板垣退助の髭

 飼い猫にネコと名付け、飼い犬にイヌと名付けるような少し頭のおかしい友達からまた電話がかかってきた。曰く「今日のサバ缶は美味かった」そうだ。「何かあったの?」と聞くと、「は?」と言ってから「別にないよ、俺ニートだし」と彼は返答した。彼は毎日同じサバ缶を夕食に食べているそうだが、同じ商品なら、それそのものの美味しさに、今日も昨日も明日もないだろう。しかも何か嬉しいことがあったとか、何かに精を出して疲れていたとかいう背景もないのなら、それはただの気のせいだろうと僕は思ったのだが、それを指摘してしまうと、僕がさっき食べ始めたカップ入りのアイスクリームが全て溶けてしまうまで彼の弁明を聞かなくてはならないと瞬間的に判断し、僕は「そうなんだ」と無難に返事をした。
「で、最近は板垣退助の髭にハマってるんだ」
 何の脈略もなく、また新たに妙な言葉がスマートフォンの通話用スピーカーから聞こえてきた。この言葉にもまた、反応してしまうことで多大な時間の浪費を招く危険性が含まれていたのだが、どうにもこの言葉に限っては、僕自身の好奇心をくすぐるものがあり、またそれに抗うことができず、僕は彼に対し質問するに至った。
「何それ、どういうこと?」
 笑い混じりに僕はそう聞いた。
「いや、なんか美味そうじゃん」
 僕はそれを聞いて、少しがっかりした。食べ物ではない何かに対し、「美味しそう」などという感想を抱くのは、一見珍奇な発想に思えて、実際はありきたりな発想だ。僕は以前、中学生のとき、街の歩道に積もった雪に黒っぽい泥がかかったものを指してそれを美味しそうだと言った友達を知っている。チョコレート入りのバニラアイスのようだからという理由らしい。小学生の頃、入道雲を美味そうだと言った友達もいた。ジャングルジムのてっぺんで彼は空を眺めていた。溶ける蝋燭を美味しそうだと言ったのは高校生の頃の彼女だ。僕がバイト代で買った誕生日のケーキに刺さる蝋燭を見つめてそう言った。僕が思い出せる例はこの程度だが、こういう例は世界中にありそうだ。
 しかしながらだ、と僕は思いもした。どうだろう、こと板垣退助の髭に限っては、その発想を、珍しいと評価しても良いのかもしれない。まず第一に、一切の共感ができない。泥混じりの雪も、入道雲も、溶ける蝋燭も、確かに視点を変えると美味しそうに見えるかもしれない。だが髭はどうか。あの白髪の髭はどうか。まず汚い。そして、髭は人の体毛である。彼には、あの顎髭が綿飴にでも見えるのだろうか。食べてみたいだなんて僕は全く思わない。
「綿飴か何かに見えるってこと?」
「いや、そういうわけじゃないんだよな。あの髭そのものが美味そうっていうか」
「いやどう考えても不味そうだろ。不味いっていうか、味ないだろ。汚いし」
「いや多分手入れしてると思うんだよ、あれだけ長いし。だから汚くないし、味しなくても醤油とかソース付ければ美味いかなぁって」
 脳裏に、彼が板垣退助の白い髭に醤油を染み込ませて、蕎麦のように啜る映像がイメージとして浮かんだ。とても気持ちが悪かった。
「で、タバコ吸ってる時とかさ、今までTwitterとか適当に見てたんだけど、今はついつい板垣退助の画像検索の写真ばっか見ちゃってるね」
「そうなんだ」僕は気持ちが悪かった。
「ってか、画像検索するまでもなく、そのうちの何枚か、印刷して壁に貼ってるけどな」
「そうか」僕は気持ちが悪かったし、彼がなぜそこまで板垣退助の髭に魅了されてるのか完全に理解不能だった。
「でも伊藤博文の髭は食べたいと思わないんだよ。なんでかな?」
 僕はどうでも良かった。どちらも食べたいと思わないし、食べたいか食べたくないかという視点そのものが気持ち悪かった。
「短いから?」僕は適当なことを答えておいた。
「そこだよなー、伊藤博文の場合、板垣退助ほどボリュームがなくて、しかもなんか汚いんだよ」
 どちらも同じだと思った。僕は、彼の気持ち悪い話をこれ以上聞くことに耐えられなかった。
「確かに伊藤博文のは汚いよな。あ、ごめん、ちょっとこの後、用事あるからそろそろ電話切るわ」
 用事などないが、僕はそう言った。
「そうか、わかった。じゃあまた」
「それじゃあ」
 通話が切れた。

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