僕のA.P.Cのジーンズの行く末

どうも、こんばんは。ただいま、22時11分。レモンサワーを飲みながら、久しぶりにnoteに向かっている。グラスの3分の1で顔が真っ赤ではあるけれど、僕の理性はとても強くて、今までお酒の力で自分の理性が失われたことはない。むしろ、天邪鬼な性格なので、お酒飲んだ方が更に正しい判断ができるんじゃないか、そんな気すらしているくらいで。

というわけで、タイトルの話から脱線してしまったが、今ゆっくりと引越しの準備をしている。その中でいわゆる服の断捨離的なものをしてるわけだけど、今日いよいよ最終選考をした。

昔好きで着ていたラッドミュージシャンやトローブといった服やMHLのニットやパンツ、コムデギャルソンの帽子などが選ばれた。その中で、僕の中で早々ともう着ないだろうと思っていたのがA.P.Cのジーンズだった。服好きな方ならA.P.Cのジーンズは定番なので 「え、それは手放すなんて!?」と思われるからもいるかもしれない。ただ、ここ数年ジーンズ自体ほとんど履いていないし、A.P.Cのジーンズは全くと言っていいほど履いていなかった。(何となく似合わないなって思っている自分もいたりで敬遠をしていたのもある)

今日の最終選考では一応最後に着て確かめたものはあるものの、ほとんどがやっぱし着ないに分類されるものだった。A.P.Cのジーンズは着ることもなしに見事に最終選考を勝ち抜き、明日のリサイクルショップ行きを見事に勝ち取る運命であったはずだったのだが、何となく最後に履いてみようと思った。(本当に何となく。)そして、履いてみた。履いてみてすぐ、昔に比べジーンズを履いている自分への違和感が薄いことがわかった。着ていた黒のコットンの長袖ニットとも相性がよく、カジュアルだけど、何だかとても落ち着いてみえた。似合っている。そう素直に思えた。

心境の変化、年齢を重ねることで変わらないものは、僕の中で本当はどんどん変わっていく。そうなんだと思った。変わらない自分でいるために、受け入らなければいけないこと、確かめなければいけないことがきっとあるんだ、そう感じた。

この先、このA.P.Cのジーンズをずっと履いていくかはわからないけれど、僕の価値観を広げてくれた一足として残り続けていくのだろう。

そんな僕は明日、A.P.Cのジーンズを履いて、リサイクルショップへ行く。

#エッセイ #APC

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