ロノミーの湖水(最終話)

 オオネコの背中に備わった呼吸器からの吸引が止んだ。ニルは、ちょっと、その穴を覗いてみようと目を凝らした。しかし、それは長い毛に隠れてよく見えなかった。
 一思いに、飛び降りた。膝を曲げて、ニルはうまく着地した。
 着地した途端、書斎の扉が開いた。メルが現れて、駆けつけた。メルは、瞳をきらきらと輝かせていた。
「お帰り!」
 メルがそう言うと、ニルは、
「ただいま!」と、力強く、そして逞しく返事をした。
「ありがとう。メルがいなかったら、どうなっていたかわからない。本当に、頼もしかったぞ」
 ニルは、握手のための右手を差し出した。
「兄ちゃんが、頑張ったからだよ」
 メルはニルの手を取り、そうして兄弟は互いにがっしりと抱擁を交わした。
 ニルを乗せてきたオオネコが、一匹、大きな口を開けてあくびをしている。庭にはオオネコの喉から鳴るゴロゴロという低音が持続的に響いている。

  *

 打楽器、弦楽器、管楽器、そして鍵盤楽器からなる四人組の楽団が、軽快で洒落た音楽を渋い表情をしながら飄々と演奏する。踊りだしたくなる。むしろ、踊らずにはいられない。ルタ市の中心街の片隅にある、さほど大きくもない酒場を貸し切って行なわれているこの祝宴の参加者の中で、一際目立つダンスを踊っているのは、宴の主役、病み上がりの父、ブザ・ユーテだ。
「ブザさん! あんまり無理しないで下さいね!」
 ブザを労り、そんな声をかけるのは、彼の軍人時代の後輩、フェクタの指輪の元々の持ち主であるザフラ・ブロハニである。
「ははは! ザフィ、心配すんな! せっかく息子二人に元気にしてもらったんだ、ぶっ倒れるくらい踊るぞ!」
「いや、だから心配なんですよっ!」
 自分のことを昔からの愛称で呼ぶ豪快な先輩に対し、ザフラは頭を抱えながらも苦笑した。ブザは、腰を振りながら激しいステップを踏んでいる。

 ニルとメルの母親カムア・ユーテは、大陸から帰省中の、リード・ヴァーマという名の実弟と、背の高いテーブルを挟んで立ちながら話している。
「お姉さんから速達の手紙が来て、中身を読んで驚いたよ。ブザさんがそんな病に冒されていたこと、それがあのクユさんですら治せなかったこと、そしてそれを僕の甥っ子二人が解決してしまったことにね」
「私は……息子二人のことを、まだまだ幼い子供だなんて見くびっていた。でも、彼らは私の知らないうちに成長していた。そして、今回の出来事で更に二人は前に進んだ。目を覚まして二人の顔を見て、悟ったわ。私が眠ってる間に冒険が行なわれたこと、そしてそれが成功したことと、何より二人が見違えるくらい大人になったこと。まあ、ニルはともかく、メルが今回どんな形でロノミーの湖水の採取に関わったのかは最初わからなかったけどね」
「僕も、久しぶりに会って二人の成長ぶりに驚いたよ。顔つきがまるで違う」
「そうね。私なんか、メルが普段どんな本を読んでるのかすら、ちっとも知らなかった」
「僕が注目するのは、ニル君の体を張った活躍もさることながら、メル君によるニル君への支援なんだ」
 リードの、学者らしい知的で柔和な顔が、少し強かさを増した。
「彼は今回の冒険におけるトラブルのほとんど全てに対して的確な助言をニル君に与えてる。特に目を見張るのは、湖畔で待ち構えるバケイヌを見破った点。死体を食べて、食べた動物の姿形や行動パターン、頭の良さまでそっくり真似して化ける、バケイヌなんていう絶滅したはずの動物を僕は今まで知らなかったし、そのバケイヌが過去に服ごと食べたのが、一般的に知名度の低いロクワイ教の教徒の青年だったと気づくなんてのは、そう簡単にできる芸当じゃない」
「呆れちゃうわ」
 そう言って、カムアはくすりと笑った。
「ロクワイ教徒の被る帽子の色が三年ごとに変わること、現行の色の帽子以外被ることを認められていないこと。この戒律を踏まえ、青年の被っていた帽子がロクワイ教の帽子であり、かつ五年前の色であることから、青年の正体が、過去にロクワイ教徒を食べたバケイヌだと気づく。相当な読書量をこなさないと無理だよ。メル君は、僕と同じ道が向いてるんじゃないかなあ。なんなら、僕の勤める大学に推薦してあげてもいいよ、お姉さん」
 リードの目は真剣だった。
「ふふ、まだメルには気が早いわ。色んなことを経験して、色んな人に出会って、それから、将来のことを考えて欲しい」
 カムアが言い終えると、楽団の演奏する一つの曲が終わった。カムアとリードを含め、聴衆たちは、皆拍手をした。そうして、すぐさま次の曲が始まった。
「踊らないかい? お姉さん」
「いいわね」
 姉と弟はテーブルを離れ、それぞれ音楽に合わせて、時に互いに向かい合いながら体を揺らした。

 冒険の黒幕、ニルとメルの祖母であるチウ・ユーテは、一人で隅の卓の席に座り、茶を啜っていた。紆余曲折はあったが、結果的に勝利した。ここにいる面々は、当の本人達を含め、また明日からもいつもの生活の続きを行なう。それは自分の功績ではない。自分はあの二人にきっかけを与え、持ち合わせた知識や経験や道具を頼りに出来うる限り導いてやったに過ぎない。しかも、途中まで。しかし、この誇らしさはどこから来るのか。おそらくは、自分で腹を痛めて産んだわけでもないあの二人の孫の顔や、声や、言葉や、立ち居振る舞い全てから来るのだ。ああ、ダズ、あんたの溺愛した孫二人はこんなに立派になったよ。勿体ないね、その姿を見てやれないなんて。それとも、今もどこかから見ているのだろうか——チウがそんな物思いに耽り、少し、うとうとし始めた時、ブザの病を最初に治すことを試みたこの村の隠れた名医クユ・デイドリーが彼女の隣に腰掛けた。
「一人で寂しいじゃない、チウさん」
「少し考え事をしておった」
「何を考えてたの?」
「先に逝っちまった旦那に成長した孫二人を見せてやりたかった、などとな」
「もし見たら、どう思うかしら」
「死ぬほど喜ぶさ。もう死んじまってるがな」
「ふふ、笑えない冗談が得意ね、チウさんは」
「冗談のつもりではない」
 チウは、茶を一口啜った。
「クユさん、たかが眠れないだけの病を、あんたですら治せないとは、驚いた」
「私は魔法使いじゃない。私の腕がどんなに買いかぶられていようと、今の医療には様々な限界がある。お孫さん二人は、その限界を突き破った」
 チウは、少し黙った。
「……今にしてみれば、あたしは何ていう恐ろしい試みをしたのだと、あれ以来たまに腕や手が震える。命は失えばもう元に戻らん。クユさんみたいに医学を学んでおらんあたしにもわかることだ。ただ……負けるのが嫌だったんだろうね。カムアの反対にではなく、ブザの罹った病にでもなく、なにか得体の知れない大きなものに。あたしがじゃなく、ブザがでもなく、メルとニルが負けるのが、堪らなく嫌だったんだ」
 クユは、うっすらと微笑んだ。
「その、チウさんの負けず嫌いが、ブザさんを、そして世界を救ったのよ」
「あたしにそんな名誉はないよ」
 打楽器が、単独で演奏している。情熱的で、力に満ち溢れた律動だ。
「なんだか、踊りたくなってくるわね。チウさん、踊らない?」
 クユはそう言って立ち上がった。
「あたしは遠慮しとく」
「まぁ、そう言わずに!」
 クユは座っているチウに対して手を差し出した。チウは、その手を取り、それに促されるように立ち上がった。
「やれやれ。何年振りかね」
「チウさんがどんなダンスを踊るのか興味深いわ」
「あたしが踊れるのは一つしかないよ」
 そう言って席を離れたチウは、何かを抱きかかえるかのような形で両手を広げ、そのまま一人でステップを踏み、前後左右に移動した。それは、優雅だった。
「これって、まさか……」
 クユ・デイドリーはその時確かに見た。チウ・ユーテが、かつての夫ダズ・ユーテと踊る様を。その姿は、少しだけ若返って見えた。

 こんがりと焼かれた鶏肉、少し赤身の残った牛肉、揚げた野菜や、蒸した魚介類などが一緒に盛られた一つの大きな皿を前に、ニル・ユーテメル・ユーテの兄弟は、貪りつくと言うほどではないが、それらを食べるのに夢中になっていた。
「うまいな、メル」
「うん、おいしいね!」
 目の前の料理を存分に味わう二人は、互いの顔など見ずに会話をした。
「このエビ、色がクルワセガニみたいで気持ち悪いな」
「あ、これは、テジナエビって言って、生きている時は黒、茹でると青、茹でた後に身から剥がすと緑色に甲殻が変色するエビなんだ。おいしいらしいよ」
「本当?」
 ニルは、そのエビの殻を剥き、現れた白い身を口に運んだ。
「おいしい! 今まで食べたエビの中で一番おいしいよ!」
 ニルは蒸したテジナエビの美味に舌鼓を打った。
「じゃあ、ぼくも食べてみる」
 メルは皿に盛られたテジナエビに手を伸ばした。そして殻を剥いて、身を味わった。
「本当だ、おいしいね! 図鑑でしか見たことなかったけど、実際に食べてみるとこんなにおいしいだなんて」
「メルがおいしいって知らなかったら、こんな気持ち悪いエビ、食べてなかったよ」
「そんなに気持ち悪い? あ、そっか、兄ちゃんは、クルワセガニに嫌な記憶があるからね」
「あんな思いは、二度と御免だ……」
 ニルは、顔を歪ませた。
「世の中には、わざとクルワセガニの毒を自分に使う人もいるみたいだけどね。そういう人は、お酒を飲むことじゃ満足できないみたい」
「なんだかよくわからないな、そんな人の気持ち。花をむしって踏んづけたり、メルに怒鳴ったり、今思えば自分が自分じゃないみたいだった」
「密猟してまで、それが好きな人もいるみたい。テジナエビは食べてよかったし、ロフォンの鏡でたくさんの動植物を見れて驚いたけど、僕もクルワセガニだけはちょっと……」
「あんな姿、誰にも見られたくないな。特に——」
 ニルは、その先を言うのをやめた。
「え? 特に?」
「いや、なんでもない」
 無論、その人物とは、ルヴォワ・コンフォのことだった。
「やあ、英雄たち。今日は私ができうる限りのご馳走を用意したつもりだが、どうかな……?」
 ザフラが、二人の前に現れた。
「おいしいです。でも、英雄は兄ちゃんだけです」
「僕だって、英雄だなんて……。あ、すごくおいしいですよ!」
「謙虚だね、二人とも。あっちでは、ブザさんが酒と踊りで潰れてる。クユ医師とカムアさんが看病中さ」
「あは、お父さん……」
 ニルは苦笑した。
「この後、式典が予定されてたんだけどね。ブザさんのあの様子じゃあ、このままこの宴はお開きかな」
「え、式典?」
 ニルが少し驚いた顔でそう尋ねた。
「ああ。君たちに秘密でね。ザフラさんが君たち二人に感謝の言葉を述べる手筈だった」
「うーん、なんだか、恥ずかしいですね」
 ニルはそう言った。
「僕も」
 メルも、それに続いた。
「ははは、そうか、二人とも、あまりそういうことは好きじゃないのかい」
「お父さんからは、もう十分にお礼を言われました。なあ、メル」
「うん。効力が戻った宝石を砕いて飲ませて、お父さんがぐっすり眠って起きた後、ばあちゃんが全てを説明して、それから、お父さんに呼ばれたんです。『ブザが呼んでるよ』って、ばあちゃんに言われて」
「ほう。それで?」
「僕と兄ちゃんが二人でお父さんの部屋に入ると、お父さんが立ったまま待ってて、微笑んでました。そして、『お疲れさん。ありがとうな』って」
「……それだけかい?」
「はい」
 問いかけにはニルが答えた。ニルは続けた。
「お父さんは、その時、見たことのない顔をしてました。それは、他の人がしてるのは見たことがあっても、お父さんがするのは見たことがない、そんな表情でした」
「……そうかい。それはもしかしたら、私も見たことがないのかもしれないな」
 低音を鳴らす弦楽器が、うねるように音を響かせる。演奏者の運指が凄まじい。
「なら、それ以上君たちに、ブザさんの言葉は必要ないのだろうね。邪魔して悪かった。食事を続けてくれたまえ」
 ザフラは、朗らかに笑みを浮かべ、その場を去ろうとした。
「あの……ザフラさん」
 ニルは、何やら気まずそうな、或いは恥ずかしそうな様子で、ザフラを呼び止めた。
「ん、何だい、ニル君?」
「ちょっと、向こうのカウンターで、話しても良いですか?」
「ああ、良いとも」
 二人は、すぐ向かいのカウンターの席に並んで座った。
「何か飲むかい? 酒はまだ君には早いが、最近大陸から伝わったばかりの、炭酸水という不思議な飲み物がある。ビールよりも強く発泡するが、水のように味がない。そして果汁を混ぜるととても美味い」
「いえ、飲み物が飲みたいわけじゃなくて……。メルや僕の友達はまだ子供だし、親やばあちゃんに相談するのは恥ずかしいし、畑仕事の雇い主のブポップさんはなんだか疎そうだし……。ザフラさんなら相談できるかと」
「そんなに期待されてるとは。一体、何の相談だい?」
「……今回の旅で、僕、恋をしたんです」
「ほう。素敵だね」
「それも、二人の女性に」
「へえ。それはそれは」
「二人の人を好きになるなんて、おかしいですよね?」
「あまり、一途とは言えないね。少なくとも」
「はい。最初の人は、出会った時はすごく冷たい感じで、ちょっとだけ怖くもあったんですけど、ある時、その人が、にこって微笑んでくれて、その時、胸が締め付けられるような感じがして、苦しいような、心地良いような……。そして、その後、その人は僕の手を握ってくれたんです。その時、すごく幸せな気持ちになった」
「うーん、なかなかに甘酸っぱいね。それで?」
「その人とはそれでお別れです。そのすぐ後に、二人目の女性に出会いました。僕は、既にさっきのナリンさんという女性に恋をしてたので、そのルヴォワさんっていう人のことを特に何も思いませんでした。ナリンさんに負けないくらい綺麗な人なのに」
「その時は、まだ一途な少年だったわけだ」
「ええ。ルヴォワさんは、僕にすぐ好意を寄せてくれました。それも、僕にでもはっきりわかるくらい。それでも、僕は、何も感じなかった。むしろ、少し、迷惑なくらいに思いました。でも、ある時、ルヴォワさんは、僕を体を張って守ろうとしてくれた。呪いの力で胃の中のものや血を吐いてまで、僕を守ってくれたんです。それをされた時、僕は、今まで感じたことのないような感謝の気持ちと、鳥肌が立つような幸せな気持ちが溢れてきたんです。そして、ルヴォワさんの顔が……胃の中のものを垂らしたルヴォワさんの顔が、すごく美しかった」
「なるほど。……それは、ナリンさんという人よりかい?」
「わかりません。ルヴォワさんとナリンさんは、うまく説明できないですけど……元々全然違う雰囲気の人たちで、あまり比べられないです」
「何を言いたいかわかるよ。比べられない美しさはある。まして君の場合、尚更だろう。たとえば、ニル君が二人に再会したとして、二人と何を話したい?」
「話すって、別々にですか?」
「ああ」
「……まず、ロノミーの湖水を手に入れて、お父さんの病気が治ったことを報告したいです」
「もちろんそうだろうね。他には?」
「……ルヴォワさんとは、色んなことを話したい。色々ルヴォワさんのことを聞きたいし、ルヴォワさんは壁の外に出て暮らしたがってるから、こっちのことを教えてあげたい。それから、僕の普段の出来事、今日の宴のことや、おいしいテジナエビのことも話したい」
「なるほどね。ナリンさんとは?」
 ニルは、考え込んだ。
「どうしたんだい……?」
「……ナリンさんとは、何を話していいのかわからない……」
「話したくないのかい?」
「いえ、何か話したいのは確かなんですけど、話したいことが、全然思い浮かばないんです」
「そうか……。おそらく、君はそのナリンさんとルヴォワさん二人に対して、それぞれ別の感情を抱いてる。確かに、それらは恋という一つの言葉に集約することが可能だが、中を覗けば双方は全く違う色をしているのだと思う」
「……ちょっと、何を言ってるのかわかりません……。言葉が難しいとかじゃなく……」
 ニルは困惑した表情を浮かべた。
「これは君の話を参考にしての憶測でしかないんだが、まず、ニル君がナリンさんという女性に抱いている気持ちは、恋でありながら、憧れに近いんじゃないだろうか。手の届かないような存在を見上げるような。そして、ルヴォワさんに対しては、まるで友達に対するような親しみもあるんじゃないかい? 話を聞く限り、感謝だけでなく、或いは尊敬の気持ちもあるのかもしれない。同時に、女性としての魅力にも惹かれてる」
 ニルは、ザフラに与えられた言葉を、自分の心に当てはめてみた。それは、なんとも腑に落ちるものだった。
「……わかりました。なんだか、僕も、そんな気がします。……じゃあ、僕は、一体どうすればいいんでしょう?」
 ニルは、すがるようにザフラに問いかけた。
「それはわからない。それは、君が決めることだ」
 ニルは沈黙した。ザフラも、何も言わない。しばらくして、ニルが口を開いた。
「僕は、ルヴォワさんに会いたい。ナリンさんとは何を喋ればいいかわからないけど、ナリンさんにも会ってみたい。ザフラさん、僕がディーロ市にまた行くことは出来ますか?」
「可能ではある。しかに、いかにアイムアの森の呪いを解いた救世主といえど、あの街の規則は厳しい。せいぜい……年に一度訪問できるかどうか。たとえ本当にそうだとしても、通常より寛大な待遇だ」
「そうですか……」
 ニルは肩を落とした。
「ただ、例えばこういうことはできる。手紙を書いて送ることだ」
「本当ですか?」
 ニルの目が輝いた。
「ああ。私なら、君が書いた手紙を、壁の内側に届ける手続きが出来る。検閲はあるが、君が気にするような種類のものではない。逆に、向こうからの手紙を、私を通じて君に届けることも出来る。手紙の交換の頻度に制限はない」
「でも、僕は二人の住所を知らない……どうしよう……」
「心配はいらない。ディーロ市は、なぜか同姓同名を認めていない。同じ氏名の人があの街には存在しないんだ。二人の苗字は知ってるかい?」
「はい、聞きました!」
 ニルの顔は、活力にみなぎっていた。
「なら問題ない。手紙を、私宛てに送ってくれれば、それをそのまま私がその二人に送るよう手配するよ。私の住所は、ブザさんが知ってる」
「はい!」
——突然、酒場の出入り口からチウのしゃがれた悲鳴が聞こえた。音楽の演奏が止まった。
「どうしたんです、チウさん!」
 ザフラがチウに駆け寄った。
「な、なんだい、この馬鹿でかい猫は……!」
 え? と、ニルとメルの兄弟は声を揃えた。二人とも、困ったような、呆れたような表情を浮かべている。顔がよく似ている。
 出入り口に二人が着くと、扉から少し離れてそこにいたのはやはりあのオオネコだった。
「なんだ、君、こんなとこまで来たのかぁ!」
 ニルがそう声をかけると、オオネコは、「にゃ!」と、まるで言葉を理解してるかのように小さく鳴いた。駆けつけたザフラも、腰を抜かしたチウも、その後方で見守る者たちも、皆、絶句している。メルが、
「こんなとこまで来ちゃダメだよ、みんな驚いてるじゃないか」と言うと、それを無視するかのように、オオネコは前足で顔を洗い始めた。兄弟は、揃ってため息をついた。
「こいつが、あんた達の言ってたオオネコってやつかい?」
 チウが、腰を抜かしたまま二人に尋ねた。メルが、「そうだよ。でも、すごく温厚な性格だから、怖がらなくていいんだよ!」と言い、ニルが、「この子のおかげで、助かったんだ!」と、まるで自慢するように続けた。
 オオネコがふと、顔を洗うのをやめた。そして、あの時のように、座り込み、尾で自らの背中を叩いた。
「え、また?」
 ニルが、驚いた表情でそう言った。
「僕もロフォンの鏡で見てたよ! 乗って良いってことだよね、兄ちゃん……?」
「ああ、そうだよ。この子は、僕たちの友達だからね!」
 兄弟は、酒場を飛び出し、オオネコの背中に飛び乗った。
「先に帰ってるね!」とメル。
「お父さんのこと、よろしく!」とニル。
 オオネコは、夜空高く、跳躍した。
 メルは、月まで届くんじゃないかと思った。
 ニルは、風を切りながら、頭の中は手紙のことでいっぱいだった。

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