見出し画像

結婚っていったい何なんだろうね?と、結婚2年目の私が考えた話

結婚してまだ日の浅い私が「結婚」について語るのははなはだおこがましいので、たとえば婚活をしている皆さんが少しは頭に入れておいたほうがいい結婚の捉え方(結婚相手の見初め方)についてお話してみようと思います。

まず、「結婚」それ自体についてはオプショナルなものであり、任意です。「結婚するのが正しい」といった価値観が幻想であるように、誰かの押し付けにすぎません。”したほうがいい”とも“すべき”というものでもありません。現実的なところで、一定の点数を取れば合格する資格試験と違って自分が努力さえすればどうにかなる類のものでもないから、という理由もあります。

いっぽうで、あなたの目のまえに結婚を意識したお相手がいるなら、それは”したほうがいい”し“すべき”だと思います。それが、結婚です。

価値観のすり合わせ

とはいえ、結婚っていったい何なんでしょう。
手元の辞書を引いても「夫婦関係になること」「夫や妻を持つこと」といった形式的なことしか書かれておらず、結婚によって達成されるべきこと、満たされるべきことまでは教えてくれません。

それはそれで当たり前ですよね。結婚自体が任意なら、その目的や満たされるべきものもまた、私たち次第です。ごくごく一般的な話をすると、結婚して夫婦になるとひとつ屋根の下で共同生活がはじまります。ことなる家庭環境や家族構成、食生活や生活リズムで過ごしてきた男女が、お互いの価値観をすり合わせて共に生活していくことは容易なことではありません。

価値観の「すり合わせ」と言われるように、気を遣えば遣うほど、精神もまた多かれ少なかれすり減ります。

たとえば、あなたがかつて部活動で野球をがんばった高校球児であるとしましょう。

あなたのお母さんは、朝練に向かう息子を毎朝決まった時間に起こし、朝食を準備し、昼の弁当もたっぷりと持たせ、学校に送り出したあとに家事や自分の仕事を終え、帰宅後また帰ってくる可愛い息子のために夕食の準備し、汚れたユニホームを洗濯し部屋の掃除をして云々、といった日々のルーティンを「無償の愛」として喜んでやってくれていた環境下で育ちました。

そんなあなたが大人になり、一人の女性と知り合い、結婚し、高校の頃の延長のような自分中心の、(悪気はなくも、わが身をかえりみることなく)自分のためだけの生活を送ってしまったらどうでしょう。

毎朝奥さんが用意した朝食を取り、会社に出かけ、帰宅し、風呂に入り、ちょっとだけ息子や娘の存在に気にかけその後自分は缶ビール片手にスマホをいじりながら居間のソファーで横になり夕食の料理が目のまえに並べられるのを待ち、食事の用意ができたらできたでテレビ番組を観ながら晩ごはんの最中はとくに会話もなく、週末の休みの日は学生の頃の友人と釣りに出かけ、「朝のゴミ出しはぼくが担当してるし、家事には協力的」と自負でもしていたら。

もしあなたに“それなり”の稼ぎがあって、丁寧で優しい性生活を定期的に提供できるテクニシャン(“マジシャン”と言ってもいい)であったり、類まれな人徳の持ち主で奥さんがあなたにベタ惚れの場合はべつです。たいていの場合、あなたの奥さんはあなたとの結婚を後悔し、近い将来あなたに離縁したい気持ちを告白することでしょう。

告白までしないにしても、近くの友人に愚痴をこぼしたりTwitterで悪口をつぶやいたり、「結婚 疲れた 離婚」などをキーワードに離婚の方法についてネット検索するかもしれません。

個人的に、夫婦が結婚生活によって育んでいかなくてはならないことは、愛ではなく信頼関係だと思っています。

ただ二人のあいだに子供が授かり、親子関係が築かれた場合はべつです。育むべきものは、やはり愛です。そして、信頼関係を育もうとする気持ちこそが愛だとも思っています。

お互いの信頼なくして、健全なコミュニケーションは取れません。

家族におけるあなたの役目

「家族の一員」という言葉があります。
お相手と婚姻関係がむすばれることで、あなたは彼女の「夫」となり、彼女はあなたの「妻」となり、子供が生まれれば息子/娘の「父」になります。高校で野球漬けの生活を支えてくれた母親にとってあなたはつねに「息子」のままですが。

結婚をつうじてあなたの一員としての役割が増え、あるときは「夫」としての振舞いを、あるときは「父」としての振舞いが期待されます。

それが家族の一員としてのあなたであり、家庭を持つということです。

妻との出会いの話

「正しい結婚」が存在しないように、「正しい結婚相手の見つけ方」も存在しませんが、私の個人的な話をしたいと思います。

いまの妻とは母親の横のつながりで知り合いました。インターネットやバスツアー、お見合いパーティーのようなものを中心に婚活をかなり積極的にやっていたわりには、結果的に自分の結婚相手は「知り合いの紹介」で見つけたことになります。

「相手に求める条件」という言い方は好きではありませんが、ネット婚活やお見合いその他、私が重視するお相手の方に求めていた条件は以下のとおりです。

・一緒にいて気疲れしない人か
・それなりに楽観的な性格か
・子供を持つことに前向きか

もちろん、おしゃれで才色兼備で、料理が作るのが上手で、キレイ好きで等々、高望みをしたらキリがありません。とはいえ、大まかなところではその3点を重要視していました。

私は東北地方在住で、妻は北関東出身の女性なのですが、会って2回目のデートの際に、東京都内のとある駅で待ち合わせして午前中はスタバのコーヒーセミナーに一緒に参加して、お昼に前々から目をつけていたうどん屋さんで食事しました。そして午後には「豊洲市場を見学してみよう」というざっくりの予定を立てていました。

当時、築地から豊洲へ市場が移転されて間もなかった頃で、ちょっと行ってみましょうという事前のやり取りがあったのです。

しかし現地へじっさいに行ってからわかったのですが、移転済みのお店も少なく、また午後の時間帯のためか開いているお店自体もまばらでした。そのうえほぼ無計画で徒歩で移動したため、かなりの距離を歩かせてしまったと思います。

私自身、彼女に申し訳なかったなあという思いでいっぱいでした。でもその日の帰り際、別れの挨拶のときに屈託なく「今日は楽しかったです。ありがとうございます」というようなことを言ってもらえてすごくホッとしたのと同時に、「あ、この子となら上手くやっていけるかもしれないな」と結婚をすごく前向きに考えるようになったのをおぼえています。

そして幸運なことに、現実に彼女と結婚し、子供も授かり、夫と父親の役割を自覚しつつ、のらりくらり(それなりの緊張感をもって)結婚生活を送っています。

結婚生活という日常に馴染む

冒頭、「結婚してまだ日の浅い私が結婚について語るのははなはだおこがましい」と言っておきながら、だいぶ結婚を語ってしまいましたね(笑)

ふだんの生活で知り合い、一定の恋愛期間を経て結婚にいたるカップルは多いでしょうし、私のように略式でもお見合いをきっかけに結婚にいたるケースもあるでしょう。

いずれにしても、いつかどこかのタイミングで、目のまえのお相手にたいして結婚の二文字を意識したのなら、そのお相手との日常に(共同生活に)結婚後も馴染むことができるか、という視点で見定めてみることをオススメします。「日常に慣れる」ではなく「日常に馴染む」がポイントです。

洋服にたとえるなら、
ふだんゆったりめのLサイズを好む自分が、ぴったり目のMサイズのTシャツを着て「肩回りはちょっとパツパツだけど、着てるうちに違和感がなくなった」のが【慣れる】で、

自分の好みにはなかった色合いとデザインの上着を、たまたまとあるきっかけで着ることになったら「手持ちのほかの洋服とも相性がいいし、自分のおしゃれの幅も広がった」のが【馴染む】です。

それなりの意識と時間と順応を必要としたのが「慣れる」で、気が付いたら自然と身についてたのが「馴染む」。

目のまえの彼/彼女との時間に自然と馴染めることが穏やかな結婚生活を送れるヒントではないかな、と思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?