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#3 この世界に命を産み出すという事

初期流産を経験し、いざ、子供を産み育てるということについて真剣に考えた。

妊娠検査薬で陽性が出たとき、"嬉しいな”という感情があったことは嘘ではない。
その感覚は、夫と初めて出会った時に
"この人となら、私でも子育て出来るのかもしれない"
そう直感で感じた時と似ていた。

私は夫の事が好きだ。
遺伝子丸ごと愛している。

一方、"自分"という、この現代社会に不適合な人間のことを
愛することはとても大変で、難しいことでもある。

だからどうか、私から出てくる子供は
夫の成分99%以上であって欲しいと、今現在も祈っている。

そんな私が妊娠出産に取り組めるのは、
子供好きな夫を"父親"にしてあげたいという自分勝手な望みと

どうせこの世に人間を誕生させるのなら、
優しくて情の深い、世界平和に繋がるような生命しか
送り出してはいけないと、結構真剣に思っているからだ。

先日、「旦那はいらないから、子供だけが欲しい〜」という友人の言葉が信じられないと綴ったが、これは未だにそう思っている。

他人から旦那の愚痴や不満を聞く度に、そんな最低な男の遺伝子を社会に解き放つって、いかに無責任な行動をしているのか、非難したい気持ちが疼くのだ。(実際にそんなことは面と向かって誰かに言えないし言わないが。)

こんな風に、他者への厳しい目線がある限り、なかなか自身へ赦しを与える事は容易ではなく、どんどん自分の首を絞める事は分かっているが、辞められない。

そんな他所様についてはあれやこれやとケチつける割に
自分自身はというと、安心して子供を産み育てる環境を整えることもできていなかった。35歳にもなって。

2023年1月
年が明けて、心機一転。

"もし、あのまま子供が育っていたら・・・?"
と想像した時に、両腕広げて迎えてあげられない自分の事が嫌だし、悔しかった。

そんな中、夫が35歳になり、
「QUOカード貰えるし、住宅展示場行かない?」
と、マイホーム検討のお誘いが来た。

気は進まなかった。
定職に就いていない私は、住宅ローンを組めるわけもないので金銭面でも消極的だったし、結婚前に何度も引っ越しを繰り返している事で、
1年ほどしか住んでいない今の生活から変わる事による様々な変化に対応できる自信がなかった。
何より、今の2LDKのマンションで子供1人くらいだったら充分だと思ったからだ。

それでも、実際に足を運ばないことには、自分の意見を押し通す材料もないと思ったので、一緒に住宅展示場を訪れた。
そこで、夫の収入だけで充分住宅ローンが組めるということを知り、一気に肩の荷が降りた(笑)

結婚して、ほんっっっっとうによかった!!!!
毎日思ってはいるが、改めて夫に感謝が湧いた。

そこで夫に
「マイホーム、真剣に検討しない?これを機に、あなたの実家近くへ移住しよう。いずれそちらへ住むことになるのなら、妊娠中や子育てで大変な時期に引っ越すのではなく、身軽なうちに生活を整えたい」と提案した。

結婚生活は、夫の実家から2つ程隣の市の、
私の実家近くのマンションでスタートした。

勝手なイメージで、妊娠出産は、妊婦側の実家にお世話になるものという思い込みがあって選んだが、1年ほど実家近くで暮らして、何一つメリットがなかった。
それもそのはず。私は18歳~33歳まで県外で暮らし、実家に寄りつく性格ではなかったし、母と過ごす方がストレスが溜まる自分を知っていた。
夫の通勤時間に関しても、結婚前は夫の実家から車15分ほどの距離で通っていたものを、結婚と同時に片道1時間以上かけてもらっていた。通勤を短縮し、子育てに充てて欲しいし、何より雪道を2時間以上かけて深夜の帰宅の時の心配材料を減らしたかった。

2023年10月
当初の予定とは、色々とトラブルがあったり、変更点はあったが、
一戸建てを無事購入し、移住・引っ越しが完了した。

これでもし妊娠して、子育てに突入したとしても、マイホームという大きな買い物で頭を悩ませる必要もなく、それに伴う引越しや、生活に慣れる迄に起こり得る、心身のストレスは回避できそう。一つ自信がついた。

思い起こせば、18歳から1人暮らしを始め、7度目の引越し。
自分は根無草で、どこでも住めると思い上がっていたけれど、
本当は安住の地が欲しかった。

「もう、どこにも行かなくていいんだ。私はずっとここにいていいんだ!」
そう思えたことは産まれて初めての経験で、
幼い頃から実家にいると息が詰まり、常に緊張状態で生きていた私は、
自分の子供には、"家が1番安心できる場所"として居場所を創ってあげたかったのだと気づく事ができた。


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