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シルバーバーチの霊的叡智を人生に活かす

あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです。物質界での生活は永遠の人生におけるほんの束の間の時間にすぎません。これが私たちからのメッセージの根幹をなすものです。 そのことにいち早く気づいた方が真理に忠実な生活を送ってくだされば、私たちの仕事もいっそうやりやすくなります。霊界からのメッセージに耳を傾け、心霊現象の中に霊的真理の一端を見いだした人々が、我欲を捨て、可能なかぎり自らの魂を引き上げてくださるなら、なおいっそう大きな成果をあげることができるでしょう。

霊的叡智の宝庫 シルバーバーチの言葉 (新版・上)

あの世とこの世の関係性

シルバーバーチの霊訓を読み進めていくと、至る所に「この世」と「あの世」の関係性を知るヒントがふんだんに散りばめられていることに気がつきます。  

「あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです」
これもその一つです。我々は、自分が今生きている領域を「現世」と呼び、死んだ後に赴く領域を「あの世」、「死後の世界」と呼んでいます。しかし、シルバーバーチは、現世も霊界の一部分だと言います。

スピリチュアリズム哲学においては、肉体に霊が宿っているとはしていません。その逆で、霊に肉体をたずさえているとしています。霊が先で物質は後であるとするのです。

物に例えるならば、車にドライバーが付随しているのではなく、ドライバーがその人専用の車を所有し、付随させているとする理論です。だから、車からドライバーが離れてしまえば、車はもう動きません。

また、我々の霊は、丸くて白くて青白く光りながら墓場を飛んでいる物体ではありません。あれはエクトプラズムと呼ばれる物質化された生体エネルギーの類です。

霊は正しくは霊体といい、無色透明ではないそうです。現世で物理的制約を受けている私たちには感受できない性質のものだといいます。

人間の目が感受できる範囲は限界がある

ちなみに人間の目が感受できる範囲は、可視光線と呼ばれる電磁波の範囲となります。これは、およそ380nm(ナノメートル)から780nmの波長を持つ光で、これ以上の範囲は存在しているにもかかわらず目に映ることはありません。

もしも、霊体が人の可視範囲内の電磁波であれば見えるのかもしれません。こうした点からも、霊体が存在しないとは言い切れないし、そう言い切って研究されないのは、科学的でもないだろうと私は考えます。

霊的世界を理解するには、現世での「域」という概念を使う

シルバーバーチのいう霊的世界を理解するには、現世での「域」という概念を使うとわかりやすいです。

例えば、現世には空域、海域、陸域があります。各域の境目は曖昧な部分もあります。海と陸も分かれているようで厳密には2極ではなく、グラデーション状になっています。空はもっと曖昧です。

一体、どの高さから上が空で、空でない地上部分は空間なのか?やはり空と陸地の間にもグラデーションがあるように思います。

また、我々が生きているこの物質次元も、原子の単位までいくと、原子の周りにあるものは、電子です。電子は負の電荷を持つ粒子で、原子核の正の電荷と引き合って、原子核の周りを高速で運動しています。

原子核の段階まで突き詰めると、もはや石でさえ、そこに存在していることの定義は限りなく曖昧になります。仏教的に言えば、この部分が「色即是空」につながるのかもしれません。

実は現世とあの世は別の領域ではなく、単なる次元の違い

こうした視点を持って「あなた方は今この時も霊的世界に生きているのです」というシルバーバーチの言葉を再度考察してみると、実は現世とあの世は別の領域ではなく、単なる次元の違いなのかもしれません。

現代の物理学、特に超弦理論やM理論においては、宇宙は10次元あるいは11次元であるとされています。

その中で私たちが日常的に認識しているのは、縦・横・高さの3つの空間次元と時間の1次元を合わせた4次元時空です。科学的な考察から見ても我々はまだ、その半分も常識的に理解できていません。

そして、これら科学的理論では、さらに6つか7つの余剰次元が存在すると考えられていることをご存知でしょうか。これらの余剰次元は非常に小さく折りたたまれているため、私たちには認識できないとされています。

もちろん、これらの理論はまだ完全には証明されていませんが、宇宙の謎を解き明かすための重要な手がかりを提供しています。

もしも、まだ発見されていない次元に霊的次元が含まれているとしたらどうでしょうか。そして、シルバーバーチは霊界次元からそのことを語っているとするならば、我々は、死後も霊人として物理的4次元とは異なる次元を生きることになるでしょう。

つまり、死とは次元を移行する過程の一つであって、物理的にも精神的にも霊的存在としても微塵も消えてなくなる「完全終了」ではないことがうっすらと見えてきます。

「死」というあり方の変容過程

死というものが、生体物のあり方の変容過程の一つだとするならば、物的に活動を停止しただけの「死」は過程の名称でしかありません。

シルバーバーチが言う「物質界での生活は永遠の人生におけるほんの束の間の時間にすぎません。」ということの理解も少し前進する気がします。

もしも、「死」と呼ばれる存在状態の変容過程の先に、霊人としての「生活」があるならば、 私たちのご利益概念も大きく変わる。

「死」の認識が変化すると現世利益も変化する

物理的人体を携えて現世生活を送る間に徳(自他者に慈性を働かせる行為)を積む活動を意識的に取り組むならば、因果応報の法則が働き、必ず私たちの魂に利益=成長や発達、そして現世的物の見方からの解放が戻っていく。

それが生物的時間内かもしれないし、霊人になってからかもしれません。もちろん、今を生きている人間として私は生きているうちに利益に預かりたいと素直に思う。

そして、それでも、宇宙の星々の全てを運行する摂理が、私に今この瞬間、利益のフィードバックがないならば、それは私の欲求スピードが宇宙の発展スピードにそぐわないだけであることも理解できます。

無理とは摂理を無視している状態のこと

この状態を「無理」と言うわけです。「理=摂理が、無い=働かない状態」です。例えるならば、朝に夕陽が見たいと願ってみても、8時間待たなければなりません。夕陽如きでも8時間の生命時間を支払わなければなりません。

ましてや、自分の霊的成長となれば、一回の現世体験では届かないものもあるように想像できます。

シルバーバーチの言葉のたった2行ほどでも、これぐらいは理解が進みます。これからもシルバーバーチの発言を元に霊的視点について書いていこうと思いますが、シルバーバーチが耳にタコができるぐらい伝えていることがあります。

それは「愛の実践とは、とてもシンプルです。困っている人に手を貸し、悩むものの話を聞き、悲しむ物に寄り添い、家のないものに家を貸し、飢えているものに食事をサービスするだけです」という言葉です。

さらにシルバーバーチは言います「あなたができないことをしなさいと言っているのではありません。あなたにできることをしてくださればそれで結構です」と。

困っている人をサポートするために宗教団体に属する必要はありません。また、ボランティアは個人でも共同でもできます。

お金の寄付でも、笑顔や挨拶、ささやかな励ましや勇気づけ、ゴミを拾う、奪わない、侵さない、冒さない、犯さないは、できます。

シルバーバーチの呼びかけは「すでに備わっている慈性を発揮しなさい」と言っているのです。とてもシンプルなだけに精神の内奥に響き渡る声となります。

今回のまとめとして

今回の最後に、少し余談ですが、私の好きな映画の1シーンをお伝えしたいです。

映画の中で1人の男が麦畑を彷徨っています。身も心も疲れ果てあてもなく麦畑を彷徨い歩く。すると、家の煙突から煙が出ているのを見つける。

喉も渇き、腹を空かせている男はよろけながらもその家を目指す。家の前まで来ると、家の前にポーチに老婆が座っているのを見つける。男はとっさに身をかがめ隠れ、静かに老婆の行動をじっと見つめる。

すると人の気配に気がついた老婆が顔をあげ、目を開ける。老婆の目は白く濁り、すでに物を見ることはできなくなっているようだ。

老婆は男に声をかける。「そこにいるんだろ?」「さあ、ここに来て体を休めたらどうかね?」

すると男はゆっくりと立ち上がり、老婆に小さな声で答える。「俺はいいよ。俺はあんたの家に入れるほど大した男ではない」

すると老婆は笑い出す。「そんな心配はおよし。」「ここは私の家なんかじゃないよ。神様の家だ。」

それを聞いた男は、狼狽えながら藁を掴み、こう言う。「いいや、入れないんだ。俺は神を信じてなんかいなんだ」

すると老婆はさらに大声で笑いころげる。「あんたが神様を信じているかどうかなんて関係ありゃしないさ」

男が答える。「どうしてだい、俺は神を信じていなんだぞ」。すると老婆は男を嗜めるようにこう言う。

「神様があんたを信じてるんだ。」

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