまり大きくない川が流れている。
夏休みのメインはこの川遊び。大地もトーヤも幼い頃から慣れ親しんだ川だ。

「オレも行くぞ!」珍しく乗り気なトラ兄は、
水着姿のトーヤにほのかな期待を抱いていたようだが、
世間はそう甘くないのである。
トラ兄の主なお役目は、イクミンのお守りであったとさ。

十分に遊び疲れて、川からお寺に帰ってくると、
まさしく夏休みの定番なイベントが待っている。
湯がいたとうもろこしや、井戸水でよく冷えたスイカを、
京香が出してきてくれた。みんなで食って、
縁側ではスイカの種飛ばしなんぞが始まる。
「アホか~!オマエもう止めとけ!!」
子供っぽいとブーたれつつ、
トラ兄もついつい皆と同じ行動をしてしまうのであった。

「トラちゃーーん……眠いのぉ……」トラ兄の近くに座り込んだイクミンが、
お気に入りのトラ兄の赤い髪を触り始める。
遊び疲れた後、お腹まで膨れたとなると、もはやその先に待っているのは
【お昼寝】しかないだろう。子供たちはそれぞれ、
広い和室の畳の上で、自由に転がって眠り始めた。
大地とトーヤがタオルケットを持ってきて、
小さな子供たちに掛けてやっている。
最初は昼寝なんてガキっぽいと否定していたトラ兄だが、
普段のトラ兄の生活からは考えられないような健康的な活動を、
早朝から(半ば強制的に)こなしていたため、
難なく畳と仲良くなってしまう。
やがて大地も、そしてトーヤも、心地よい眠りについた……


(トーヤは、境内の木立の中に立っていた。
この前のかくれんぼの時、
トラ兄とイクミンが隠れていたあの場所だ。
わずか数メートル先には、あの時の紅いワンピースの女性が立っている。
あまりにこちらを凝視してくるので、最初は睨んでいるのかと思ったが、
そうではなく彼女は、懸命に何かを訴えているようだった。
右手には何かを持っている。
「?」
トーヤが彼女の方に近づいていくと
彼女は【それ】をトーヤに差し出した。

「何?どうすればいいの?」
トーヤは彼女の口元に集中する。
『さ・が・し・て』
『コ・レ・を』

「コレを……探して?……コレって?」
彼女はトーヤの目を見て、何度もそう繰り返すのであった。

『さ・が・し・て……コレを。』
トーヤは彼女の手から、それを受け取ろうと手を伸ばした。)

「トーヤ!トーヤ!!」
伸ばした手を掴まれて、揺さぶられ、感覚が急に戻ってくる。
「う……うん?……アレ?大ちゃん?」
「トーヤ、どした?」
目を開けると、心配そうに覗き込む大地の顔が見えた。

「お前、こう、手を突き上げてさ……苦しそうな顔してっからよ」
「……」
トーヤは上半身を起こしてゆっくり周りを見回した。
仲間たちの寝息が耳に入ってくる。
いつもの光景にホッとしたと同時に、ため息が漏れる。

「……何やろ?どうしたらエエん? 
どこを……探したらエエん?」
「トーヤ?」
「……あの人誰なんや。何でウチの、夢の中に出てくるんや?
夢の中やさかい、ウチだけしか見えへん。
大ちゃんに見えやんのや!」
トーヤは少し怒ったように言った。

「夢ん中……どんな感じの人や?」
「アッカい……とにかく紅い人や」
「とにかく赤い?って? ハハッ。なんだそりゃ。
トラ兄や有るまいし」
大地はトーヤの説明に苦笑を漏らした。
「だって……そうなんやもん……」
トーヤは少し口を尖らせて言った。

「紅いワンピース着てんねん。
最初、睨まれてんのかと思ったんやけど……
でも、そうや無うて、キッツい目つきしとるだけや。
近う寄って見たら、しきりに何か……つぶやいてんのや」

「何て?」
「さがして、さがして、って……」
「コレを探して、って言って……手に持っとるモンを渡そうとしたんよ。」
トーヤは大地の目をじっと見つめた。

紅いワンピースの女性が探して欲しいもの。
夢の中でトーヤが彼女から受け取ろうとしたものは、
少し小ぶりの【ギター】であった。

「ただいまー」 玄関の方で瑞穂の声がした。
「あれ~、どうしたん?今日めちゃくちゃ早いやないの。まだ5時前やん」
台所から、割烹着で手を拭きながら京香が出て来た。
「うん……今日ちょっと他所でイベントあって、
午後からのクラス、キャンセルになった。
だから買い物して、早めに帰ってきたんよ!」
瑞穂は手に持ったスーパーの袋を二つ、掲げてニコッと笑った。
「明日のお休みは、私とトラジで、ゴーヤチャンプルーを作ります!!」
「あら、まあ。それはそれは……期待してるわ~~♪」
京香は楽しそうな声を上げた。
「トーヤは?」
「和室でみんなと雑魚寝してるわよ。今日は川へ遊びに行って、
そのあとみんなでスイカ食べて……あ、みーちゃんもスイカあるよ?」

「ん……後でいい。ちょっと子供達のとこ、行ってくる」
瑞穂は縁側に出て、和室の方へ向かった。

夕陽が差してきた和室では、
子供たちがそろそろ昼寝から目覚めたらしく、
ざわめきが聞こえる。
それぞれ楽しそうにおしゃべりしたり、
ふざけて笑い合う声、声、声。
その中に大地やトーヤの声も混じっている。

「う~……まだトラちゃん起きへんよ~~」
「ホンマ寝汚いやっちゃ……」
「その髪引っ張っちゃれ!イクミン!」
「……トラ兄はカンタンには起きいへんな。
イクミン、ちょっと遊んでみよっか?」
トーヤはニコ~と笑って、トラ兄の長い髪の毛を三つ編みにし出した。
「ほら~コレ。どうや?」
「おいおい、起きたら怒るぞ……」
そう言いながらも笑いを堪えきれない様子の大地。
「あ~カワイイ~♡ トラちゃん、かわいい~!」
イクミンがそう言って、自分の付けているヘアゴムを一つ外して、
トラ兄のお下げに結え付けた。
「ハハハハハ!おい、もうよせって!やばいやばい」
「え~めっちゃ似合うやん」
「アハハハハハ!!」

(楽しそうやな、トーヤ……)
瑞穂はフフッと微笑みを漏らしたが、和室の中には入らず、
そのまま台所にとって返した。

「みーちゃん?どうしたん?」
「お姉ちゃん、この後ちょっと時間取れる?」
京香は台所仕事の手を止めて、妹の方を見た。
「……うん、エエよ。 何か相談あるんやろ」
京香は瑞穂の方に近寄ると、
ほぼいつも開けっぱなしの台所の引き戸を、後ろ手で静かに閉めた。


「あのね……うちの会社ね。今結構、勢いあんのよ。
3つ程先の駅前の再開発で建った新しいビルに、この秋からテナントとして
うちのスタジオ、入ることになったんやけど……」
「あ~、前にチラッと、そんな事言ってたな」
「それでね。ちょっと前から打診されてたんやけど……
私に、そこ任せたいって。責任者として管理してくれって言われてる」
「まあ……スゴいわみーちゃん!スゴいやん!」
京香は思わず声を上げた。
「大抜擢やないの!自分のスタジオって事よね?
アンタの夢だったやんか!」
「うん、お姉ちゃん。……まあ、雇われなんだけど 」
嬉しい驚きに、我が事のように喜んだ京香だったが、
それとは裏腹に、瑞穂の表情は硬くなっていく。
「……みーちゃん?」

仏間の柱時計がボーンボーン……と5回鳴った。

「う……う~~ん……何や。なんか痒い……」
髪の毛を引っ張られるような感触に、やっとの事で目を覚ましたトラ兄が、
自分のアタマを撫で回して、違和感に気づく。

「あ!トラちゃん起きた~~♪見て見て!ホラ!
これね、イクミンとお揃い!」
「へっ???」
「よう似合うとるで。ホンマ可愛らしわ~」
トーヤがニヤニヤ笑っている。
自分の髪の毛が何やら複雑な感じに編み込まれている。
自身の頭を探るトラ兄の指先に、硬くて丸い二つの玉があたった。
そして彼の視線の先には、
おさげ髪に二つの丸い玉をくっつけたイクミンの姿があった。
「おっ揃い♪ サックランボちゃ~~ん♪」
ニコニコ笑顔のイクミン。

「ざ……ざっけんなよ~~!!!」
「ギャハハハハハ!!」
「あはははは!!」
笑いの嵐の中、立ち上がったトラ兄は、
猛然と洗面室へと駆け出して行った。
目的地は、長い廊下の先にある。


「……嬉しいんよ。素直に。実力が認められて、
ステップアップ出来る。
夢が現実に近づいた!私もそう思ってる。でも……」

瑞穂は一息置いて続ける。
「再開発ビルは、丹荘生市ってトコにあって、
今のスタジオより3駅も向こうなん。
責任者ともなると、今よりもっと、仕事に時間を多くとられるし。
ここから通うことはもう出来ない……」

「トーヤの事、心配してんの?
大丈夫、アンタの娘の一人位、お姉ちゃんがいつでも、面倒見ちゃるって!!」
「ありがと、お姉ちゃん。いつもいつも、世話んなって……。
そう言ってくれて、ホンマに嬉しい。
でも私らも、いつまでも甘えてるわけにも行かへん。
だからね、この機会にトーヤと二人で、新しいトコ行こう!って考えてたんよ。」

「けどね……正直、迷ってる」

「……あの子見てたら……
みんなと楽しそうにしてるあの子見てたら、
わからんようになってくんのよ。
連れていく事が、トーヤの為になんの? 単に私のワガママ?
じゃあ、トーヤを、お姉ちゃんに預けて行くの?
トーヤの為にはどっちがエエん?……考えれば考えるほど、
わからんようになっていくんよ……」

「みーちゃん……」

洗面室に向かって廊下を駆けて行くトラ兄が、
この家で初めて目にした、締め切られている台所の引き戸。
違和感を感じたトラ兄は、そっと引き戸に近寄って、
今夏2度目の【姉妹会談】の内容をしっかり聞いてしまった。

「……この事、トーヤにはまだ言えてないんやね」
京香のつぶやきが、トラ兄の耳に残った。

日曜のお昼過ぎ、マッさんが倉庫の中を捜索している。
伸びすぎた雑木の剪定のために剪定鋏を探しているのだ。
「すまんのお、マッさん。休みやのにな。
鋏、確か二つ位はあったと思うんじゃが。」
「いいっすよ、和尚、気にせんで。発掘作業も面白い。
探しますよ」

「あ~やっちゃった〜。買い忘れ!」
「どうしたん?瑞穂さん!」
瑞穂とトラ兄は、夕飯のゴーヤチャンプルーのために台所で準備をしていたが、
昨日買ってきた材料では、足りない調味料がある事に気がついた。
「お姉ちゃん!トラジ連れてちょっと、下のスーパーまで行ってくるから!!
すぐ帰るわ」
「は~い!気をつけて行くのよ!」

瑞穂とトラジが車で出かけてから間もなくのこと、
どこからか突然、ポロン、ポロンとギターの音が聞こえてきた。
「ギター?」
台所に居たトーヤと大地は顔を見合わせて、同時に走り出した。

縁側でギターをいじっているマッさんの姿が二人の目に入った。

「それ……それ、どしたん?!!!!」
「うん? 倉庫で剪定鋏探してたらな、目に入ったんだよ。」

(間違いない!あのギターや!!)
トーヤは大地に目でそう言って、うなづいた。
大地は父親に近寄って、ばんばんと背中を叩いた。
「父ちゃん、グッジョブ!」
「?」

「まあ、懐かしい光景…そういや昔、龍ちゃんが弾いてるの、見た事あるわ」
洗濯籠を持って縁側にやって来た京香がそう言った。
「タッタが?!?ギターを!?」
驚いたトーヤが京香の顔を二度見する。そんな事聞いたことも見たこともない。

「あら、私らの若い頃ってなあ……男子は、[ギター、1度は通る]みたいな。
ある種の流行り病みたいなもんやな。
マッさんもちょっといじってたわな~?まあ三日ほどやったけどな~」

京香がニヤニヤと、からかうような言い方をする。
マッさんは眉間に皺寄せ、額の前で打ち消すように手を振った。

トーヤはマッさんからギターを受け取ると、京香に尋ねた。
「京おばちゃん、これ、タッタのギターなの?」

「……そうやな。良く知らんのやけど、
コレって、ハンドメイドらしくて。
小さい頃から大事にしてるんだって。
龍ちゃんは、コード3つくらいなら弾けるって、いっつも……」
京香は懐かしそうに目を細めて、姪っ子の頭を優しく撫でた。

「詳しいことはみーちゃんに聞いてごらん。」
トーヤは何かに感じ入ったように、
そのギターを抱きかかえていた。
小ぶりなそのギターは、トーヤの小さなカラダにも、
しっくりフィットしているようだ……

外に遊びに出る時もトーヤはそのギターを持ち出した。
その様子を大地は興味深そうに眺めていた。
いつもの仲間たちがやってきて、
皆が物珍しげにトーヤに近づいてきた。

「わあ!ギターだ!それどうしたの??」
「トーヤ、弾けるの??」
「うん?うーん?…」
「トーヤー!何か歌って?」
ポロン…ポロン♪トーヤは弦をはじいてみたが、
当然、曲にはならなかった。
「うん!弾くのはまだムリやけど!ウチ、練習するわ!」
トーヤは明るく笑ってそういうと、
ギターの一本の弦だけをはじきながら、歌を歌い出した。
子供たちが歓声を上げる。
イクミンがトーヤの近くに駆け寄って、嬉しそうに耳を傾ける。
大地はニコニコ笑ってそれを見ている。


「お前……!そのギターどうした?」
その声に皆が振りかえると、
トーヤの後ろには、買い物から帰って来たトラ兄が、
見たこともないくらい険しい顔つきで立っていた。

彼はいきなり近寄ってきたかと思うと、
そのギターをトーヤから取り上げた。
「!何すんのトラ兄!?」
叩きつけて壊そうというのか、
彼はすごい勢いでギターを高く振り上げた。

「やめて!」トーヤが叫んで、イクミンも泣き出した。

しかし、その高く振り上げた腕は、
後方に来た大地によってがっちり掴まれた。

「イテテテっ!放せ!大地!」
「お前が放せよ!そのギター!」
「こんなもの……こうしてやる!!」
怒りのオーラのようなものが、彼の全身を取り巻いている。
「邪魔すんなよ、大地!!」
トラ兄の剣幕に少し驚いた大地だったが、
直後に彼はニヤリと笑った。
「ふーん?オレとやる気?」

うえ~ん……うえ~ん……
「ケンカ、イヤだ~~」
悲しそうなイクミンの声が境内に響き渡る。
「だいじょぶだいじょぶ。本気じゃないから。な!イクミン!
ビックリしたよな。スマン!」
大地がイクミンの頭を撫でながら、彼女をなだめる。
「そうそう。トラ兄死んでないよ。
ちょっとアザ出来てるけど。
自分がワルいんやから。イクミン悲しませるやなんて、
サイッテーなオトコよな。」
ギターをしっかりと抱きかかえたトーヤも、
イクミンを慰める。

「割に合わねぇ……」
ブツクサ呟きながら寝そべったままのトラ兄。
左眼の周囲が真っ青である。

「全く年上のクセに。小さい子達怖がらせるとか、サイテーやぞ!
これで少し頭も冷やせ!」
プンスカ怒りながらも、
持ってきたアイスノンを渡してやる心優しい大地なのであった。
(ボコったのも彼だが)

トラ兄は隣に腰を下ろした大地を見上げて言った。
「……オマエって物凄いマトモよな。」
「ああ?」
「自分の気持ち、コントロール出来ねぇ、とか無いの?」
大地は平然とのたまった。
「修行のたまものですから。」キラリ☆ 合掌!
「へえへえ。わかったよ」

「……なんであんな事したんだよ?」
「……」
「何か理由があんだろーが?」
「ハハッ……ホントお前ってマトモだよ」

離れて二人を見ていたイクミンが、二人のそばにやってきた。
「トラちゃん……だいじょうぶ?もう痛くない?」
イクミンの泣き腫らした瞳を見て、さすがのトラ兄の心も痛んだ。
「ああ……悪かったな。……お詫びにな、髪触りたかったら触ってもイイぞ?」
「ホント!?」
イクミンの瞳にいつもの輝きが戻ってきた。

「良かったな、イクミン。トラ兄を、たっくさん撫で撫でしてやってくれな!」
「うん!え、と……イタイのイタイの飛んでけ~~!!」
「アハハハハ! お二人、ま、ごゆっくり~~」
立ち上がった大地が、楽しそうに笑いながら皆のところに戻っていく。
ギターを抱えたトーヤが、大地のところに駆け寄るのが見えた。

笑い合うトーヤと大地を見て、
「あいつらって仲いいよな……」
トラ兄はイクミンの前で思わずそうつぶやいていた。
イクミンはニッコリ笑った。
「うん!いっつもそうなの!二人はねー……【バディ】なんだって!
【バディ】って、【なかよし】の事なんだよ!」
「【バディ】か……」


「ジャ~~ン!本日の南国料理フルコース!
知念寅時×知念瑞穂、渾身のディッシュの数々!心して頂け!!」

エプロン姿のトラ兄が両手を前に差し出して宣言した。
左目のアザが少々痛々しいことの他は、
まあまあ立派なシェフの誕生である。

「おお~~~っっ!!」☆☆
ゴーヤチャンプルー。タコライス。ソーキそば。ニンジンシリシリ。テビチ…etc
「うわあ~~っ」
「まあ~素敵~!! どれもこれも美味しそうやないの!!」
「おお……油味噌もあるのぉ。」
「これはこれは。後で一杯やりますかね、和尚」
普段あまり表情を変えないマッさんさえ、嬉しそうな声を上げた。

「では皆さん、お先に少し失礼して……」
そう言った瑞穂が、いくつも仕切りのついたお皿に、
少しづつ料理を取り分けている。お仏壇に供えるのだ。

「いただきま~す!」
「うん!うん!ウマい!ウマい!!」
「ああ……人に作って貰えるって幸せ~~」
「お母ちゃん、南国料理、久しぶりだね!
タッタもきっと、喜んどるよ!」
「そうやね!トーヤ。 
お母ちゃんこの頃作れてないからなあ……。
トラジ、うちの専属料理人にならん??」
「オレ?まあまあ高くつくぜ~~」
「トラ兄、鼻高うしすぎ!」
「アハハハハハ!!」

豪華な夕飯の後、トーヤと大地が仏間でくつろいでいると、
そこにトラ兄がやって来た。

「それ、ちょっと貸せや」
トラ兄は、ギターを持ったトーヤのそばに来てそう言った。
思わずギターを抱え込むトーヤ。大地も怪訝な顔を見せる。
トラ兄は苦笑する。
「何もしやしねえよ。また殴られんのもゴメンだしな。
あん時は頭に血ィ昇った……」
「ホラ、貸せって。ちゃんと音鳴るようにしてやるよ」

戸惑いながらもギターを手渡すトーヤ。
ギターを受け取ったトラ兄は、
弦をはじきながら、ペグを回し始めた。

「!トラ兄、弾けんの!?」
「弾ける、って言うんじゃねえけど。
でも調弦くらいは出来る。
母ちゃんから教わったからな。 
このギターな……母ちゃんのギターさ」
「……!?」
トーヤと大地は顔を見合わせる。

「母ちゃんの作ったギターだよ。オレん家にもあるよ。大きさは違うけど……」

伸び切っていたギターの弦は、少しサビてもいるようだが、
次第にそれなりに、整った音を鳴らし始めた。

「母ちゃんは、ギタークラフトマンなんだ」
トラ兄は調弦の終わったギターをトーヤの前に突き出した。
「トラ兄……?」
「ストップ!これ以上は言わねえよ。
……弾けるようにしてやったんだ。償いは済んだよな」

トーヤと大地の疑問を断ち切るようにトラ兄は立ち上がり、
二人を残して部屋を出て行った。

(母ちゃんが家を出たのは、オレが小学3年生の時だ……
その頃、父ちゃんと母ちゃんが、毎日のように夜遅くまで、
話をしていたのは知っていた。
何を話しているのかはわからなかったけれど、
あんまり楽しい事ではなさそうだった。
その頃から、普段の二人の表情も、
どことなくぎこちなっていったからだ。

家の隣に大きな倉庫があって、そこが母ちゃんの工房だった。
母ちゃんはギターを手作りしてて、それが彼女の生業だった。

父ちゃんと母ちゃんは家が隣同士、同い年のイトコで、
幼馴染だった。
父ちゃんには、ひと回りほども年の離れた弟がいて、
二人ともとても彼を可愛がったのだ、という事を、
後々、龍夜叔父さん本人から聞いた。

小学生の頃の叔父さんは、良く母ちゃんの工房に遊びに来ていたらしい。
母ちゃんが、父ちゃんのためのギターを作っていたのを、
いつも興味深そうに見ていたらしい。それで母ちゃんは、同じ材料を使って、
叔父さんの身体に合わせた小さなギターを作って、プレゼントしたらしい。

大学生になった龍夜叔父さんが、
旅行先で知り合った彼女(瑞穂さん!)を、
初めてうちに連れてきたとき、2人は大歓迎して、
その晩4人で飲んで、意気投合したらしい。
龍夜叔父さんが大学を卒業してすぐに、
瑞穂さんと結婚することになって、
付き合いの長さの割にまだ結婚に踏み切っていなかったオレの両親も、
同時に結婚式を挙げることになったらしい。

母ちゃんのギターは、
地元の音楽愛好家の間でもまあまあ人気があって、
ある時、評判を聞きつけた米兵がやって来て、
母ちゃんのギターを買って行った。
彼は気に入って、その後も数本のギターを買ってくれた。
彼が本国に帰国してしばらくして、
母ちゃんの元に一通のエアメイルが舞い込んだ。

手紙は米国大手のギタークラフトの会社からだった。
何かの縁で、母ちゃんのギターを手にしたその会社の社長が
母ちゃんのウデを買い、米国へ来て更に研鑽しないかという誘いだった。
それは母ちゃんにとっては、
自分を高めるための千載一遇のチャンスだったが、
同時にオレたち家族の平和を乱す大きな嵐となった。

母ちゃんがいなくなる前の晩、
工房の灯りはいつまでも点いていて、
そしてその後、灯りが点ることは二度と無かったんだ……)

仏間では、トーヤが気もそぞろに
ギターをポロンポロンと鳴らしている。
大地も黙って何やら考え事をしている。
そこに瑞穂がやって来た。手には数珠を持っている。

「何かギターの音すると思ったら、まあ……懐かしい。
これ、龍ちゃんの……どっからこんなの見つけてきたの?」
「お母ちゃん! コレ……タッタの……?」

「これ……トラジのお母さんが作ったんよ……」
瑞穂はギターをじっと見つめる。
「龍ちゃんが小学生の時、
誕生日プレゼントに貰ったんだって。
龍ちゃんが言うには、一応半年くらいは、頑張ったらしい!
コード3つ位は弾けるって!いっつも自慢してた……」
瑞穂は微笑を漏らした。
「全然上手じゃなかったけど!……でも大事にしてた。
だから結婚した時もここへ持って来たんよ。
自分が弾かなくっても捨てらんないって。
龍ちゃんは良く、いつか誰かが、弾いてくれたらいいな、って、
言ってたんよ……」
そう言ったきり瑞穂は、黙ってうつむいてしまう。
彼女は左手の数珠を握りしめている。

「お母ちゃん!!……ウチ、ウチ、コレやってみたい!!」
その場の重い空気を取り払うように、突然トーヤが宣言した。
「トーヤ?」
瑞穂は顔をあげてトーヤを見つめ、
大地も同じようにトーヤを見る。

「そやから……ギターの教則本、欲しいねん!」

「……まあ。トーヤ」
少し考えて、瑞穂は言った。

「じゃあ、あさって火曜日、お母ちゃんと一緒に出勤する?」
「出勤?」
「そう……お母ちゃんの仕事見学して、フフッ。
カッコいいとこ、見せちゃう!
一緒にランチして……午後のレッスンの後、
大きなショッピングモールへ行って、
本屋さんとか、服屋さんとか……」
「ギターの本も売ってる?」
「もちろんよ!その次の日はお母ちゃんお休みだから、
ゆっくりお買い物しよう!」

「うん!」トーヤは瞳を輝かせた。
彼女は嬉しそうに後ろを振り返って大地に言った。
「大ちゃんも行こ!」
「いや……オレは……留守番しといてやるよ!
トラ兄もいるしな。
たまには、親子水いらずで行って来いよ!」
「?」
トーヤは少し不思議そうな顔をした。
大地はなぜか、一緒に行くとは言わなかった。
いつもなら、絶対一緒に出かけるのに。

「それじゃあ、二人とも、順番にお風呂に入っていらっしゃい!」
「はーい!」

トーヤと大地が去った後、
瑞穂は仏壇の前で手を合わせていた。
彼女は長い時間、そこを動かなかった。

火曜日の朝、出勤する瑞穂の車に乗り込んだトーヤを、
大地とトラ兄の二人が見送った。
「トーヤ、妙なとこ一人で行くなよ。
街には色んなモンがおるから気をつけろ」
「うん、わかってる」
大地とトーヤはそれぞれ合掌した。
「んじゃあな!みーちゃん、お土産よろしく!!」
「わかってるわよ~~今日はハリ込んじゃうから!!
トラジ、お姉ちゃん手伝っちゃってね。
……それから大地、ありがとね。」
「なんでお礼言うんだよ」
瑞穂はニコッと笑って手を振る。
「バイバ~イ」
「いってらっしゃ~い!!」

車が見えなくなってからしばらくして、
トラ兄が、ボソッとつぶやいた、

「ちょっと聞くけどよぉ……」
「何?」
「お前さあ……もしトーヤが、どっかへ行っちまう事になったらどうすんの?」
「いきなりなんだ? 晩には帰ってくんだろ?」
「今の話じゃねえけどよ……」
「いつか、の話?」
大地は少し考える風だった。
「そりゃな。……いつかはな。
いつかアイツは、こっから出てくってわかってんだ」
そう言いながら、大地は静かに笑った。

「だってアイツさ。何でも出来んだろ?何やらせても器用。
ここだけじゃない、広い世界……アイツにゃそれが向いてるだろ?
トラ兄、そう思わねぇ?」
真っ直ぐ見つめてそう言う大地にトラ兄は、
心を揺さぶられる。

「……一緒に行きてぇ、とか、引き止めたい、とか、
思わねぇの?」

「思わねぇよ。そんな事したって困らすだけだろ?
オレは……アイツを……好きにさせてやりてえから」
トラ兄は、大地をまじまじと見た。

(オレは……コイツみたいに考えたことは無かった。
母ちゃんが行った時……〈ま、まだガキだったケド〉
母ちゃんには、広い世界が必要だった?って……?)

(父ちゃんはどうして、母ちゃんを行かせたのかな。
母ちゃんは、オレと離れて平気だったのかな?
二人はどうして別れなけりゃならなかったんだろう……)

(「寅時を連れて行きたい」母ちゃんはそう言っていたっけ?
「それは出来ん。寅時は置いて行け。」父ちゃんがそう言って……)

「行くなら覚悟を決めて行け!トラは俺が育てる!」
トラ兄の頭に、父親の顔が浮かんだ。

(瑞穂さんは、今日、トーヤに【あの事】を話すつもりだ。
二人きりのチャンスだからな。
なかなか言い出せなかった【あの事】を。
それを聞いたトーヤはどうするんだろう?
コイツはどうするんだろう?)

いつになく真剣な顔で大地の方を見ているトラ兄に向かって大地は言った。
「今日は一人分手が少ないぜ。さっさとお勤め行くぞ!」

境内を抜けて行く強い風が、クスノキの葉を舞い散らせる。
写経していた航雲は、その気配にふと顔を上げた。
「……時が満ちたか……」


(木立の中に紅いワンピースの女性が立っている。
以前とは違って、彼女は少し微笑んでいる。
でもその瞳は、どこか寂しそうだ。
あの人は……トラ兄の、【お母さん】?
トラ兄に何か言いたい事があるの? 何を伝えたいの?)

「トーヤ!トーヤ!着いたよ!」
「!」
車の助手席で、トーヤはどうやらうたた寝してしまったらしい。
優しそうな表情で、瑞穂がこちらを見ている。
「ここがね、お母ちゃんの今の職場!」

さほど広くない道路に、店がたくさん立ち並んでいる。
その中に3階建ての小さなビルがあった。
瑞穂は1階にある事務所で挨拶して、
トーヤを連れて3階まで上がった。
「こっちの部屋で待っててね。狭いけど、テレビもあるし、
本を読んだりして、待っててね。
ここからレッスン見ててもいいし。」
レッスンルームの隣の部屋にトーヤを案内すると、
狭い部屋についている見学用の大きなガラス窓を指差して彼女は言った。
「ここからレッスンの様子は覗けるよ。興味あったら覗いて!
ちょっと……ビックリするかも知れないけど」

「ここで毎日お仕事してるんだ……ビックリって?」
「あははは。」瑞穂は楽しそうに笑った。
「みんなが来たらわかるよ。」

「おはようございま~す!」
午前のクラスの生徒がやってきた。
皆一様におしゃべりで、陽気。
何と6人全員が60代以上の高齢の女性であった。
(ビックリ、ってこの事か……)
トーヤはちらり、ちらりと彼女たちを見ていた。

ニコニコ笑う年配の男性が一人の女性の後ろに、見える。
小さなマルチーズがくっついている人も居て、目を丸くする。
可愛らしい霊体にトーヤは楽しくなる。
「ねえ、大ちゃん、あの人、ホラ、子犬がさぁ…」
思わずそう言って振り返ってしまうトーヤだが、
そういえば今日、彼は一緒ではなかったのだった。
「……」

お昼は近くのカフェでオムライスを食べた。
一人前頼んでも、トーヤはどうしても全部は食べきれない。
本当は残したくないのだけど。
そこでいつもの場合なら、あの男の出番というわけなのだが……

午後のクラスは、午前より若い人たちのクラスだったが、
やはり全員女性。
顔で笑っているのに霊体同士は睨み合っているなんて人たちも。
(いろんな人いるなあ……)
そんな事は露知らず、瑞穂は、一生懸命指導している。
(お母ちゃん、大変そう。……でも、楽しそうなんだなぁ)
トーヤは頬杖をつきながら、大きなガラス窓から
瑞穂のレッスンを見ていた。

「お待たせ~トーヤ!退屈せえへんかった?」
「ううん。まあまあ面白かった。色んなモン見れた……」
「色んなモン?」
生徒たちが帰って、静かになった教室で、
瑞穂はトーヤにハグすると、
少し遠出して、大きなショッピングモールに行こうと提案した。

瑞穂とトーヤは、たくさんおしゃべりしながら、
車を走らせた。30分ほど走ると、ごちゃごちゃしていた周りの景色が、
次第に整理されたような街並みになった。
大きな駅、大きな駅前ビル。たくさんのおしゃれなマンション。

(何かすごい都会だなあ……)

トーヤと瑞穂は大きなショッピングモールに入った。
トーヤに可愛い洋服を買ってやりたくて
ウズウズしている瑞穂そっちのけで、
トーヤの目はあるショップに釘付けになった。
天井までギッシリとディスプレイされた
たくさんの色々なギター。
トーヤがテレビでも見たことない楽器もたくさんある。
ハデなヘアスタイルをした派手ロックTのお兄さん達。
中でもトーヤの目を一番惹きつけたのは、
エレキギターを抱えてギター教室に入ってく高校生たちの姿だった。

「すご~~~」トーヤの瞳が輝きを増す。
今日ここに来て初めて、一緒に来た瑞穂と、来なかった大地の存在を忘れた。

ミュージックショップの中に入ると、
早速楽譜のコーナーに行って、店員に質問しながら、
念願のギターの教則本を選ぶ。
次にガンガン洋楽の流れるCDの売り場で、
【ギターのカッコいい】曲のCDを探す。
トーヤの今回の目的と言ったら、この二つに尽きた。

そこにはたくさんのCDを抱えて、
何かブツブツつぶやきながら、
今日買うCDを物色しているトーヤと同い年くらいの
ヒョロいメガネ男子がいた。
トーヤはトーヤで、何を買っていいのかわからない。
迷いまくったのちに
その男子が手放した一枚のCDを手に取って見る。

「あ!それ!……いや、すみません。何でもありません」
「?コレ買うの?」
「いや、ごめんなさい、迷ってたんだけど……
君が買うなら他のにします」

そのアルバムのジャケットには、
ライブ会場のようなステージで、
ギターを持った人たちがたくさん写っていた。
「これ、ギターがカッコいいの?」

そう問われて、メガネ男子はトーヤの方を見て、
彼女が持っている教則本に目を止めた。
「コレからギター始めるんですか。アコースティックなら……
確かにコレ、いいですよ。少し前のアルバムですけど……」
「特に、最後から2番目の曲がオススメですよ。」
彼はずり落ちそうなメガネを引き上げながら、
トーヤに向かってにっこり笑って見せた。
「ふ~~ん。じゃあ、コレ、聴いてみる!」

トーヤの大都会初体験。
トーヤ自身は、教則本と、CDを買ってもらって大満足だった。
瑞穂の思惑とは少々違ったが、
街への興味を引き出すことに関しては成功したといえるかもしれない。
ディナーの席で、いよいよ瑞穂は、本題に入ることにした。

ビルの9階にある小綺麗なレストランで、
大きなウインドーから、都会の夜景がキラキラ見える。

「トーヤ、こんなトコ、連れてきたん初めてやね。
この街、どう思う??」
「う~ん……何やオモロいとこやなあ……って」
トーヤはスープを口に運びながら、窓の向こうに目をやった。
あちこちのビルの照明がそれぞれ別のビルに反射して、
複雑な光を放っている。

「……今日、楽しかった?」
「うん!楽しかった!色々あったで!
大ちゃんも居ったら、きっと受けまくるで……」

トーヤが、瑞穂の方を見て、ニカっと笑った。
瑞穂は窓の方を見た。
上ったばかりの大きな満月が二人を見下ろしている。
瑞穂は一度目を閉じて、そしてトーヤをじっと見て、
口を開いた。

「実はね、トーヤ……」


入浴を済ませてから、大地とトラ兄が茶の間で駄弁っていると、
街から帰ってきたトーヤが部屋に入ってきた。
「おう、お帰り」
「……ただいま……」
心なしか元気がない。すでに事情を察しているトラ兄は、
同情の視線でじっと彼女を見つめた。

トーヤは隅に立てかけてあったギターのそばに寄ると、
買ってきたばかりの教則本を広げて、
取り憑かれたようにギターをいじっていたが、時折その手がつい止まって、
気もそぞろな感じで、あらぬ空間を見つめたりしている。

「……トーヤ!おい!トーヤ!」
「え?」
「どした?ぼんやりして?街の毒気にでも当てられたか?」
大地がニカっと笑ってそう尋ねる。
「……そんなんやあらへん」

「明日登校日だろ~?何持っていくんだっだっけ?」
「そんなん知らへんわ」
「?」
「ちょっとは自分で覚えといて。
ウチは大ちゃんの連絡帳やあらへん」
「?でもお前、いつでも……あ~。
何かひょっとして……機嫌悪い?」

「余計なお世話やん!」

トラ兄は額に若干の冷や汗を浮かべた。

「もし……ウチが居らへんようになったら、
大ちゃんどうする気やの?」
「??……そりゃなあ、オレもなあ。ちっとはな、お前に頼ってばっかりはマズいかな~とかは思ってるけど」
「来年は最上級生やし、
いつまでもオマエの世話になってんのもなあ?
やっぱちっとオレも、お前抜きでも何でもできるよう、
しっかりしやんとなあ!」
大地は照れ隠しのようにハハハ、と笑った。

「それ……大ちゃんは、ウチが居ろうが居らまいが、
どっちでも構へんってこと?」
「??? へ? 何でそーなる?」
もはや大地の頭には?マークの羅列のみしか浮かんでこない。
「……どうした?トーヤ?」
「何でもない!」
トーヤは肩にかけられた大地の手を払って立ち上がった。
「ウチのことは放っといて!」
トーヤは立ち上がると、ギターを持って障子をピシッと閉めて出ていった。

「????」
「あ~あ、ワリッとアホやのぉ、オマエ」
トラ兄がニンマリ笑って、大地の肩をばんばん!と叩いた
「あ~あ、いやいや、年相応で安心した!
お前そーゆーの、トーヘンボクって言うんだぜ。」
「唐変木…?」
「アレはマズい。」
「な……何がマズいんだ?」

「トーヤの方は平気じゃないみたいじゃん……」
トラ兄はボソッと呟く。
「!何が?何が『平気じゃない』んだよ!」
「あ~、お前は。ま、ここで座って、じ~っくり修行でもしとけ!
オレはちょっと……トーヤんとこ、行ってくる」

トーヤはギターを持って仏壇の前に座っていた。
トラ兄はズカズカと部屋に入っていくと、単刀直入に訊ねた。

「それで、お前行くの?瑞穂さんと一緒にさ。」
「……?」
「オレ、前に偶然聞いちまった。
瑞穂さん、仕事場変わるんだろ?
こっから引っ越すって……」
トーヤは皮肉な笑いを浮かべた。
「さすがお母ちゃんのストーカー……良う知っとるわ」
「誰がストーカーや!」

「よー。……あいつまだ何にも知らんで。
大地にちゃんと説明してやったら?」
「……」
「……あいつお前のこと思って言ってんだぜ」
「知ってるわそんな事!アンタに言われんでも。
大ちゃんていっつもそうやから!」
「大ちゃん忘れもんばっかしよるのに!
ウチが居らへんようになったら、誰が注意してくれるんや……」
トーヤはため息をついて、側にあるギターを抱きしめた。

「はああ。寂しいのはお前の方って事かあ……」
トーヤの眉がピクっと動いた。
「な……!!!!!アンタに何がわかんの!」

「わっかるんだよ!!……オマエ、オレと一緒だから!」
トラ兄がデカい声でそう言ったので、トーヤはトラ兄を見上げた。
トラ兄もトーヤをじっと見る。
「オレたち似てんだよ……」
「トラ兄……?」二人はお互いを見つめ合う。

トーヤは、少し前から考えていたことをトラ兄に訊ねてみた。
「トラ兄……ずっと聞こう聞こう、思てたんやけど、
あの人はアンタのお母ちゃんやないん?」
「あの人?」
「真紅のワンピースを着とる女の人や。肩まである長い髪で…
夢の中で、このギターをウチに渡そうとしたんや。
ウチの夢にずっと出てくるねん。」

タッタのギターを作った人が、
自分の夢に出てくる女性だとしたら、
彼女はトラ兄の母親ではないか?
そう思ったトーヤは、ストレートに訊ねる。

「トラ兄のお母さんは、いつ、どこで、亡うなったんや?」

「はあ?……縁起でもないこと言うな!
オレの母ちゃんは生きとる!」
少し怒ったように言うトラ兄を、
驚いたような顔でトーヤは見返した。

「米国で、ギター作っとるわ!……修行中や、それこそな」

(母ちゃんからは、何度もエアメイルが来たけど……
オレは一度も、開封したことはなかった。
書いてある事は、大体想像がついた。
「父ちゃんと話せ」って事だろう。そんな事わかってる……)

黙り込んでしまったトラ兄を前に、
トーヤの中ではやっと、いろいろな事の辻褄が合うように思えた。
(ああ…アレ……【生き霊】やったんか……
ウチに訴えたい事があって、ウチの前に出てきたんや。
だから大ちゃんには見えんかった。
前にお祖父ちゃんが言っとった。
【生き霊】と言うモンは、強い意志を持っとるで、
見せたいものを、見せたい人にだけ、見せて来るって)

彼女はトーヤにだけ、伝えたいメッセージがあった。
(ホンマはこの男に伝えたかったんに違いないけどな……)
トーヤは目の前に居るトラ兄をじっと見た。
相手の方でもトーヤを見返してきた。

「大地にちゃんと話せよ。自分の口で、さ……」


次の日は登校日だった。
京香と瑞穂、トラ兄の3人は、朝食の後、
登校する二人を見送りに外に出たのだが、
「行ってきます……」
そう言った後、なんとトーヤはさっさと一人で行ってしまうではないか。
歩幅の問題ですぐに追いつく大地だったが、
するとトーヤは走るので、
それを見ていた京香と瑞穂は顔を見合わせる。

「何よ、どうしたの?アレ……ケンカ??」
「……」額に手を当てて、真っ青になる瑞穂。
トラジはため息をついた。
「わかんだろ……瑞穂さん。原因はさ……」
「トラジ……?」
瑞穂が泣きそうな顔で、トラジの方を見る。
彼は自分も辛そうな顔をして、
二人が行った方向をじっと見ていた。

「ごちそうさま……」

下校後のお昼ご飯の後も、トーヤはさっさとギターを触りに行ってしまった。
午後の境内には、いつもなら子供たちが大勢遊びに来るはずなのだが、
学校での【バディ】二人の不穏な空気に忖度したのか今日は誰も遊びに来ない。

大地も航雲と一緒にお堂に行こうとしていた。
瑞穂は食卓に座ったまま、肘をついて顔を覆っていた。

お堂に行こうとする大地を、京香が呼び止めた。
「大地。ちょっとアンタに言うとかなアカン事あるんやけど……」
「……どした、母ちゃん。改まって……?」


お堂に差し込む午後の光が暑苦しい。
大地はお堂で写仏(仏の姿を書き写す修行)に挑んでいた。
普段の彼はこの修行は得意中の得意なのだが、
今日の大地の描く線は、どうかするとぐら~~と右に左に揺れてしまう。

「……心が乱れとるぞ、大地」
「……わかってます。祖父ちゃん」

二人は同時に、無意識に庭のクスノキを見上げた。
蝉が鳴いている……

「大ちゃん……話があんねん……」
大地がふと気がつくと、お堂にトーヤが入ってきていた。
航雲も顔を上げる。

お堂にお茶を運んできた京香、
縁側でトーヤの様子を伺っていた瑞穂とトラ兄は、
全員聞き耳を立てている。

「ちょっと、一緒に 外へ来てくれる……」
「お、おお……」

二人は境内を抜けて、木立の中を進んだ。
トーヤは足を止めた。
かくれんぼの時、二人がよく良く隠れる場所だ。
二人の後ろからゾロゾロと、トラ兄、瑞穂、京香が後を追ってきていた。
その光景は他所から見ていたら少々滑稽であったが、
本人たちは真剣そのものだった。

トーヤが口を開いた。
「大ちゃんもう聞いた?
秋になったら……お母ちゃん、ここから引っ越すねん……」

「ああ。さっき聞いたよ。母ちゃんから、な」
大地は静かに言った。

「ウチなぁ……」
「行くことにしたねん。お母ちゃんと一緒に」
大地は顔を上げた。
「おお……」

「……街はこことは違うて、何かなぁ……
大ちゃんの言う通り、
色々変なもんいっぱい居ったけど、でも……」
「でも?」
「面白そうなモンもいっぱい有った」
トーヤはニカっと笑った。いつものトーヤの顔だった。
「そうか」
大地も微笑む。
「初めて聴く音とか…変な格好しよる連中とか…ホンマ色々おった」
「旦那さん憑いてきとうとか、肩にペットを乗っけてるおばあちゃんもおったよ」
「霊?」
トーヤは振り返って大地を見た。

「そうやで。でもそれは……ウチにしか見えへん。
『あれ見た?何やと思う?』
後ろを振り返っても、大ちゃんは居れへんかった……」
「……」

「なんで居れへんの?どうして? 
どうして…一緒に居れへんねん?」
ウチ、なんかハラ立ったわ」
「……」
「なんでずっと……一緒に居れやんの?
それやったら、それやったら……
タッタと何も……変わりないやん!!!」
叫ぶようにそう言ったトーヤ。

「……!」
「オレ、生きてるぞ!」
大地もそう叫んでいた。
二人の視線が交錯する。

「街は面白そうだな。そのうちオレもいくよ。
もっと大人になったらな……」
「そうだなあ。今度はオレが、
お前ん家に居候でもすっかな……」
大地はしっかりトーヤの目を見つめて言った。

「だからお前は……先に行ってさ。
自分の好きな事をしろよ!」
大地はニッと笑った。

トーヤはくるりと、後ろを向いた。
「大ちゃん……ウチが居らへんかったら、
アンタ忘れもんばっかしよるで?
どうすんのや…そんなん……」
「給食足らへんかったって、誰も分けてくれへんで!」
「誰が……誰が……アンタの面倒…見てくれんのや!」

トーヤの声が震えている。
大地は少し驚いて、トーヤの方を見た。
「トーヤ……?」
こちらを振り返ったトーヤの瞳には、涙。
「!!!」

「アホ!トーヤ!泣くな!」
思わず、大地はトーヤの方に駆け寄った。
「誰がアホやっっ……!」
ボロボロっとトーヤの瞳から涙がこぼれ落ちる。
大地はうろたえながら、叫ぶように言った。
「たとえ離れてたって……オレたちゃ、いつだって!
【バディ】だろーが!」
「~~~」
トーヤが大地のTシャツの裾を握りしめる。
大地は思わず、トーヤの震える肩を抱えるようにして、
ガバッと抱きしめた。
「絶対そのこと、忘れんな!」

物陰からそれを見ていた瑞穂は、
こらえきれず膝から崩れ落ちた。

「ごめん…ごめんね…トーヤ!」
「ごめんよ……!全部……全部私のせいやんか!!」
「みーちゃん……」
「……お姉ちゃん!私…私…いつだって私わがままばっかで……
自分の娘まで泣かして……もお、サイテー!!」
瑞穂は場所も自分の年齢も、何も考えず
ワアワア声を上げて泣きだした。

「あんたはそれでええんよ。行きたい所に行きなさい!
自分で決めたんやったら、もう泣いたらアカン!!」
京香自身も涙目で首を振りながら、強くそう言い切った。

一部始終を見ているトラ兄の目に、
木立の中に立つ紅いワンピース姿の女性が見えた。
トーヤと大地のすぐそばで、まっすぐコチラを見つめて立っている。

「か……母ちゃん!?」
走り出したトラ兄が、二人のすぐそばまでやってきた。
しかし女性は、3人の横をすり抜けて、その姿は幻のように消えていく。

「見つけてくれて、ありがとう……」
消える時、彼女は確かにそう言った。

トーヤが最後に見た彼女は笑っていた。
トーヤはその時初めて思った。
(何や、この人ってトラ兄そっくりやん……)
「……トラ兄そっくりやな」
真上から大地の声がする。驚いたトーヤは自分を抱いている大地を見上げた。
「……!」
二人は顔を見合わせた。


「雨降って、地固まる……」
お堂で静かに経を読んでいた航雲和尚が、にっこり笑顔を浮かべる。
夕日はずいぶん傾いて、お堂を抜ける風も涼しくなってきた。

いつも通り、並んで歩くトーヤと大地。
多少ボロボロ感のある瑞穂を支えながら歩くトラ兄。
京香は彼に妹を任せ、一番後から歩いていく。

「瑞穂さん、ちょっとこの後、
連れてって欲しいとこあるんやけど、エエか?」
そう言ってニッと笑ったトラ兄。
瑞穂は不思議そうな表情を見せた。
「あのな……」
ゴニョゴニョゴニョ。トラ兄は瑞穂の耳に内緒話。
瑞穂は「わかった」と短く言って笑って頷いた。

「おおおお!!!」
「うわああ!!何やそのアタマ!!!」
夕方、仏間にいた大地とトーヤの所に、トラ兄がやってきた。
しかしその姿は、彼らが想像もしていないものだった。
トラ兄の後ろで瑞穂も苦笑している。
廊下を通りかかった京香が、トラ兄の頭を二度見する。
彼の頭は、見事に坊主頭になっていた。
うっすら、赤い色が残ってはいたが。

「何や……トラ兄!
祖父ちゃんに弟子入りする気なんか?!!」
「……んなワケあるか。」
「どこぞのお小姓さんか思たわ。」
「うっるせぇぞ!黙って聞け!」

トーヤと大地はかしこまって座る。
ついでなので京香も演説を聞いていく事にした。

「いいか、大地、トーヤ。オレは明日、
家に帰ることにした!」
一同顔を見合わせる。
「そこで!今夜の晩メシは、挨拶がわりにこのオレ様が、
腕に寄りをかけて、作ってやる事にする!」
「へへーっっ!」
「……と、言う事で! 瑞穂さん、一緒に、作ろうぜ!!!」
トラ兄はニカっと笑った。

最後の晩餐は、トラ兄がここに来て覚えた、京香仕込みの和食フルコースだった。
師匠の京香からはお褒めの言葉が贈られた。
「君はなかなか、スジがいいね!
瑞穂よりなんぼか、教えがいあるわ~~」
「ひどい、お姉ちゃん!!!」
「ワハハハハ!」
「あははははは!!」

次の日の朝、いつもより早起きした瑞穂は、
出勤前にトラ兄に挨拶しようと、ラジオ体操の終わった境内にやってきた。

「トラジ、色々ありがと。今回は……
アンタが居ってホンマに良かった……」
瑞穂のそのセリフは、トラ兄を十分に満足させた。
「オレも。来て良かった」
「またトーヤを連れて遊びにいくからね!」

瑞穂は少し離れたところで、
大地と一緒にいるトーヤの方を見た。
その手には例のギター。
何だか既に、ドレミくらい?弾けていそうな雰囲気だ。

「あの子……あのギター、きっと大事にするよ」
「……って言うか、やっと、
ちゃんと使ってもらえる奴の手に渡った、
ってカンジじゃね? 母ちゃんも喜ぶな……」
「!」
瑞穂がトラジの方を見直した。
いきなりガバッと、瑞穂がトラジに抱きついた。

「!!!み、瑞穂さんっっ!??」
「アンタ、大人になったね!」
彼女は事のほか嬉しそうにそう言った。

「お義兄さんによろしくね。それから……お義姉さんにもね!」
瑞穂はトラ兄の方に右手を差し出した。
トラ兄はがっちりとその手を握り返した。

お昼過ぎ、遊びにやってきた子供達は、
これからここを出て行こうとするこの坊主頭の少年が
トラ兄なのだとスグにはわからなかった。

「トラちゃん??」
キョトン、とした顔でコチラを見ているイクミンの前に行って
腰を落としてトラ兄は言った。
「変か?」
イクミンはトラ兄に近寄ると、彼の頭を撫で撫でしてにっこりした。

「今度の生えてくる色は何色なの??」
「ハハハッ!……何色がイイんだよ!」
「う~んとね!う~んと……ピンク!ピンクがイイ!!」
「そうかあ、ピンクか……」

「でもね、イクミン、トラちゃんだったら何色でもイイよ!」
彼女はそう言って楽しそうに笑った。
「すっげえ殺し文句……」
トラ兄もイクミンの頭を撫で撫でしてやった。
「色々ありがとな。……コレやるよ」

トラ兄は、昨日切った赤い髪で作ったキーホルダーを小さな手に握らせてやった。
彼女は不思議そうに眺めた。
「キモチ悪いか?」
トラ兄は、イクミンの顔を覗き込んで言った。
「ううん!キレイ!ありがと!トラちゃん!!」
イクミンは初めて会った時と同じように、瞳をキラキラさせた。
トラ兄はニッと笑った。

「また料理作んに来てな。その頭もなかなか似合うとるで」
京香はボンサックに地元の土産を詰めてやりながら言った。

「寅時、良い休みを過ごされたかな。」
「航雲和尚!」
「また、いつでもおいでなさい。」航雲は合掌した。

「……本当に、ありがとうございました!合掌!」
トラ兄が深々と頭を下げて、両手を合わせた。
トーヤと大地が顔を見合わせて微笑む。

「また来年!来年な!」
「おう!また来年な!」
「ウチも夏休みにはココ帰ってくるし!」
「そんなにオレに会いたいんか?」
「そんなワケあらへんやろ。ウチは……ココが好きなだけや!」
トーヤはそう言って笑った。大地もニコニコ笑っている。

「じゃーなー!!」
トラ兄は お土産ではち切れそうになった、古臭いボンサックを背負って、
来た時と同じように帰っていった。
髪の色は、ずいぶんあっさりしたけれども。


少しばかり静かになった境内に、ツクツクボウシの鳴き声がする。

「もうお盆か……」
「そやね……」

大地はポケットから銀のペンダントチェーンを取り出した。
「これ、やるよ。お念珠の代わりにな……オレが祈願したんだ」
大地はそう言いながらニッと笑った。
「?」
大地はトーヤの首にそれをかけてやって
目を瞑って真言を唱えた。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン
……アチャラナータの守護が永遠にお前を守る……」合掌!
トーヤはチェーンを手に取って眺めて、指に絡めた。

「トーヤ、お前、龍ちゃんからもらった指輪、持ってるだろ?」
「うん。ウチの【宝箱】に入れて、仏壇に置いて有るで!」
「街に行ったら、これに龍ちゃんのリングをつけて
身につけてろよ。タッタ×大地の最強タッグだぞ!」

トーヤは大地の目をじっと見つめたあと、イタズラっぽく笑った。

「大ちゃんより、ウチの方が霊能力強いもーん」
「あーまたオマエ、そーゆー事言う?」

        
              第二話「トラジ」         終

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                                     ©️2022  matouryou All Rights Reserved.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?