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優しさをはかる婚活

結婚するならどういうお相手がいいですか?との質問に、「優しい人」と回答される皆さんは少なくないと思う。冷たい人、感じの悪い人、はたまた性格の悪い人との結婚生活なんて想像したくないですもんね。

でもそれは、優しい人という名の「ふつうの人」なんですよね。悪い意味じゃなくて、ごくごく一般にいって当たり前の態度やふるまいができるという意味でのふつうの人。

求められるふつうの優しさ

婚活を通じて知り合ったある女性が言っていたのですが、男性は好きな人にたいして優しくて当たり前で、そしてそれ以外のもう一つのなにか、プラスアルファの魅力が必要なのだと。

その求められる「ふつう」に関して、リンク先を保存していないのでお示しできませんが、べつの方が以前のnoteで「『ふつう』に求められるあれやこれやが多くなった。ほんと『ふつう』ってもはや普通じゃないよね」というようなことを書いていらして。

男性の場合であれば、そうした優しさは「紳士的な態度」という言葉で言い換えられるのかもしれない。そばにいる人のためにドアを開けてあげて先に通してあげたり、さり気なく重い物をもってあげたり、女性よりほんの少し先まわりして好意的な態度をとってみたり、すごく気遣いができて気の利いたふるまい。それが自然であればあるほど、好感度は高まりますよね。

優しさを超えた美しさ

そんな「優しさ」にもいろいろ種類があって、ずいぶん前に遭遇した地元の電車内での出来事の話なのですが、私が対面式のベンチシートにひとり腰かけて車窓の外をぼんやりながめていたら、こちらの座っている側から反対側のほうへ床に落ちていた空き缶が転がっていったんですね。コロコロ、コロコロと車内に響きわたるくらいに音を立てて、ちょうど向かい側にいた女性二人組のうちの一人の足元のほうへ。

そしてその空き缶がたどり着きそうになる瞬間、女性は隣に座っていた相手との会話を中断することなく、さも自分の落とし物かのようにさっと空き缶を拾い上げて膝の上においた。その一連の所作がとても美しくて、私はそれを見てとても感心してしまった。

非の打ちどころのない優しさというか、優しさを超越した美しさというか。

会社上司の優しさの重さ

私はふだん設備メンテナンス関係の仕事をしているのですが、日常的に電気設備にもふれるんですね。電気は目に見えないから、当然正しい知識と認識がなければ危険なわけです。扱いを誤ると、最悪の場合、死に直結します。

あるとき上司はこう言いました。
「いいか、電気を甘く見るなよ。自分の命は自分で守れ。最悪、お客さんのだろうがなんだろうが設備を壊してもいいからな。命だけは守れよ」と。

私がいまの会社に入って良かったことの一つがこの上司と仕事ができたことなのですが、こういうことってなかなか言えない。壊さないように注意してやれよ、とは言えるかもかもしれないけれど、壊してもいいから命だけは守れよ、はなかなか言えない。

言葉に重さを感じるは当たり前で、大きさと太さ、強ささえも感じる優しさであると思います。

優しさをはかる

今回のタイトルを最初に思いついたとき、その「はかる」は量的な意味での「計る」でした。けれども「測る」もあるなと、と考えが膨らんだり、「謀る」って読んじゃう人もいるかもしれないなと思い始めたり。

私たちの言葉遣いや主張や態度や所作などひとつ一つの集積が人となりを生んで「優しい人」を印象づける。いっぽうで、お相手に優しさを求めるのと同じくらいの熱量で、自分自身の優しさにも目を向けなくてはなりません。無意識のうちにはかり、はかられている優しさだからだけど、結局のところ、お相手の存在を意識してこその「優しさ」ですよね。身も蓋もないことを言ってしまうと、一生懸命に誰かのため自分のために生きるしかない。そんな気持ちが婚活のお相手にも届けばいいなと願って。

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