知念塔夜の               毎日が “すぴりちゅある”        Toya’s Everyday “spiritual!” Life


 オッス、オレは槣原大地。高校二年生だ。
オレには一つ年下の従妹がいる。
名前は知念塔夜、みんなフツーに「トーヤ」って呼んでるが、
高校に入って、誰が呼んだか「通り名」なんてものも出来ちまったようだけど。

普段の見た目はかなりパンクで、エレアコ抱えてハスキーボイスで唄うし、
オトコみたいな口調で喋るし、
リラックスしてる時はほぼ完全に関西弁だ。
従兄のオレが言うのも何だが、母親譲りのなかなかの美人だぞ。

だが…塔夜には、オレしか知らない、ヒミツの顔がある。

 オレの実家はそれなりに由緒ある寺で、祖父さんは力量のある坊さんだ。
母ちゃんの京香はその後継で、その妹の瑞穂叔母さんは、
都心で働いていて、週末だけ実家に帰ってくる生活をしていた。
龍夜叔父さんと結婚して塔夜が生まれてからもそれは変わらなくて、
3人はオレん家に居候してた。オレと塔夜は兄妹みたいに育ったんだ。
イマ風に言えば俺たちゃ“バディ“ってワケ。

オレもまあ、一応は坊さんのタマゴなので、
いわゆる【見える人】だったりするわけだが、
実は塔夜には、オレの比でない力がある。
祖父さんの能力を受け継いでいるんだろう。
そのおかげで塔夜とオレは、幼少の頃から、不可思議な体験を重ねてきた。
塔夜(とオレ)にとっては、それも日常茶飯事なんだけどな。
言わば、「毎日がスピリチュアル」ってワケさ。

さて、今日はちょっと昔に遡って。
オレがちょうど小学校に上がる前の春休み、旅先でのお話を紹介する。



 早春、三月下旬。この辺りは山合いなのでまだ少し肌寒さが残る。
寺の境内に数本並ぶ桜の木の蕾もまだ硬い。

「お姉ちゃん、じゃあちょっと行ってくるわ」
トランクに小さめの旅行カバンを積み込んで、
助手席に龍夜を乗せてから、運転席に乗り込んだ瑞穂がそう告げた。

心配顔の京香が覗き込む。
新米僧侶の彼女は身につけた袈裟がまだ少し上っ面な感触。
「みーちゃん、やっぱり私もついて行こうか?」
「大丈夫よ、心配しないで。どうしても、今行っておきたいの。
それに、龍ちゃんも一緒なんだから……」

助手席を見て微笑む瑞穂に、何か言いたげな京香だったが、
後部座席から聞こえてきた元気な声がそれを一蹴する。
「そうそう!それに俺も一緒だし。なあ、トーヤ!」
京香の息子、大地だ。
「ダイジョウブ!ダイジョウブ!」
「ウハハハッ」
従兄妹同士の二人はニコニコ笑いながら、かなりゴキゲンで、
そのテンションの高さが、若干何かを企んでいるように見えなくもないが、
楽しげな子供達の様子に少しだけ安心して、
そして自分の息子を信用することにして、
京香は運転席の窓を離れた。

「くれぐれも気をつけてね。みーちゃん。
大地、ちゃんと見てちゃらなアカンよ!あんたお兄さんなんやからね!」
大地はニカッと笑って親指を立てた。

「大丈夫よお姉ちゃん。……仕上げまでにはちゃんと帰るからね。」
瑞穂は未だ心配そうな姉を見てそう言い残し、ハンドルに手をかけた。

 出発して程なくすると、
笑っていた塔夜は急に真顔になって大地の方に向き直った。
「大ちゃん、ケイカクの通り、ゼッタイよろしくねっっ!」
「お、おう!!任せときな!オトコに二言はナイぜ!」
「良かった……!!」
塔夜は満面の笑みを湛えた。この微笑み。
まるで天使かそれとも小悪魔か。

(オレって頼りになるオトコやなあ!)
塔夜の笑顔に自己満足した大地が振り返ると、
彼女はすでに小さな寝息をたてていた。

(やれやれ、しょうがないなあ……)
大地は隣で眠る塔夜にブランケットをかけてやると、
昨日の夜、彼女から聞かされた計画について考えを巡らせた。

「大ちゃん。明日からのお出かけなんやけど……
ウチ、探したいもんがあるねん。お母ちゃんにはナイショで。
一緒に探してくれへん?」

塔夜は事のいきさつを大地に話して聞かせた。それによると。

 ~塔夜の両親、瑞穂と龍夜は、学生時代に
今回の目的地である鬼無座市で出会った。
二人にとって思い出の地、ということで、新婚旅行もこの町にやってきたのだが、
旅行中、まだ少し雪の残る田んぼ道で二人で雪合戦をしていた時、
多少張り切りすぎた瑞穂が、あろうことか、
大切な結婚指輪をなくしてしまったのだそうだ。
どんなに探しても見つからず、(そりゃ無理だろう)
龍夜が代わりのものを用意しようとしてもうんと言わず、
瑞穂はずっと諦めきれずにいるのだそうだ。~

「だからね!ウチ……見つけてあげたいんや。そんで、お母ちゃんに
喜んでもらいたいんや!元気出してもらいたいんや!」
「ずっと、ずっと、オニムザ、って言う所に行きたいと思ってたんやけど、
やっと、チャンスが来たねん!」
塔夜は瞳をキラキラ輝かせながら、大地の方を見た。

「そんで、ウチと大ちゃんやったら、ゼッタイ見つけられると思うねん!!」

普通に考えたら何だか気の遠くなるような話だったが、
大地には断る理由は全くなかった。
“見つからない”という結果も想像できなかった。
「うん、多分、オマエなら、見つけられるよ。
オレは何でも、協力するよ。」
「さすがあ!大ちゃん!!」
塔夜は誇らしげに笑った。
(そうそう。何と言ってもオレたちゃ、“バディ”だもんな。
ほんのちっちゃい頃から何遍も、二人で冒険してきたっけな。)

 ペンションの食堂では、カーテン越しの朝日が気持ちいい。
「大ちゃん、コレも食べてイイよ」
ニッコリ笑いながら自分のパンを差し出してくる塔夜。
彼女は少食で、いつもの光景だ。
「お、悪いな。オマエもさあ……もちっと食べろよな!」
昨夜の食べっぷりも目を見張るものだったが、
そう言いながらしっかりパンは頂いている大地であった。

何気にそわそわしている塔夜。
昨日は鬼無座に到着後、すぐに夕方になったので出られなかった。
朝食後に、早速行動開始の手はずなのだ。

「ねえ、お母ちゃん。ちょっと……お外に遊びに行ってくるね!」
「? どこ行くのトーヤ?」
「えーとね、えーとね、ゆきが見たいな!」
「雪?」
「お母ちゃん、昔、雪合戦したんやろ?そこ……どこ行ったらええの?」
「まあ、トーヤ。雪合戦がしたいん?あそこはここから少し離れてるんよ。
それにお母ちゃんたちが雪合戦したのはホンマに冬の時やったし……
今はもうそんなに雪はないわね」
瑞穂は苦笑しながらそう言った。
「また明日にでも連れて行ってあげる。今日はこの辺で遊んでいてね。
そこへは龍ちゃんも一緒に行きたいんよ。まだ雪、見れるかなあ」

瑞穂は明らかに落胆した様子の塔夜を抱き寄せると頭を撫でた。
大地は自分がまだ子供であることに少しばかり無力を感じながら、
塔夜の方を見やった。
(どうする、トーヤ?)
「行きたい……どうしても!」塔夜の瞳には強い気持ちがみなぎっている。
絶対に行くのだ、という強い意志だ。いやむしろ、確信だ。

「あー、俺連れて行ってあげましょうか?
今日ちょうどオーナーの田んぼ行くんですよ。
塔夜ちゃんの言ってるの、あそこの田んぼのことでしょ?」

そう言って声をかけてきたのはペンションの従業員のお兄さんだった。
瑞穂や龍夜とも馴染みの、オーナーの片腕である。

「え?でもそんなのご迷惑じゃありません?
あなたも向こうでお忙しいでしょうに。」
塔夜の頭に手を置いたままの瑞穂が少し戸惑ったようにそう言った。

「瑞穂さんも今日他に行っときたいところもあるでしょ?
あのあたり近くに学校とかあるんで子供たくさん遊んでるし、
少しなら雪もまだ見れると思いますよ。」
お兄さんはニコニコ笑いながらそう言っている。

それを見たトーヤもニコニコ笑いながら大地の方を見る。
(そう、こんなのいつもの事だよな、トーヤ。)

意気揚々と出かけて行く塔夜と大地を見送ったあと、
瑞穂は部屋に戻り、ソファに腰を下ろして一息ついた。

「ねえ龍夜……ここは変わんないわねえ?少し迷ってたけど、来てよかった」
それから窓際の龍夜に向かって愛おしそうにこう呟いた。
「やっぱり親子やね。好きな場所までいっしょやなんて!」

 軽トラに揺られながら15分ほど走ると景色が開けて、
広々とした田んぼがあって遠くに山並みが見えた。
「ゆき!ゆきや!」
塔夜が指差す方を見ると、山肌に残る残雪が目に入ってきた。

「さあ、着いたよ。おチビさん達。雪が見れたね。良かったねえ。」
お兄さんは笑顔で二人の方を見た。
「ここにずっと来たかったんや~」
塔夜はすっかりゴキゲンモード。

 お兄さんは二人を軽トラックから降ろし、
絶対に道路には出ないように注意すると、
子供達の遊んでいるあぜ道の辺りに二人を置いて、作業道具を取りに行った。
今日は天気もいいので、結構たくさんの地元の子供達の姿が見えた。
大地はそれを横目で見ながら、周りをじっくり見渡した。

「さて、と。手っ取り早くやんねえとな。
あの兄ちゃんの用事が終わるまでやからな……」
「うん、まず、あっち、あっち行こ!」

周りで遊ぶ子供たちにも、農作業する大人たちにも、一切目をくれる事も無く、
塔夜は大地の手を引っ張ってどんどん田んぼのあぜ道を行く。
なんの迷いもなくどんどん進んで行く。
どんどんどんどん……

……大地は先ほどから何者かの気配を感じていた。
それは塔夜も同じのようだった。不吉な感触のものではなかったが、
それなりの力のある存在感。二人はいつしか無言になり、
空気がわずかに揺らいだところで、不意にトーヤの足が止まった。

「トーヤ、何か感じたんか?」
「うん……ここ何か、うーん……お母ちゃんの、
お母ちゃんのニオイがする!そんで、そんでもって!
何かいる!何かいるカンジする……」

塔夜は珍しく、難しい表情をしながら呟いた。
「何かってなんや……トーヤ」
そう応えながらも、
大地も握った手の中にじんわりと汗が湧き出てくるのを感じていた。

二人の眼前には、薄暗い草むらの中、
古い木材で蓋をされた井戸のようなものが有った。
板はすでに劣化してあちこち腐り落ちているようだった。

(こりゃあちょっと……アブナイかもな)
直感的にそう感じた大地のアタマに、
瑞穂の顔が浮かんだ。ついでに京香のカオもだが。

(どーする?オレ?トーヤは絶対諦めない。オレ一人で守れるか?
……まあ誰か連れて来たところでどうにかなるとも思えねえけど)
「あっっっ!」
古井戸をじっと見つめていた塔夜が大きな声をあげた。

「大ちゃん!!お母ちゃんの!指輪見えた!この中や!この中に有るんや!」

5年前に瑞穂が無くした指輪は、雪解け水に運ばれて、
この古井戸に流れ着いたと言うわけか。
「どーせそんなこったろうと思ったよ……」

物心着いてから今までの短い間の事とはいえ、
まだ小学校にも上がってない自分と塔夜の二人は
ささやかながらも幾つかの、非日常的な冒険をして来た。
しかし今回ばかりは……コレどうよ?

「多分みーちゃんには殺される……あと母ちゃんにもな」
「だけどオレ達……“バディ”だしな~~」
見た目恐ろしげな古井戸を前に、
ひとりブツクサつぶやいてる大地の後ろから、誰かが声をかけた。

「何してるんだい?子供だけでこんなとこへ来ちゃダメじゃないか~?」

現在隠密行動(?)中なので、大地はそれはそれは、もうかなり驚いた。
(……!この緊迫感のない間延びした声は!)
まさか……大地の額からポタリと汗が落ちる。
自分の想像通りの人物が後ろにいるとしたら。
彼が振り返るより先にトーヤの声がした。

「タッタ!!!来てくれたんだ!」
大地が振り向くと、満面の笑みで自らの父親に抱きつく塔夜の姿があった。
(まさか、と思いたいけど、父親としてトーゼンっちゃトーゼンか……)
父娘の姿を呆然と見つめる大地。
「大ちゃん、トーヤが面倒かけるねえ」
いつでものんびりにこやかな大地の叔父は、塔夜を抱き上げて
普段と全く同じように、明るくそう言った。

「もう、二人とも危ないなあ。ここはねえ……よそ様のお家なんだよ。
お留守の時に勝手にあれこれするのは感心しないな~」
二人を見下ろしながら、のんびりと龍夜がそう言うと、
すかさずトーヤが反論した。

「でもタッタ!あそこにお母ちゃんの指輪が有るんや!」
「指輪が?みーちゃんの……?」
龍夜は思わず大地の方を見た。

「いやもうホンマに。あれでみーちゃん結構ドジやからなあ」
「あの時の?雪合戦の時失くした?」
「そうらしいよ……」
大地は苦笑いしながらうなずいた。

「そうや!お母ちゃん、ずっとずっと寂しがっててん!」
「でも、お母ちゃんに探したいゆうたら、
危ないからゼッタイ、ダメって!」
「そんでもウチは、ずっとずっと探してあげたかったんやで!」
「ずっとやで!ずっと!」
少しばかり興奮したトーヤは涙目になった。

「そうかそうか……ずっと、トーヤは探してくれてたんだね」
彼は身を屈めて、塔夜を抱きしめて頭を撫でた。
「そんなワケなら、僕も協力しないと、だね」
龍夜は極上の微笑みを浮かべた。
「タッタ、一緒に居てくれるの?」
トーヤは瞳を輝かせてそう言った。

(協力か。確かに、龍ちゃんが居れば……
こんなに強力なサポートは他にないかも知んねえ)
これから立ち向かわねばならぬ「何か」からトーヤを守り、
目的を達成するには……
大地は目の前にいる龍夜を、改めて上から下まで確かめる。
トーヤは飼い主に撫でられる子猫のように至福の表情を見せている。
大地は少しばかりの羨望と、なんとも言えぬ複雑な気分をもって父娘を眺めた。

「おーい!!大地くーん!塔夜ちゃーん!どこだーい!」
あぜ道の向こうから、二人を呼ぶ声が響いて来た。
「やっベぇ!もう帰る時間か。」
大地は頭を抱えた。そうこうしているうちに、いつのまにか時間は過ぎていた。
「どうしよう……大ちゃん。まだ……まだ帰れない!」
困り顔のトーヤが大地を見つめる。

「どうしたんだい?誰か来たのかい?」
相変わらずのんびりしている龍夜の方を向き直って大地は言った。
「龍ちゃん。トーヤを頼むよ!
オレはコッチを……みーちゃん達を何とかするから!
トーヤの願い、叶えてやってくれ!」
「あの井戸、かなりヤベェ。でも……トーヤなら!
龍ちゃん!必ず、トーヤを守ってくれ!!」

龍夜は少し考え込むように黙って大地を見ている。

「大地く~ん!!塔夜ちゃ~~ん!」
もう時間がない。大地はトーヤの手を取って言った。
「オレ行くよ!みーちゃんの事は任せな!心配すんな。うまくやる!」
「龍ちゃん!こっちは頼むぜ!」
再びそう言って大地は素早くその場を離れた。
(上手くやれよ……トーヤ、龍ちゃん……)

走りながら、大地は考えた。さて、どうやってみーちゃん達を納得させる?
トーヤなら、どうするか。絶対一歩も引けねえな。

「大ちゃん行っちゃったね。みーちゃんガンコなとこ有るからな~。
納得してくれるかな?」
しばし大地の去った方を見つめているトーヤに、
龍夜が顔色を伺うようにいたずらっぽく尋ねた。

「うん。大丈夫。大ちゃんなら。ゼッタイ!!」
振り向いたトーヤはニカッ!と笑ってピースサインした。
「ああ!君たち、とっても、いい“相棒”なんだね!」
目を丸くした龍夜が笑いながら、トーヤの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「そこで何をしている?」
どこから現れたのか、二人の背後に美形の青年が立っていた。
年の頃は二十代前半に見えるが、それにしては堂々としすぎている。
古めかしい装束を身につけ、人間離れした迫力を放っている彼は一応、
この古井戸の主であった。

「うん、今からココに入って、落としものを探したいんや!」
古井戸をビシッと指差して、トーヤは高らかに宣言した。
あまりにもストレートなトーヤの発言に周りの空気も一瞬凍りついたが、
数秒後に水神は気を取り直した。

「無礼な……ここは私の家(?)だ。何を勝手な事を言っておるのか」
「ココ、おっちゃんのおうちなん??」
「おおおおお……おっちゃん!?」
塔夜は水神の方に詰め寄ると、彼を見上げ真剣な眼差しで言った。

「お願いがあるねん!大事なもんがココにあるん。探させて、お願い!!」
「突然何を言っておるんだ、この女童は!!!」
水神の秀麗な眉毛が、ややハの字に下がり心なしか声も上ずる。
彼の焦燥を知ってか知らずか、緊張感皆無の発言が後に続いた。

「あのう……本当に突然ですみませんが、どうかこの子の願い、
叶えてやってくださいませんか。勝手にお家に入ろうとしていました事は、
深くお詫びさせていただきます。……さ、トーヤ、お兄さんにゴメンなさいは?」
龍夜は塔夜の頭に手をやって挨拶を促し、自分も深々と頭を下げた。

(……何なんだ。なんなんだこの展開は。)
(大体、なんでこいつら私を見ても何とも思わないのだ?
何でこんなに素なんだ!)
水神ともあろう者が突然の事態に目を白黒させるとは、何としたことか。
「ワッハッハ……ワッハッハーうわっははー」
水神のさらに後方から、堪えきれない、という感じの豪快な笑い声が聞こえてきた。
「ワロージャ……」
「アッハッハ!ワッハッハー……うわっははー」
「ワロージャ……」
「アッハッハ……ハッハッハ……」
「ワロージャ!ええい、大概にしろ!!」

「いやいや。すまんねえ。フフフっっあまりにも面白かったものだから!」
ワロージャ、と呼ばれた髭面の外国人男性は、
いまだ込み上げて来る笑いを何とかこらえながらそう答えた。

龍夜は一歩進んでワロージャにも深くお辞儀した。
「本当にすみません。僕はこの子の父親です。
あなた方のお家とは知らず、この子の失礼をお許しください。
決して悪気があってのことではありません」

「あなた方!?こ、コイツは何も関係ない、ここは、私の……私の家だ!」
機嫌を損ねて横を向いてしまった井戸の神を尻目に、彼は言った。
「いや、いや、お嬢さんは、まだ、何も…ウッフフ…ククク
大丈夫、大丈夫です。何も、悪い事は起きてませんから」
塔夜はまじまじと、この楽しそうな笑顔の中年男性を見つめた。

「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんは、なかなか……スペシャルなお嬢ちゃん!
私たちが、見えるのだね?怖くないのかね?」
「うん!ぜんぜん怖くないよ!おっちゃんも、
それから、おっちゃんの後ろに別のお兄ちゃんもいるよ」
トーヤはニコッと笑顔で言った。
「……ハラショー」
ワロージャはとても喜んで、トーヤをハグした。
「素晴らしいお嬢さんだ!」
「フン!」面白くないのは、古井戸の神様。

 朽ち木の蓋が外された井戸の水面がざわめき、
水の中から不気味な声音を伴って水神が再び姿を現した。

「お前が~落としたのは~この~~金のぉ~~指輪ですか~?」
「それとも~コッチのぉ~~銀の~指輪~で~す~か~~」
「あの……それお話が違うのでは(汗)」

多少間延びした龍夜のツッコミが夕刻の田んぼに空しく響く。
半分ヤケになりながらも、ワロージャからの後押しもあって、
井戸の中から瑞穂の結婚指輪を探すことを渋々承諾した水神だったが、
どうにもすんなりと渡す気は無さそうであった。

「もう日が暮れちゃうよ!
あのね、あのね、お母ちゃんの指輪はね。
金とか、銀とか、そんなええもんやないの!高いもんやないの!」
「トーヤ……」苦笑しながらも若干傷ついた龍夜ではあったが。

「でもね!でも!お揃いなん!お月様が半分ずつ……タッタが造ったんよ!
二つ合わせて満月になるんよ!世界に一個しかない、
お母ちゃんの大事なモンなんよ!」
怯まないトーヤが、一歩、水神の前まで詰め寄る。

「いいだろう。……探してやろう。
ただし、お前は何をしてくれる?」

意地悪な瞳で、トーヤを見下ろした水神に、
ワロージャはヤレヤレと呆れ顔だ。

しばらく考えている様子だったトーヤは水神に向き直って言った。
「ウチと、“とりひき”したいってこと?」
(うかつやったわ。こんなんショーバイの基本やん……ウチとした事が)

水神に商売の基本が通じるのかどうかわからないが、
交換条件を要求して来るあたり、
ギブを提供すればテイクもさせてくれる、という事か。
「わかった。じゃあ、今からウチと一緒に来てくれる?」
「トーヤ!」
不安顔の龍夜がトーヤをさえぎった。
「ダメだよ、トーヤ。いつも言ってるよね?
知らない人について行ってはダメって!!
それにもう夕方だ。今からこのお兄さんとどこかへ行くなんて、
お父さんは絶対許しません!」

「何を言っておる…!人を犯罪者呼ばわりか!
一緒に行こうと言っておるのはオマエの娘の方だろうが!」
「そう……言わせてるのはあなたではないですか!?」
「時間など関係あるまい。面倒なことはさっさと済ませたいのだが」
「ダメですよ。子供のお出かけする時間ではありません。
僕は父親として無責任な事はできません」

(こいつは、また随分と……吹けば飛ぶかのような風情をしながら
この私にここまで食い下がってくるとは……)

「私も毎日ヒマこいてるワケでもないんでな」
「おっちゃん、“神様”って、どんなお仕事してるん??」
トーヤを抱きかかえて弱腰ながらも一歩も譲らない龍夜と
子供にペース乱されっぱなしでキリキリしている水神の両方を見ながら、
心底楽しそうに笑いを噛み殺しているワロージャの姿があった。

 龍夜の粘り勝ちで水神との勝負(?)は明日に持ち越しとなった。
「良かったねトーヤ!明日お兄さんは指輪を探してくれるよ!」
「うん、ウチ、お礼はちゃんとする!」
ハイタッチしながら嬉しそうにはしゃぐ父娘を見て、
二人をとても微笑ましく思ったのはワロージャだけで、
水神は面白くなさそうだった。彼の全身からイライラした感じが伝わって来る。

(まったく人間は……井戸にいろんなものを落としてくれるものだ。
勝手に失くして、欲しいからよこせと言って来る。全くもって身勝手な……)

「大体、そんな安物の指輪など、
そこまでして欲しがる様なモノでもないだろうに!」
水神は二人の方を見ずに皮肉っぽく言い放った。
「あんたもそんなもの持っていたってもう意味がないだろ」
水神は龍夜に向かって吐き捨てる様に言った。
龍夜は一瞬、とても悲しそうな顔をした。

「おっちゃん寂しいの?」
口元をへの字に曲げたトーヤは、水神をじっと見つめてそう言った。
「なに……?」
「人に嫌なこと言う人は寂しいんだって、お母ちゃんが言うてたもん」

 もう日も暮れて来た。
不機嫌な様子で古井戸にこもってしまった水神の代わりに、
ワロージャが親子を住処に案内した。
道すがら龍夜におぶわれて、すやすや眠ってしまったトーヤを見て
ワロージャは言った。
「とても可愛いお嬢さんだ。さぞや……
いつまでも、そばに付いていてあげたいお気持ちでしょうね」
「ええ。ずっとそのつもりです。これからもね」
龍夜はにっこりと微笑んだ。
ワロージャは、少しはぐらかされたような気分になったが、
すぐに龍夜の気持ちを理解してゆったりした笑顔を見せた。

「さあ、今日はウチについて来て!
おっちゃんにエエ思いさしたるからな!」
次の日のお昼頃、水神がトーヤに連れてこられた場所は
市街地にある小さなゲームセンターだった。

「こんなところで何ができると言うのだ…?」
訝かし気な様子の水神は、あちこち疑わしげな目で見回している。
昨日とはうって変わって、長髪を後ろで束ねて、
シャツにスラックスというカジュアルな出で立ち。
そんな格好だと中々のオトコマエである。

「そこに座って、待ってて!」
張り切り顔のトーヤはニカッと笑うと、水神と龍夜をイスにかけさせると、
腕まくりをしてUFOキャッチャーの前に進んだ。

「はい、コレ!!」
「何なんだ?何なんだ……コレは?」
あれよあれよ、と言う間に、水神の前に、
ビッグサイズの箱もののお菓子や、
キャラクターのぬいぐるみなどがどんどん積まれて行く。

「コレは一体何だ??」
ビニール袋に大量に入ったスナック菓子を恐る恐るつまみ上げて眺める水神に
龍夜が楽しそうに応える。
「あーコレは、う◯い棒と言いまして、安価で軽~いお菓子なんですけど、
いろんな味がありまして!コレ旨いんですよ!食べてみます?納豆味!」

「納豆???バカな!納豆がこんなに軽いワケなかろう」
「ちゃんとネバりますよ。ホラ!まあ騙されたと思って!」
納豆味が好きなのか、自分もそれを頬張りながらグイグイ押してくる龍夜に、
水神は好奇心も手伝ってか、それをおそるおそる口にした。

「ふむ……」
「どうです?イケるでしょ?なかなか?」
「ふむ……………ねばる!」
「でしょ?美味しい?ああネバる!まあ一杯どうぞ(お茶)
次はコッチの……コーンポタージュ味とか?」

どう言うわけか、とても楽しそうな龍夜のペースに
水神ですら巻き込まれていく。
トーヤが頬を上気させながら二人のところに戻ってきた。

「言うたやろ。ウチ、こうゆうの大得意やねん。」
「すごい、すごいな。トーヤ!お前は天才だよ~!!」
「たった三百円でこんなに!ホントにすごいよトーヤ!」
パチパチ拍手をしながら我が子をホメまくる龍夜である。

「うちの子、スゴいでしょう?何でも上手にできるんですよ!」
龍夜は無邪気に水神に話しかけた。
若干呆れた様な顔をした井戸の神は、不機嫌でいるのもバカバカしくなった。
ニコニコと心底嬉しそうに娘自慢をする親バカ龍夜に、
すっかり毒気を抜かれたのかもしれない。

「ハイ、これで最後、どうやー!!おっちゃん、カエル好き?」
特大サイズの青いカエルのぬいぐるみを持たされた水神は苦笑いしながらも、
まんざらでもなさそうに見えた。
「わかった。わかったからもう、“おっちゃん”は止めろ……」

 ワロージャはゲームセンターの休憩所に腰掛けて、
暖かいコーヒーを飲みながら愉快そうにその様子を見ていた。
「おっちゃん、ココ座っていい?」
振り返ると、人懐っこい笑顔をした男の子が立っていた。
体つきは大きいが、あどけなさの残る顔つきは、小学校低学年くらいだろうか。
「ああ、いいとも」
つられる様にワロージャも笑顔を返した後で気づいた。
「君、私が見えるのかね?」
(実体化してない私が見えるとは……この子もスペシャルな子なのか?)
「うん、そう。……ちょっと色々心配でさ。
今日ココに来るって聞いたんで、抜け出して覗きに来たんだけど」
視線の先には、どこか不可思議なあの父娘がいた。

「素晴らしいですね!今まででもトップクラスの釣果ですよ!
ぜひお二人で記念撮影を!!!」
多少興奮気味なゲームセンターの店員が彼らに近づいて来て、
写真の撮影を懇願している。
水神は面倒臭そうな顔で横を向いている。

「あ~あ、あの店員よしゃあイイのに……あとでビビる事になんのによ!」
少年はその光景を見て、ニヤニヤ笑っていた。

それはどう言う事だろうか。この少年には、
人型に実体化している水神の正体が視えているとでも言うのか?
ワロージャはまじまじと少年の方を見た。
「まあ、あの分なら何とか……うまくやってそうだな!
 じゃあな、おっちゃん。邪魔したね!」
彼は安心した様子でひとり納得すると、
ワロージャの方に向き直り、いたずらっぽい笑みを浮かべて去って行った。

 遠くの山々の残雪が、午後の光に煌めいている。
春の陽の光は暖かいが、田んぼに吹き抜ける風は、
どこか冷たくて気持ちをピリッとさせた。
街から戻って来たトーヤ達は、水神の田んぼで一休みした。

「ここの景色……すごくキレイだろ。
初めて来た時から僕はここがすごく、お気に入りの場所でねえ。
これと言って何があるわけでもないんだけど。
トーヤにも見せてあげたかった。ずっと……」
あぜ道に腰掛けた龍夜はトーヤを膝にのせ、幸せそうに目を閉じた。

「コレだろう。お前の探し物は」
井戸神はトーヤの手のひらに、小さな指輪を乗せてやった。
「うわあ……!」トーヤの瞳が輝いた。
「うん!コレや!コレ!間違いないわ!お母ちゃんの…ニオイがする!」

瑞穂の結婚指輪は、少し色がくすんでいたものの、
長い事水中にあったとは思えないほど、その原形を留めていた。
半月の彫り物もちゃんと見える。
トーヤは父親の方を振り返ると、その指に嵌められた片割れの指輪に、
その模様を合わせて見た。満月が見事に浮かび上がった。

「ほら!ピッタリ!ピッタリや!タッタ!スゴいねピッタリだよ!」
龍夜も満面の微笑みでそれに応えた。
二人は本当に嬉しそうに、その指輪を陽にかざしたり、
何度も模様を合わせたりして見た。
誰も立ち入れない、父娘だけの幸せな時間がゆったりと流れている。

「妬けるかね、シーニィ」
清々しい気分で二人を眺めていたワロージャが、珍しく愛称で水神に呼びかけた。
「だから何でいつも!オマエは人の感情を深読みするんだよ……」
苦々しい表情を作りながらも、そう言う水神の声は穏やかだった。

「いやいや!たまにはこんな事も!ずいぶん“神様”らしい事をしたもんだ!」
ワッハッハッハ!ワロージャは豪快に笑った。

水神はボソッとつぶやいた。
「あいにくだったな。ヤツはオマエの生徒にはならんよ」
ワロージャは意外そうに水神の方を見て言った。
「それは結構。迷える子羊は、他にもたくさん、いるからね。
彼らには……私の出る幕ではなさそうだ」

「さて、トーヤ。井戸神さまと、ワロージャさんに、しっかりお礼を言おうね」
龍夜はトーヤの頭に手を置いてそう言うと、にっこり笑って立ち上がった。
「うん!」龍夜に抱きついていたトーヤも、
二人の方に向き直って少しかしこまってペコリと頭を下げた。

「井戸神さま。お母ちゃんの指輪を探してもらって、
どうもありがとうございました!」
「ああ……お前からの貢物、しかと受け取ったぞ」
「うん!ホンマおおきに!おっちゃ……じゃなくて!お兄ちゃん!」
緊張が解けてスグに元の口調に戻ったトーヤに水神も表情を和らげた。

「お二人には本当にお世話になり、どうもありがとうございました」
龍夜は深々と頭を下げた。しばらくそうしていて、
彼はゆっくりと頭を上げた。

「それじゃあ、みーちゃんのところに帰ろうか……トーヤ。
すごく心配してるんだから」
「うん……」
トーヤはほんの少し、不安をにじませた複雑な表情をした。

ワロージャは龍夜に話しかけた。
「もう行くのかね?」
「ええ…あの子を母親のところに帰さないと」
「そうか……機会があったら、また是非立ち寄ってくれたまえ」
まるで旧来の友人に言う様にワロージャは言い、龍夜に握手を求めた。
(みんながあんたのようだと世の中随分あっさりするだろうな……)
ワロージャは心の中でそうつぶやいていた。

「お嬢さんを無事に送り届けてやりたまえよ」 
「私がか!?面倒な……」
「“神様”なんだから。あと一仕事だよ!」
ワロージャはそう言って井戸神の背中をポンポンと叩いた。

「トーヤ!……トーヤ!!」
ペンションの玄関から外へ飛び出してきた瑞穂は
転ばんばかりの勢いで娘のところに駆け寄って抱きしめた。
もうあたりは薄暗くなりかけている。

「ホンマに!ホンマにこの子は!!!!」
何で勝手な事ばっかりすんの!いつもいつも……」
瑞穂の後ろで大地が、お手上げ、と言うリアクションで目を泳がせている。

「オレとトーヤが、一番信用してる人と一緒やって言ったんやけどな……」
「だから2日間、待ったんやないの!もう居ても立ってもおられへんかったわ!」
塔夜はポケットから大切なものを取り出した。
「お母ちゃん。コレ!」
少しバツの悪そうな顔で、母親に冒険の戦利品を差し出した。

「こ、これ……コレ 私の……!!!」
瑞穂は目を疑ったが、それは紛れもなく、
ずっと自分が求めて止まなかったものだった。
「お母ちゃんの!一番大事なものやろ?」
塔夜は訴えるような目つきで母親を見上げた。
瑞穂は少しの怒りと、安心と、驚きと喜びで、
つまりは感情がぐちゃぐちゃに混ぜられて全く整理がつかなかった。

「もう……この子は心配ばかりかけて!ホンマに……ホンマに……」
瑞穂は深呼吸をした。
「おおきに……ホンマにありがとね、トーヤ。最高の娘やわ!!」
そう叫ぶと、再び塔夜を抱きしめた。前よりももっと強い力で。
塔夜は目を見開いて、ニカッと笑って、大地に向けてピースサインした。

「やったな!トーヤ!!!」

 その日は鬼無座最後の夜だった。ペンションのオーナーは
明日にはここを発つ家族たちに、格別に美味しい夕食を振る舞った。
天気もバツグンで、綺麗な月夜だった。

「さあさ!子供達はもうおやすみ!」
夜9時を回った頃、瑞穂は塔夜と大地にそう宣言した。
手にはオーナーから差し入れられた地酒を持っている。

「みーちゃん……あんまり飲みすぎんなよ。昼前には出発するんだから」
大地が大人びた口調で瑞穂に注意を促した。

「なーにナマイキ言ってんのよ!お・ば・ちゃんはお酒強~いのよ!
ダイジョウブよっ!今夜は綺麗な月夜さんよ。
……とっても美味しいお酒が飲めるわ」
そう言いながら瑞穂は、子供達に再びベッドに入るよう促して、
部屋の明かりを消すと、自分は出窓のそばに椅子を寄せて、酒の封を切った。
二人はもちろん、素直に瑞穂のその言葉に従った。

 瑞穂は満月を肴に、ちびちびと杯を傾けながら、
月明かりに光る左手の薬指をじっと眺めた。
(ホントにどうやって、見つけたのかしら。スゴイな。)
塔夜が普通の子供とは違う、稀な力を持っている事は
何度もこの目で見て来ているとはいえ、
そのことで塔夜に危害が及ぶようなことになりはしないか、
いつでも瑞穂は心配だった。

「守ってやって、龍ちゃん……」
指輪を見つめ、瑞穂はささやいた。
しばらくそうして左手の薬指を眺めていたが、ふと思い立つと
出窓に置いた風呂敷包みの隣にある自分のハンドバックを持って来て、
中からビロードの小さなケースを取り出した。
中身は瑞穂の大事な指輪の片割れだった。
彼女はそれを取り出して、自分のそれと合わせてみた。
「あはは。ピッタリ。本当に……」
満月の中に浮かび上がる、もう一つの満月。
「もう、ホンマにピッタリやん……こんなに……」

『これ、ちょっといいでしょ?僕が造ったんだよ!
まあその…高いもんじゃないんだけど………僕と、ずっと一緒にーー』

あの時も満月で、そしてこの部屋、この出窓の前で、
龍夜はプロポーズした、それなのに彼は今ここにはいない。

出窓にひっそりと置かれた風呂敷包みが、月の光に照らされている。

「何でよ。何で……」
瑞穂の目から、涙が一筋こぼれる。
酒のせいか涙はもう止まらなくなった。嗚咽が漏れそうになる。
(アカン、子供達が起きてしまう!アカン、アカン……!)

(お母ちゃん……!!)
どうしても眠りの浅かった塔夜の耳は、
遺骨を抱いてすすり泣く瑞穂のわずかな声をキャッチしてしまった。
塔夜はぎゅっと布団を握りしめた。
こらえきれなくなった瑞穂は部屋をそっと出て行った。
「お母ちゃん!!」
飛び起きた塔夜を、大地が引き止めた。
「オレが行くからよ。オマエは寝ててやれよ。な」
「大ちゃん……」

 二人が出て行って、部屋は静けさを取り戻した。
時計の音だけが虚しく響いている。
その時、コツン、と小さな音が、出窓の外から聞こえた。
トーヤはベッドから降りて、出窓をそっと開けた。
夜のとばりの中から、龍夜の声がした。
「やあ、トーヤ。今夜はとってもいい満月だよ」
「タッタ!どうしたの??」
そう言いながらも、トーヤは心が弾むのを抑えきれない。

「夜の散歩をしないかね?」龍夜は微笑んでそう言うと、
部屋の中のトーヤに手を差し出した。
トーヤは迷いもせず、龍夜に身を委ねた。

 ペンションの周りには木がたくさん生えていたが、
月明かりに照らされて、道はハッキリ見えた。
トーヤと龍夜は、手を繋いで、黙って歩いた。
「ほら、トーヤ。こんなに満月がキレイだよ。
君が見つけてくれた、僕らのユビワみたいだね。」
龍夜は極上の微笑み。でもトーヤはうつむいた。

「お母ちゃんを……泣かせてしもたん」口元がへの字になる。
「ハハハハ!バカだなあ。あれは……嬉し泣きなんだよ。
うん、きっとそうだよ。ユビワが満月になって、本当に嬉しいのさ」
「嬉し泣き……??」
トーヤはふうわりと飛ぶように、龍夜に抱きついた。

それから、龍夜の服に顔をすりつけて訴えた。
「そんなん、ウソやん。
お母ちゃんはね、タッタ!お母ちゃんはね……!」
龍夜はトーヤを力いっぱい抱きしめて言った。
「うん、わかってるよ。トーヤ。僕も同じだよ。
でも……!お前がユビワを見つけてくれて、どんなに僕たち嬉しいか。
それもホントの事なんだから。だからあれは、嬉し泣きでいいんだよ!」

子供心にも、そんなことはあるはずもない、と解ってはいたが、
タッタがそう言うなら、それでもいいかな、と思った。

そのあとしばらく二人は何も話さず、またゆっくりと歩いた。

「タッタ……もうお別れなの?」
口を開いたのはトーヤだった。
ゆっくりと龍夜がトーヤの方を見た。
「タッタ……ほんとうに、行ってしまうの?」
「タッタ……もう会えないの?」
堰を切ったようにトーヤは尋ねた。

すがりつくような目で見るトーヤの頭に、
龍夜はニッコリ笑って手を置いた。
「そうだよ。一緒に居れるのは、今夜が最後」
「こんなキレイな月夜さんに、最後に君と散歩ができるなんて……
僕は幸せモンだよ」
極上の笑顔。そして空には満月。

龍夜はトーヤに向き直って、深く頭を下げた。
「みーちゃんの事、どうかよろしくお願いします!
色々、助けてあげてください」

彼は顔を上げると、トーヤの手を取った。
「君には僕の……1番大事なものをあげる。君に預かっていて欲しいんだ。
これが僕たちのホットラインだよ」
大きな瞳でトーヤは龍夜を見つめた。
「ホット…ライン…?」
龍夜は、自分の結婚指輪を外してトーヤの手にそっと握らせた。

「そうだよ、いつでも繋がっているんだよ。トーヤ、忘れないで。
たとえ姿は見えなくても、僕はいつでも、君とみーちゃんのそばにいるよ」

そう言って龍夜は、満月のような微笑みを浮かべていた。

 次の朝、塔夜が目覚めると、
瑞穂はいつも通りの元気な瑞穂に戻っていた。

3人で朝食を食べて、出発の準備をした。

「瑞穂ちゃん、これからも、またいつでもおいでよ。
これ持って行ってよ。龍ちゃんも好きだったでしょう」
ペンションのオーナーは、そう言ってお土産をもたせてくれた。

「塔夜ちゃんも大地くんも、元気でね。またおいで!」
従業員のお兄さんも一緒に送り出してくれた。
「色々ありがとう、さようなら」
「バイバイ」
「気をつけてお帰り」

 ペンションを出て、15分ほど走ったところで瑞穂はゆっくりと車を止めた。
そこはあの田んぼの前だった。塔夜は車から急いで降りて、思わず走り出した。
「トーヤ!」瑞穂が呼びかけたが、駆けて行ってしまった。

「あの子ったら…」
「大丈夫、みーちゃん。オレ行ってくるよ」
大地が塔夜の後を追った。
瑞穂は助手席の風呂敷包みを大事そうに抱えて車から降ろした。

「ホンマに親子やなあ。龍ちゃんもここが大好きやったもんね」
山々の残雪を見晴らす瑞穂の横を、さあっと風が吹き抜けて行った。

塔夜はあぜ道の奥の、井戸があったあたりまで走って行った。
古井戸は変わらずその場所にあったが、なぜだか今は気配のひとつもしなかった。

(おおきにありがと。神様、ワロージャさん。)
二人の姿を思い浮かべ、塔夜は自然に手を合わせていた。

「おーいトーヤ!もう行くぞ!」
追いかけてきた大地の呼びかけにもすぐには応えず、
彼女はしばらくじっと古井戸を見つめていた。

 瑞穂の待つ車に戻る途中、
あぜ道の向こうから子供達がたくさんやって来るのが見えた。
名残惜しさにも似た気持ちで、後ろを振り返りふりかえり歩いていた塔夜だったが、
二人の子供とすれ違った時、その会話がふと耳に入って来た。

「あんまりはしゃいでるとケガするぞ。」
「へいきへいき!早く行こ!」
その声に塔夜はなぜか立ち止まった。

「気をつけてね…!」
どうして自分がそんなコトバを言ったのか、塔夜自身にもわからなかった。

長い髪の女の子が一瞬不思議そうにこちらを見たが、
そのすぐ後ににっこり笑って走って行った。

「おーいトーヤ!はよ来いって!」
大地の急かす声が塔夜を現実に引き戻した。
「ごめーん待って!今行く!」
そう言って塔夜は走り出した。
走っているうちに様々な気持ちがいっぱい湧き出して来て
抱えきれなくなりそうだった。

塔夜は車の前で待っていた瑞穂に抱きついた。
瑞穂はしっかりと塔夜を抱きとめて言った。
「ここに来れてホンマによかったねトーヤ。龍ちゃんもすごく喜んでるよ!
さあ、みんなで帰ろうか」
「うん、お母ちゃん!」

大地が塔夜の肩をポンポンとたたいた。
「おう!帰る前にソースカツ丼食ってこうや!」
「大ちゃん、そればっかりや!」
笑いながらみんなで車に乗り込んだ。後部座席に塔夜と大地、
運転席に瑞穂、そしてもちろん助手席には龍夜も乗せて。

(バイバイ、鬼無座。またココに来れたらいいな……)
走り出した車の窓から、いつまでも後ろを眺め続けている塔夜だった。

 次の日、実家の寺では龍夜の四十九日の法要がしめやかに執り行われた。

タッタは四十九日が来たら消える。
それは塔夜には、わかっていたことだった。

 京香の詠むお経を聴きながら、
塔夜はポケットの中のユビワを握りしめる。
隣に座っている瑞穂の指にはその片割れが光っている。
「トーヤ、みーちゃんを頼んだよ。よろしくね」
龍夜の声が聞こえた気がして外を振り返ると、
境内のサクラがもうほころび始めていた。

                  第一話「タツヤ」 終




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